みかんコレクティヴ 展

廣瀬智央個展 みかんコレクティヴ
日時:2022年10月6日(木)~10月16日(日)
場所:田辺市秋津野ゆい倉庫

みかんの作業倉庫を利用した「みかんコレクティヴ展」の展示風景


本展は、2022年に開催された紀南アートウィーク「みかんマンダラ」展の一環として、和歌山県田辺市秋津野のゆい倉庫にて開催された廣瀬智央の個展である。展示は、のちに展開される〈コモンズ農園〉の構想を予感させる重要な起点となった。

中央にみかんの皮を漉いた紙作品とビデオ映像作品《みかんコレクティヴvol.1》

本展では、みかんを単なる農産物や視覚的な対象として扱うのではなく、その背後にある時間や関係性に着目した。作品は完成されたオブジェとして提示されるだけでなく、素材となるみかんを育てる過程、そこに関わる人々の交流や思考の蓄積を含めた「プロセスそのもの」を作品として捉える試みであった。

様々なみかんジュースを利用した作品

この発想から、みかんを育てる農園の立ち上げが構想される。育てること、関わること、時間を共有することを通じて、人と人、人と自然のあいだに新たな関係が生まれていく。その過程を開かれた場として持続させることが、アートの実践となりうるのではないかという問いが、本展の核にあった。この長期的な構想の中心に位置づけられたのが〈コモンズ農園〉である。農園は、実際に柑橘を育てる場であると同時に、多様な人々が関わり、異なる価値観が交差する「見えない関係の場」でもある。時間の経過とともに、農園にはさまざまな出来事や実践が重なり、風景や意味が更新されていく。

園地が見つかるまで里親に育ててもらう苗木

また、本プロジェクトに関わる人々の協働の枠組みとして「みかんコレクティヴ」が構想された。これは、知識や経験、時間を共有しながら、ともに考え、関係を育てていくためのゆるやかな集まりである。所有や効率とは異なる価値観のもとで、人々が関わり続けるための一つの実践として位置づけられている。「みかんコレクティヴ展」は、作品と農園、制作と生活、個人と他者といった境界を横断しながら、アートのあり方を問い直す試みであった。そしてその問いは、現在進行中の〈コモンズ農園〉へと引き継がれている。

写真作品《みかんの旅》
ドローイング「みかんマンダラ」

上秋津フィールドワーク


フィールドワーク 上秋津の歴史と文化

地元の上秋津で長年地域づくりに携わってこられた原和男さんをゲストに、地域の歴史、農業、水利、伝説などを巡るツアーを2025年10月18日におこないました。


原さん: ご覧の通り、もうこの上秋津は田んぼが少ないんです。かつて480戸ぐらいあって、農家が350戸ぐらい。それで水田が棚田(たなだ)も含めて、山が急傾斜やから、120ヘクタールぐらいで、三反(さんだん)百姓なかったんやな。大変、あの貧しい地域だったらしくて。
なんで生活したんなって言うたら、やっぱり石垣積みに行ったり、ほから交通の便が良くなるまで、あの熊野古道(くまのこどう)の、本宮(ほんぐう)とか、かつ遠いは十津川(とつがわ)まで荷を担(かつ)いで。
山の生活物資を運んで、帰りに椎茸(シイタケ)とか、あの木炭(もくたん)とか山のもん、みんな肩担いでやる。ほいで、龍神温泉とか、龍神までとか。そんな生活で、あの、大変厳しい生活しとったらしいですわ。

今はウメですね。もうほとんど、田んぼ作ってないやろ。今、3ヘクタールぐらいや。みんなその、地域外の人が、作っとるということで。へえー。ほらもうお米は、ほんまに安過ぎたらかなあ。絶対生活できんと思うし。

でもその前に、あの江戸末期から、ボツボツと、あのミカンが増え出して。ミカンの品質の良いのは、やっぱり傾斜地で水はけが良くて、ほから石ころ混じりがええ、ということで。どんどんとこんなに開墾していったと。
ほからね、まあサラリーマンの方に悪いんやけど、僕ら若い頃、40年、50年ぐらい前は、いくらサラリーマン退職金2000万、3000万と言うても、田んぼ1枚売ったら2000万から3000万あったんや。山の急傾斜の畑でもそれぐらい。僕、平成8年にあの辺のほんまの急傾斜の段々畑を分けてもらったのが、一反、10アール150万円で、6反買ったんで900万か。4反で600万。なんと安い買い物したな、って言うてくれて。今もうあげよか、言うても、いらんいらん! 田んぼももう全く売買できんくらい。けどまああんなにして時々、まとまって売買したら住宅地になっていくわけ。

秋津野塾のウェブサイトに原さんが書かれた「温故知新-古老は語る」を紹介します。

「温故知新-古老は語る」https://akizuno.net/adata/korou.html

・秋津野のお地蔵さん
・上秋津の”講”について
・ゆけん谷の主
・多和の岡の銅鐸
・鷹尾山と千光寺
・衣笠城物語
・奇絶峡の夢物語
・明治の大洪水
・上秋津のみかん産業




同日の夕方には「地域を識る 座談会『田辺の文化的景観』」を実施しました。イタリアでテリトーリオの研究を行い、日本各地で景観保存の実践に携わる建築家植田 曉さんが原さんの秋津野ツアーをもとに以下のように述べていました。

「『テリトーリオ』とは、歴史的に形づくられてきた社会や経済の循環のシステムに支えられた領域を指します。『文化的景観』は、自然に人が手を加えて街を作ったり畑を作ったりして形成された生活圏が、視覚的に認識できる風景のことです。この二つの言葉は、非常に似た意味合いを持っています。」

「秋津野はもともと自給自足による十ほどの集落があった土地で、それぞれの集落の境界にはお地蔵さんがあり、むかしから変わらない水路があります。」

つまり、地域のなかに原さんが長年調べてきたような歴史が積み重なり、人々の生活や農業によって生み出された景観があります。それを、ただ保護するのではなく、循環的な営みの中で維持していくことにテリトーリオとして秋津野を把握する意味があるのだと考えられます。

KAWの記事 https://kinan-art.jp/info/21239

地域を識る — 座談会『田辺の文化的景観』

日時:2025年10月18日(土)19:00–20:30
場所:トーワ荘(和歌山県田辺市高雄1丁目2−14)


座談会「田辺の文化的景観」要約

本座談会は、2025年6月のオンライントーク〈みかんダイアローグ vol.8〉で、建築家・植田曉氏から紹介されたイタリアの「テリトーリオ」という概念と、その具体的実践を受けて開催された。その問題意識を引き継ぎながら、テリトーリオの視点をコモンズ農園の理念に重ね合わせ、田辺という地域を軸にしたツアーと座談会を通して、その在り方とプロセスを共有した。

本企画では、アートプロジェクト〈コモンズ農園〉を、「テリトーリオ」と「文化的景観」という視点から捉え直し、田辺・上秋津の歴史、風景の変化、そこに生きる人々の営みを通して、その可能性を考えた。昼には上秋津を歩くツアー〈地域を識る—ツアー「田辺のテリトーリオを巡る」〉が行われ、夜の座談会では、植田曉、廣瀬智央、下田学に加え、地域で暮らす岩佐郁、問山美海も参加し、地域の風景と生活の関係が多角的に論じられた。

建築家 植田暁氏

その視点から見ると、上秋津はすでに豊かな素材を備えた土地である。ツアーを通じて植田が注目したのは、集落を支えてきた水路網、江戸末期以降に広がったみかん栽培、かつての桑畑、斜面の石垣、段畑、そして十の集落と新しい集落の境界を示す地蔵などである。1970年代と現在の航空写真を比べると、新たな住宅地の出現など風景の変化も明らかだが、それは衰退の証ではなく、変化をどう受け止め、地域の力へ還元するかという問いを投げかけるものである。植田は、上秋津にも最小限の自給自足単位としてのテリトーリオがあり、さらにそれが入れ子状に広い地域や伝承へつながっていると指摘した。

続いて、岩佐と問山が、田辺に外から戻ってきた者、あるいは外から移り住んだ者としての実感を語った。問山は、未舗装の道に広がる梅畑や秋津野ガルテンの風景に農村らしさを見いだし、地域には趣味のグループやガルテンを軸とした緩やかなつながりがあると述べた。岩佐は、川沿いでカワセミに出会う散歩道や、近所同士の野菜のやり取りを挙げ、日常のなかに人と自然の近さがあると語った。また、草刈り、野焼き、溝掃除といった共同作業が、かつての厳しい共同体の名残をとどめながら、いまも景観を支えていることが確認された。一方で、みかん畑が梅へ転換されていることや、護岸工事、宅地造成など、風景が静かに変わりつつある現実も共有された。

問山氏
岩佐氏

廣瀬は、〈コモンズ農園〉を農作物の生産だけを目的とした農園ではなく、異なる立場の人々が出会い、関係を育てる「フォーム(受け皿)」だと説明した。出発点は、みかんを使った作品展示の構想だったが、単に果実を買って使い捨てるのではなく、自分たちでみかんを育て、その長い時間そのものを作品化したいと考えたことから、苗木を育て、人が集まり、対話し、変化を共有するプロジェクトへと変わっていった。土地探しに3年を要し、ようやく岩佐の家の農地を借りて植樹の段階に入ったが、その準備期間自体がすでに関係を耕す時間だったという。廣瀬はこれを「時間を耕す」と呼び、成果や効率を急ぐ現代社会に対して、アートはむしろ時間をかけることで見えてくる価値を開くものだと述べた。

また、コモンズ農園で育てるみかんについても、効率や大量生産を目指すのではなく、この土地の無農薬の履歴や、女性たちが代々守ってきた農地の物語、多品種栽培の可能性などを尊重したいと語った。重要なのは、最初から目標を固定しすぎないこと、状況や変化に応じて柔軟に進むこと、そしてその過程を面白がることである。むしろ多くの人を集めることよりも、少人数でも深く体験できる「謎の場所」として存在するほうが、この農園にはふさわしいという見通しも示された。

プレゼン参考資料 <ppt図版10「継承している人々」>

質疑では、地域住民と新住民、外部の来訪者とのあいだで、風景の「見え方」が異なることが大きな課題として提起された。農道や水路、地蔵などは、地域の人にとっては管理と労力の積み重ねによって成り立つ構造物だが、新たに来た人には自然物のように見えてしまう。そのズレをどう埋めるかに対し、下田は、同じ「みかん」や「上秋津」という言葉でも立場によって意味が異なることを可視化し、別のかたちに翻訳するのがアートの役割ではないかと応じた。植田もまた、地域資源を未来へつなぐには、行政・住民・NPO・教育が対話を重ねながら、子どもたちに愛着と記憶を残していく道筋を作ることが重要だと述べた。

全体を通じて本座談会は、コモンズ農園を単独の農園やアート作品としてではなく、営農、対話、地域の再認識、将来的な事業や教育への広がりを重ね合わせる「小さなテリトーリオ」として位置づけた。田辺の文化的景観を読み解きながら、その未来をつくるための試行として、コモンズ農園が象徴的な役割を担いうることが、参加者のあいだで共有された。

みかんダイアローグvol.8 地域を識る — 座談会『田辺の文化的景観』 (KINAN ART WEEK)

*この座談会は公益財団法人小笠原敏晶記念財団の助成により行われました。

写真:下田学

粘土団子の旅(ワークショップ)


紀南アートウィーク2024「いごくたまる、またいごく」
ワークショップ「粘土団子の旅」
日時:2024年9月28日(土)
会場:SOUZOU(和歌山県田辺市中屋敷町70)


午前中に「粘土団子作り」を行い、午後には実際に柑橘畑に行き「極早生みかんの収穫」を行う一日体験のワークショップ

午前(9:00~12:00)
粘土団子作りは、「不耕起 無肥料 無除草」を特徴とする福岡正信流の自然農法を体現化した「粘土団子」からインスピレーションを受けてデザインされたワークショップです。数種類の野菜や花などの種を粘土と混ぜて団子を作り、畑に撒いて放置します。その団子の中に練り込まれた種は、自然の環境状態を察して発芽します。福岡正信氏の思想と農業の実践は、我々のコモンズ農園の大きなヒントになると考え、参加者と共にこの体験を共有していただきました。

昼食(12:00~13:30)
コモンズ農園や粘土団子、みかんなどについてお話をしながらSOUZOUのランチをいただきました。

午後(14:30~16:00)
地元の柑橘農園、尖農園を実際に訪問し、参加者の皆さまと一緒に土に触れ、農園の空気を体感しながら、極早生みかんの収穫体験を行いました。

<みかんの旅 >展

長野県立美術館 <みかんの旅 >展
期間:2023年11月3日(金・祝)~2024年2月12日(月・祝)
主催:長野県、長野県立美術館
協力:アウラ現代藝術振興財団、小山登美夫ギャラリー、和歌山県紀南みかん農園

長野県立美術館・アートラボでの展示では、におい(嗅覚)とみかんをテーマに、展覧会『みか んの旅』と、現在も進行中のアート・プロジェクト「コモンズ農園」を往還しながら、諸感覚が もつ豊かさをあらためて捉え直し、新しい価値観の創出や、精神的な豊かさを回復するためのヒ ントを探りました。 人間がもつ原初的な感覚は本来豊かなものである一方、現代の日常生活では、身体的感覚を実感 する機会が少なくなっています。
展覧会では、自己を取り巻く環境や世界と向き合う際に、言葉になる以前の未分化な身体感覚をもう一度積極的に取り戻すことが、日常のレベルでも新たな経験 の獲得につながり、生きるうえでの豊かさへと結びつく可能性を示しました。 また、地球の生態系の危機や、私たち人間の生の基盤が揺らぐ状況のなかで、「いま、私たちはど のように世界と接続し、来るべき未来のリアリティを紡いでいくのか」という問いが立ち上がって きました。 そうした問いを、さまざまな人々が交流しながら考えていく場として構想されたのが「コモンズ 農園」です。
「コモンズ農園」は、農作物を収穫する場であると同時に、自由な共有資源(モノ・ 知)を収穫し、よりよく生きるための知恵を見いだす場所として、機能していく予定です。『みかんの旅』展の会場には、近い将来オープンするとされた「コモンズ農園」の未来像を想像 するための要素が空間として構成されました。また、関連企画として、ワークショップ<いちどた めしてごらん>、<メイルプロジェクト016>も行われました。

みかんの旅ー観察ノート PDF

アートプロジェクト〈コモンズ農園〉ハンドアウト(2023年10月15日発行) PDF

いちどためしてごらん


ワークショップ「いちどためしてごらん」(2023年10月22日 秋津野ガルテン)
紀南アートウィーク2023 「みかんかく」


【第一部】視覚と触覚
作品、いちど試してごらん(1992)の制作プロセスを追体験していただき、視覚以外の身体感覚をフル動員させながら実体験することで、知覚の曖昧さや感覚の豊かさ、視覚のみに頼らない感覚のあり方を考察します。

【第二部】視覚と嗅覚
匂いは拡散してく特性があるため、感覚の中でも特に嗅覚は他の感覚器官に比べて主観的で性差や個人差も大きくなります。そこで、実際に視覚を遮断し嗅覚のみによる体験をしていきます。みかんの香りをテーマにこの感覚を研ぎ澄ます体験を行いながら、嗅覚における自他が混じり合うような特徴を体験できるようなワークショップです。


未来の「コモンズ農園」を共同でつくるワークショップ 

私たちは同じものを見ているようで、それぞれ見ているものは違う。感じ方も違う。個人の記憶や経験がさまざまに作用し、同じ出来事を別のものとして捉えていることがある。ふと人々は分かり合えない孤独を抱えているような気持ちにもなるが、そんなことはなくて、だからこそ世界は人の数だけ豊かであるともいえる。

のっけからまどろっこしいことを書いて恐縮だが、これは紀南アートウィーク2023で行われた廣瀬智央のワークショップを記録映像で振り返ったときに頭によぎった感想だ。同時に、木造の旧小学校の元家庭科室に注ぎ込む太陽の光に包まれた暖かい秋の日の記憶が蘇る。そこでは廣瀬の進行のもとで参加者の作業や対話が行われていた。じつに穏やかな時間がゆっくり流れる風景である。それを何度も記録映像で見ていると、はじめに見るのと2度、3度目に見るときでは目を止める箇所が変わっていくことに気づく。つまり、他人どころか、自分が同じものを見ていても見方は変わっていくのだ。

さらに参加者たちは、参加動機、一人ひとりが仕事や家族と離れて参加した事情も違うし、ときおり目の前の他人を意識した自分の行動や発言によって自己省察もしている。そうした細やかな個別性を一人ひとりが抱えながら、共通の作業をしている様子を見て、冒頭のような感覚をおぼえたのだ。

さて、肝心のワークショップはこのように進んだ。まず参加者はホームセンターなどでよく見る軽量レンガを丁寧に観察して、似た大きさの発泡スチロールのブロックを削り、同じ形を作るように指示される。作品制作の基本的なトレーニング、模刻を体験する。これは見てとらえた形を手によって再現する一見単純な行為だが、素材の硬さや道具の扱いに慣れるまでのあいだ、自分の手はまるで他者のように言うことを聞かない。しかし、次第にナイフと紙やすりの扱いに慣れていくと、もっと細部を再現したい欲求に駆られる。映像でも、はじめの戸惑いから一変して集中力が増していく様子が短時間で見て取れる。

次に参加者はそれが見えなくなるまで、毛糸をぐるぐる巻きつけるように言われる。すでに二つのブロックを触ることで表面のテクスチャに馴染んでいるので、それらに沿って毛糸がしっかり巻き付くように軽く引っ張りながら、人によって規則正しく、あるいは乱雑に巻き付けていた。

さて、ワークショップはここまでが制作編で、その後作業をしていたテーブルは脇に寄せられ、全てのブロックが床に置かれた。外観が毛糸で包まれているので、もうレンガと発泡スチロールの区別はつかない。参加者はどちらかを思い浮かべ、一つを選んで手に取ってみる。そうするとふわりとした柔らかい手触りのあと、伝わってくる重さが脳の予測と違っていると手と腕の筋肉が少しバランスを崩す。シンプルな賭けによって、脳と腕の間のつながりが強く意識されるのだ。

第二部は、一転して目隠しによって視覚の働きを止める。何も見えない状態で参加者はみかんを手に取り、皮を剥き、食べる。さらに植物の葉が手渡され、それを軽く揉んで匂いを嗅ぐ。どれも視覚を奪われたことによって触覚や嗅覚が鋭敏になる経験である。とくに柑橘類は実ではなく葉に特徴がある。驚いたことに、数ある柑橘類の中から配られた葉がレモンとコブミカンであることを当てた参加者がいた。さすが日本有数の柑橘類の産地である。

最後は木造の旧小学校を出て、たわわに実をつけた木が多くあるみかん農園を歩き、農家さんから育て方や美味しいみかんの見分け方を教えてもらった。普段見ることがない収穫前のみかんの木を前にしながら、土から吸いとった養分が生み出す甘みと酸味のバランスを、どのように管理しているかを説明してもらった。みかんの縦横の比率、表面のデコボコなどに、そうした見えない領域の活動が現れていると知るのはとても興味深いことだった。農家さんたちは私たちには見えていないものが確実に見えている。

さらに、子供たちには、美味しいみかんを食べることだけでなく、軽トラの荷台に乗って急斜面を走るのも好評だった。農家さんにとっては当たり前の日常が、テーマパークの乗り物級に人気を得ていた。それと、普段は毎日作物を出荷するだけだが、美味しいと言いながら食べる声を直接聞けるのがいいと農家さんが最後に語っていたことも印象的だった。

実際、多くの一次産業の生産者が自分たちでつくりだしたものが持つ価値を実感するのは簡単ではないかもしれない。それを栄養として身体に入れ、味わう人々とのあいだには仲介業者(市場)が挟まっているからだ。農家は市場の要望をもとに作物の味や形の管理している。そのシステムでは最終的に作物の恵みを得る私たちは消費者と呼ばれる。その私たちも生産者たちがどのような作業をおこない、どんなことを考えているのかを知ることはほとんどない。

はじめて紀南を訪れた時から廣瀬は実際に農園にでかけ、多くの農家さんと話すうちに、その仕事ぶりや植物の知識に魅了されていた。またいっぽうで、その魅力ある経験や知識は商品としてのみかんをつくることを大きく超えているようにも感じていたのではないだろうか。農家が語る言葉には土地の歴史や地形と結びつく話や、もっと人間や生き物がともに共存していくための知恵を感じることもあった。それは日々自然と触れることでつくりあげている文化そのものである。市場に商品を出すという行為だけでは、とても語り尽くせるものではないのだ。

そして廣瀬はこう考えた。商品の生産が生活の生業として重要なのはよく理解できる。ただ、それに留めず、みかんづくりの豊かな知識と経験が解き放たれるような場所をつくりたい−という提案が「コモンズ農園」という構想にむすびつく。背景には、豆やレモンなど自然の素材をつかって作品を制作してきた経験や、イタリアでワインをはじめ豊かな食文化を生み出す農家を訪ねてきた経験があったであろう。

今年制作した小さな冊子「アートプロジェクト〈コモンズ農園〉」のなかで彼は、生き物たちが互いに依存し合う微生物の世界を探求した南方熊楠のマンダラ図を掲げ、分業化された産業や社会の分断を乗り越える可能性を考えるために、異なる立場の人々が集う農作物を育てる場を構想する。

それははたしてユートピアなのだろうか。理想郷やどこにもない場所なのだろうか。モノを作り、自分の感覚を確認し、植物の豊かな恵みを感じ取り、そして農家だけでなく地域のさまざまな人が集まり、語り合う実践は、紀伊田辺の10月のある日に、木造の旧小学校と農園を舞台に実際におこなわれていた。暖かな秋の一日は、そんな「コモンズ農園」の未来の姿を一部垣間見るような体験だった。

住友文彦(キュレーター)

みかんの苗木の旅

みかんの苗木の旅 通信は、苗木の里親の皆さまをはじめ、コモンズ農園の活動に参加してくださっている方、また関心を寄せてくださっている方々に向けて、不定期でお届けしているウェブ通信です。コモンズ農園の近況や季節ごとの動き、みかんの苗木や柑橘にまつわる話題を中心に、農園で生まれているさまざまな出来事や思考の断片をお伝えしています。

通信では、苗木の成長の様子や農園での作業風景、土地や季節の変化といった日々の記録に加え、みかんや柑橘類をめぐる文化、記憶、暮らしに関わる話題も取り上げます。また、紀南アートウイーク代表の藪本の読書案内やスタッフによる小さなレポート、農園を訪れたゲストの方々との対話、寄稿やコラムなども交えながら、柑橘を入り口に人と土地、人と人とのつながりがゆるやかに広がっていくような内容を目指しています。

この通信は、単なる活動報告にとどまらず、コモンズ農園という場がどのように育まれ、変化し、ひらかれていくのかを共有するためのひとつの窓でもあります。みかんの苗木を通して結ばれたご縁を大切にしながら、農園の現在地とこれからを、皆さまとともに見つめていくための媒体として発信しています。


みかんの苗木の旅」通信 アーカイヴ

「みかんマンダラ」展

KINAN ART WEEK 「みかんマンダラ」展
日時:2022年10月6日(木)〜10月16日(日)
場所:和歌山県紀南地域 田辺市内各所

「みかんコレクティヴ」の話し合いやリサーチをもとに、蜜柑の栽培、及びその生態と周辺環境を、南方熊楠が熊野の生き物に見出した宇宙的広がりと重ね合わせてみる試みとして、4会場を使った展覧会が開催されました。

この展覧会で、作品《みかんコレクティヴ》が展示され、「コモンズ農園」の長期プロジェクトがはじめて提案されました。

そのほか、「菌と共生 / 菌根ネットワーク」をテーマにしたSOUZOU(旧岩橋邸)では、《ビーンズ・コスモス》や《フルーツの塔》を展示し、「土と根 / 見えない根を探る」をテーマにした愛和荘では、写真作品《クマノ・ラディーチ》と複雑な根の構造を使った作品《無題》が展示されました。

手前:廣瀬智央《ビーンズ・コスモス(蜜蝋)》2019年、奥:廣瀬智央《フルーツの塔》2022年
廣瀬智央《クマノ・ラディーチ》2022年
廣瀬智央《無題》2022年

KINAN ART WEEK 2022「みかんマンダラ」 を振り返る
https://kinan-art.jp/info/11413/

この展覧会では、日本や東南アジアのアーティストが人と自然環境の関係性に目を向けた作品が多く並びました。それらを通して、人間にとって植物はつねに身近な周辺環境に存在しながら、鑑賞され、食され、その過程で信仰や物語によって意味や概念が変化し続けてきたことが伝えられます。

とくに微細かつ豊穣な菌や見えない場所で生命を支える根の役割に注目することは、人間中心の世界観を大きく覆すきっかけを私たちに与えてくれます。

熊野古道と南方熊楠の土地で、これらの作品を見ることは科学や経済によって生産性を優先する豊かさを追求してきた近代化への異議申し立てのように感じられました。

「コモンズ農園」がそうした近代化とは別の価値観を模索する試みであるとすれば、それはどのように可能なのでしょうか。

同時期に実施されていたドクメンタ15とアルテポーヴェラの実践を結びつけるメール対談としては、「コモンズ農園の歴史的文脈を語る(前編)(後編)」を参照してください。

みかんダイアローグ (抄録)


みかんダイアローグ Vol.3 『みかんトーク-紀南のみかん農家に聞く-』
2022年8月5日(金)19:30〜20:30オンライン(撮影会場:秋津野ガルテン)
聞き手:藪本 雄登(「紀南アートウィーク」実行委員長) 

就農者がなかなか増えないなか、地元でみかん農業を親から引き継いだ若手農家たちはどんなことを考えているのだろうか。そこでは、生業として農業を続けていく難しさや技術や経験をどう継承し新しくしていくことができるのかといったことが生々しく語られるだけでなく、植物や自然を注意深く観察する態度とそうした経験がとても興味深く語られている。

抄録版ではなく全文を参照したい方はこちら

小谷大蔵さん(農家)
8年前、子供が生まれたのをきっかけに家業である農業を引き継ぐ。柑橘をはじめ、梅、米、野菜をJAや直売所にて販売。荒廃園地を再生して果樹の種目を増やすなどし、積極的に園地の拡大を図っている。今後の目標は、後継が作業しやすい園地を作っていくこと!

鈴木秀教さん(農家・料理人)
田辺市下万呂で柑橘を中心に梅、米、野菜 (枝豆、さつまいも、ハバネロ等) を栽培。元ホテル料理人。自らトラックを塗装し、今年の2月からキッチンカー「PEASANT KITCHEN SÛ (ぺザント キッチン スー) 」という名でスイートポテト等の販売を開始。自分たちの手で「生産・加工・販売」全てが補えるスタイルを模索しながら日々研究を重ねている。

野久保太一郎さん(果物農家)
上秋津にある十秋園 (とあきえん) の5代目園主。30種類の柑橘、梅、キウイ等を栽培。三重県の鈴鹿サーキットに勤務していたが、24歳の時、心境、環境の変化により帰郷。現在では、田辺市の「関係人口」創出のため、都会からの農業体験者を受け入れたり、地元のうなぎ店とタッグを組み「うなぎの骨」を再利用したオリジナル肥料を製造したりと、枠にとらわれない農業スタイルを邁進中。

松下真之さん(みかん農家)
高校卒業後、大阪・和歌山の地元スーパー「松源」に入社し、日常の業務を行いながら社会人野球のチームで活躍。そのあと、和歌山県田辺市の上芳養にある実家、松下農園で家業を手伝っている。農園の経営をされている父親と二人三脚で、みかんや梅の畑作業を勤しんでいる若手農家。



●紀南の地理と農業の特色

藪本:紀南では、みかんの生産が減っているということを聞いたのですが、それは本当なのでしょうか。

松下:そうですね。ほとんどの地域で減っているのではないでしょうか。うちのところも、もともとみかんがメインだったんですけど、梅の方がお金になるし、みかんは手間がかかり梅の方が成長も早いので、植え替えのタイミングで梅に変えています。

鈴木:手間はかかりますよ。世話する期間が長いです。お金になるまで時間がかかる。植えてから10年くらいは安定した収穫はできないですね。

野久保:そうですね。みかんで頑張っている農家が多いから、必然的にみかんをやっています。それでも、2、30年くらい前から梅の方が価格がいいので、暮らしを追い求めて梅栽培をする、という人も増えています。それでも柑橘を作っている人というのは、だんだんプロフェッショナル化していっていますね。秋津野ではみかんをしっかり作っていくのではないでしょうか。

野久保:ぼくが就農したのは22、3年前ですけど、当時はみんな梅か温州みかんと晩柑の数種類だけだったんです。でも、リスク分散のために毎月収入を得られるようにしよう、という話になって種類を増やしたんですよ。
おかげさまでうちでは30何種類かの柑橘を作っているんですけど、毎月収入があるということは、毎月世話をしないといけないし、並行する作業がすごく増えてしまったんですよね。だんだん自分で自分の首を絞めているような感覚がします(笑)。最近はどうしようか悩み中です。種類をまとめて減らしながら、新しい品種を増やしていこうかと。
20年前に植えた温州みかんが、今、主力になってきました。20年以上積み上げてきたものの結果が出てよかったな、といった感じですね。

●みかんの技術伝承

藪本:もうひとつの質問なのですが、「技術伝承」は、どうやって行われているのでしょうか。今回、私がフィールドワークをする中で知ったのは、地域ごとの横のつながりがあまりないな、ということです。
地域ごとにどういう形で伝承されているのか、周りの農家との関係はどうなのか、などが知りたいですね。あまり近づかないようにして技術を守っているのかなとか思ったりするのですが、そのあたりどうでしょうか。独自の技術が受け継がれていると思う反面、あまり交流がなさそうだな、と思うのですが。

野久保:教科書的なことは、農協がやってくれている講習会でだいたい教わります。あとは家庭で父親が師匠になって教えてくれます。あとは自分たちと同じような世代の農協の青年部で勉強会をしますね。
地区を飛び越えて横でつながるというのはなかなかないですね。だから僕も今日の参加者のお三方とも初めて会いましたよ。
土地の違いは大きくて、自分のところの畑の中でも違います。わずか10メートル違うだけでも変わってきますし、木の1本1本が違います。
標高で違いが分かれてくるかな。大坊地区(*)なんかはそれを特徴として利用していますよね。標高が高いから年をまたいで完熟みかんを作っています。
技術じゃないですけど、うちは3年前くらいから自分の土地に合った肥料を作りたくて、地元のうなぎ屋が廃棄しているうなぎの骨を使って、再生肥料をやっています。ただ、肥料ひとつで味が変わるものでもないので、難しいですね。「うなぎの骨を使ったみかん」というブランド化はしたかったんですけど、どうしてもそれが味に出てこないんですよ。まだ3年目で、6、7回肥料をやっただけなんですけど、結果は出にくいですね。土地というのは深いし、難しいです。

(*)大坊地区・・・大坊みかん(おおぼうみかん)は、和歌山県田辺市芳養町(はやちょう)大坊地区(おおぼう ちく)で栽培されるウンシュウミカンのブランドである。その特徴は、他の多くの早生温州が12月までに収穫・出荷を終えてしまうのに対し、木に実を付けたまま熟成させて1月を過ぎてから収穫する点にある。(参考:Wikipedia)

●みかん農家の思考について

藪本:就農されてから植物全体に興味を持つようになりましたか。木や根や土を見るようになったとか。

野久保:そうですね。結果は「みかん」として出来上がるんですけど、「どういうふうに木を育てていこうか」を考えますね。「実」を育てるというよりは「木」を育てる、というように変化しました。
対外評価として「糖」の「~度以上」というブランドが出来上がっているので、「糖度」を追い求めてしまうのは仕方がないところかと思いますね。
ただ、甘いだけじゃなくて、食べたらおいしいというのが大事ですね。
「おいしいみかんを作るために糖度を上げるのか?」
「糖度が高ければおいしいみかんなのか?」というのは、一つの問いですね。
直売では「糖度」を表示してないですね。直売では「あの人のものだから買いたい」「あそこの農園のものだから買いたい」という基準で選ばれていますからね。

鈴木:名前で選ばれますね。

野久保:そうですね。それに対してスーパーでは、「糖度」を基準にしたブランドで選ばれます。直売所では、農園のファンに選んでもらえますからね。

鈴木:やっぱり農園によって少しずつ味が違うんですよね。

野久保:皮の厚さが違うとかね。そこに謎のおいしさが加わるんですよね。

鈴木:そうそう。

藪本:糖度を上げようとすると、樹木に負担がかかるんですよね。マルチを増やしているところを見ると、木をイジメているような感じがするのですが。

鈴木:そうなんですよ。なんだか虐待しているみたいなんですよね。

藪本:甘さを出そうとすると木に負荷がかかって、結局木がもたなくなるのではないか、という気がします。

野久保:その通りですね。

松下:ケアが大事ですね。

野久保:ケアもしてあげないといけないのだけれど、ケアまでしてあげる時間の確保が難しいですね。

藪本:接ぎ木にすごく興味があります。植物は人間とは全然違う存在なんだと感じます。人間は、細胞が移転するので、「接ぎ指」とかできないですよね。でも、植物の場合って、藪本の木に松下がくっついてくる、ということが成り立つわけですよね。

野久保:簡単に品種転換できるので、すごく便利ですね。接ぎ木を早めにやってしまえば、来年、再来年にはそれなりにいい枝になるんですよ。

鈴木:収穫ができるまでが早いです。でも、枯れるのも早くなります。

藪本:あまり人気がなくなってきた品種を差し替えたりするわけですか。

小谷:そうですね。

藪本:その時みかんって、どう思っているんでしょうね。

松下:びっくりしてると思うよ(笑)。

鈴木:前向きに受け止めてくれたらいいですけどね。

野久保:新しい品種をダメな木に差し替えて増やしていけるのでいい技術ですが、問題は寿命が短くなることですね。1回切っているし、根にも多少ダメージがあります。

みかんの新しい可能性

野久保:秋の空にみかんが映えるんですよ。すごくきれいです。木自体は太陽に向かって伸びていて、みかんは木の上に実る果物ですからね。みかんは空と合いますよ。太平洋側は冬でも空が青いですし。

藪本:確かに、西洋の世界ではみかんは「太陽」の象徴として捉えられています。「柑橘類と文明」という本にも書かれていますね。(ヘレナ・アトレー「柑橘類と文明: マフィアを生んだシチリアレモンから、ノーベル賞をとった壊血病薬まで」築地書館、2015)
逆に、みかんを育てられなくなって、技術を他のことに転用しないといけない可能性とかはないでしょうか。

小谷:考えますよ。気温がすごく上がってきていますからね。

鈴木:みかんの日焼けがここ数年ひどいですね。

小谷:木の上のみかんが太陽の光で焦げるんですよ。水分が蒸発して真っ黒になるんです。燃やして焦げる感じとはちょっと違うんですけどね。

野久保:品種改良とかね。今のみかんは昭和30~40年に品種改良してできたみかんです。今の気温に合わせるとしたら、「日焼けに強い」みかんを開発していかないといけないのではないでしょうか。

藪本:そういった技術開発って、自分たちでできるものでしょうか。

野久保:違う品種同士を受粉させて、できたものを植えて結果を見るということを繰り返して、20年くらいかかるでしょうね。

藪本:みかんの山の景観を見ると素晴らしいな、と感じますが、そこはもう当たり前の風景でしょうか。

松下:たまに感じます。どこかから戻ってきたときとかは感じるかな。

野久保:田辺って、海も近いし、紀伊山地もあるし、起伏があるからすごく景色がいいと思います。

藪本:コメント欄の方に質問が来ているようですね。「糖度の話がありましたが、逆に酸味に振り切ったみかんを作れるんですか。甘いみかんより酸味のあるみかんの方が好きなので、酸っぱいみかんを食べたいです。」

野久保:すばらしい!(笑)。品種によっては酸味の高いみかんというのがありますね。それを普通に作るというか、甘味はあっても酸っぱくさせるやり方というのもありますね。

藪本:どうしたらいいのですか。

野久保:水の量を調整します。もともと酸が高いところに水を増やすと、糖度が上がらず相対的に酸っぱく感じるかと。

藪本:水を切ると糖度が上がるので、その反対ということですね。

野久保:けっこう「甘い、甘い戦争」で、酸味があるみかんは淘汰されてきているんですね。逆にそこを求めてくれる人がいれば、昔の品種を復活させることもできます。

藪本:私は八朔が一番好きです。ところで、さっきの理論でいうと、酸味の高いみかんは値段が下がるのでしょうか。

野久保:農協などの市場流通では価格が下がったりしますね。現金を多くもらおうとすれば、糖度の高いみかんを作ることになります。
ただ、酸味が高いものが欲しいという方もいらっしゃるので、そういう方は、直売所巡りをしていただけると、ご自身に合ったみかんが見つかるのではないでしょうか。
そういうのも楽しいと思いますよ。静岡や愛媛、和歌山、佐賀、長崎などの直売所を巡って「私の好きな酸味のあるみかん」を探す旅もおもしろかもしれませんね。

根について

藪本:最後に聞きたいのは、「根」についてです。古事記で熊野は「根の堅州国」と表現されていて、「根」について考えるには最適な場所なんですよね。「根の国」はスサノヲを祀っていると言われているのですが、皆がどのように「根」をとらえているのかを教えてください。
たぶん、剪定の技術とかにもつながっているのではないでしょうか。枝の動きと根の動きはつながっているんですよね。

小谷:枝が伸びたところまでは、根も広がっていますね。

野久保:「土がガチガチやけど、ちゃんとこの下根っこ生えてんのかな」とか、土の固さで根っこを見たりしますね。さっき小谷が言われていたように、木の一番遠い外周の木の枝まで根が広がるので、これをどうやって活かすかな、とか考えますね。夏は気温も高いので、マルチで根っこを守ってあげるやり方もあります。
マルチはストレスをかけて水分を減らす「水分ストレス」という方法に使われてきましたが、最近は夏場にマルチを敷いた方が採光から守れるという使い方もされています。日傘をさしてあげる感覚でしょうか。
野菜なら掘り起こせば土の中のすべてが見れますが、樹木なので、根っこの世界は想像でしか見られません。根っこを見るのは最初に植える時だけですね。もう「土の世界」におまかせです。
畑を耕すことができないので、表層に細かい根っこをふやしていこうとしたら、別の土を乗せていくことになりますね。

藪本:小さい根でも通れるようにということでしょうか。根は横に伸ばすと果実は良くなるのですよね。それはどうしてでしょうか。

野久保:直根(※)ばかり伸ばすと、そこで水ばかり吸うようになってよくないんです。細根が枯れてしまうと、直根ばかりが水を吸うことになります。木は育つのですが、果実としてはよくないですね。

(※)直根・・・種子から初めて真下に伸びた根のことを指す。この根が下に伸びる力で幹は高くかつ太くなる(参照:コトバンク)

鈴木:大きいカチカチの木だけができることになりますね。

生きられた土地


ワークショップとパフォーマンスの複合形態
日時:1996年8月7日(水)- 18 (日)
場所:札幌市内の空き地


概要
ワークショップとパフォーマンスの複合形態〈生きられた土地〉は、廣瀬智央が渡伊後、日本で初めて開催した個展「Una Volta」展(リーセント・ギャラリー、札幌、1996年)の関連企画として、建築家・植田暁とのコラボレーションにより実施された。

1991年頃のバブル崩壊以降、日本各地で顕在化した放置空き地・空き家の問題は、地価高騰と投機熱が冷え込むことで生まれた「都市の余白」である。本企画では、展覧会会場のある札幌市内に点在する多数の放置空き地に着目し、現実に広がるいわば「負の遺産」へと視線を向けた。ここで重要なのは、空き地をバブル崩壊の政治的・経済的な帰結としてのみ断罪するのではなく、都市論的な観点と表現者の視点を交差させながら、「想像力の喪失」「記憶の抹消」「都市の均質化」といった問題群を浮かび上がらせ、批判的に提示した点にある。

会期中の約2週間、放置された空き地に特設のテントサイトが設営され、通行人が立ち寄り、交流できるゲリラ的なコミュニケーションの場が出現した。関係者が寝泊まりしながら24時間運営するその仮設空間には、通りがかりの市民、学生、アート関係者、建築家など、立場の異なる人々が出入りし、昼夜を問わず意見交換やパフォーマンスが行われた。 都市のなかに突然あらわれた「使われていない場所の祝祭的な活用」は、多くの人の目に触れ、強い違和感と同時に、別の公共性の可能性を示した。



〈生きられた土地〉パフォーマンスとワークショップの複合形態が展開した主な問題提起

1)都市の「均質化」と固有性の喪失

バブル期の地上げによって古い路地や歴史的建造物が破壊され、崩壊後にはそれらが「どこにでもあるアスファルトの駐車場」へと置き換わっていく。土地固有のコンテクストが剥奪され、都市が個性を失い、記号化された交換可能なスペースへと転化していくことへの批判が示された。

2)「スクラップ・アンド・ビルド」という強迫観念

建物に時間や愛着が蓄積する前に、経済合理性だけで空間をリセットしてしまう姿勢。空き地は、かつてそこに誰かの生活があったという事実を、逆説的に「記憶の欠落」として可視化する。個展「Una Volta」が記憶や身体性を主題に据えていたこととも呼応しつつ、都市が“死”や断絶(空き地)を隠蔽していくことへの違和感が提示された。

3)所有権による「公共性」の私物化

本来、都市は多様な人々が関わり合うコモンズ(共有地)であるはずだが、放置空き地は「所有者が不明」といった理由によって、市民の利用や関与の可能性を奪われている。経済的価値を失った場所をあえて観察し、使うことで、効率一辺倒の価値観を批判する。24時間開かれた仮設テントでの出来事を祝祭的に展開した点は、その批判をユーモアと実践として提示する試みでもあった。

4)「見えない層」の不可視化

きれいに更地化された空き地は、そこにあったはずの闘争や痛みの歴史を塗りつぶす。華やかな都市像の背後にある空き地の裏側、路上生活者の視点、廃棄物といった周縁に焦点を当て、資本主義が排泄した「ノイズ」をあえて前景化することで、清潔すぎる都市計画の欺瞞を批判した。隙間、遊び、カオス、祝祭性を炙り出すことが、都市の別のリアリティを回復する行為となった。 1996年の〈生きられた土地〉は、今日一般化している「地域/都市に開かれた参加型プロジェクト」が日本で制度化される以前に、都市の空き地を舞台に仮設のサイトを立ち上げ、対話と関係性の生成を通じて都市の均質化や記憶の欠落を批評的に可視化した点で、先駆性と継続性を示す重要な起点として位置づけられるのではないだろうか。その後、東京の佐賀町エキジビット・スペースで開催された「都市とアート」をテーマとする1998年の〈プロジェクトA.P.O.〉、さらに2022年から進行する〈コモンズ農園〉へと、この問題意識を連続させながら、方法論と形を変えながら接続していくことになる。