フィールドワーク 上秋津の歴史と文化
地元の上秋津で長年地域づくりに携わってこられた原和男さんをゲストに、地域の歴史、農業、水利、伝説などを巡るツアーを2025年10月18日におこないました。

原さん: ご覧の通り、もうこの上秋津は田んぼが少ないんです。かつて480戸ぐらいあって、農家が350戸ぐらい。それで水田が棚田(たなだ)も含めて、山が急傾斜やから、120ヘクタールぐらいで、三反(さんだん)百姓なかったんやな。大変、あの貧しい地域だったらしくて。
なんで生活したんなって言うたら、やっぱり石垣積みに行ったり、ほから交通の便が良くなるまで、あの熊野古道(くまのこどう)の、本宮(ほんぐう)とか、かつ遠いは十津川(とつがわ)まで荷を担(かつ)いで。
山の生活物資を運んで、帰りに椎茸(シイタケ)とか、あの木炭(もくたん)とか山のもん、みんな肩担いでやる。ほいで、龍神温泉とか、龍神までとか。そんな生活で、あの、大変厳しい生活しとったらしいですわ。
今はウメですね。もうほとんど、田んぼ作ってないやろ。今、3ヘクタールぐらいや。みんなその、地域外の人が、作っとるということで。へえー。ほらもうお米は、ほんまに安過ぎたらかなあ。絶対生活できんと思うし。
でもその前に、あの江戸末期から、ボツボツと、あのミカンが増え出して。ミカンの品質の良いのは、やっぱり傾斜地で水はけが良くて、ほから石ころ混じりがええ、ということで。どんどんとこんなに開墾していったと。
ほからね、まあサラリーマンの方に悪いんやけど、僕ら若い頃、40年、50年ぐらい前は、いくらサラリーマン退職金2000万、3000万と言うても、田んぼ1枚売ったら2000万から3000万あったんや。山の急傾斜の畑でもそれぐらい。僕、平成8年にあの辺のほんまの急傾斜の段々畑を分けてもらったのが、一反、10アール150万円で、6反買ったんで900万か。4反で600万。なんと安い買い物したな、って言うてくれて。今もうあげよか、言うても、いらんいらん! 田んぼももう全く売買できんくらい。けどまああんなにして時々、まとまって売買したら住宅地になっていくわけ。

秋津野塾のウェブサイトに原さんが書かれた「温故知新-古老は語る」を紹介します。
「温故知新-古老は語る」https://akizuno.net/adata/korou.html
・秋津野のお地蔵さん
・上秋津の”講”について
・ゆけん谷の主
・多和の岡の銅鐸
・鷹尾山と千光寺
・衣笠城物語
・奇絶峡の夢物語
・明治の大洪水
・上秋津のみかん産業

同日の夕方には「地域を識る 座談会『田辺の文化的景観』」を実施しました。イタリアでテリトーリオの研究を行い、日本各地で景観保存の実践に携わる建築家植田 曉さんが原さんの秋津野ツアーをもとに以下のように述べていました。
「『テリトーリオ』とは、歴史的に形づくられてきた社会や経済の循環のシステムに支えられた領域を指します。『文化的景観』は、自然に人が手を加えて街を作ったり畑を作ったりして形成された生活圏が、視覚的に認識できる風景のことです。この二つの言葉は、非常に似た意味合いを持っています。」
「秋津野はもともと自給自足による十ほどの集落があった土地で、それぞれの集落の境界にはお地蔵さんがあり、むかしから変わらない水路があります。」
つまり、地域のなかに原さんが長年調べてきたような歴史が積み重なり、人々の生活や農業によって生み出された景観があります。それを、ただ保護するのではなく、循環的な営みの中で維持していくことにテリトーリオとして秋津野を把握する意味があるのだと考えられます。
*KAWの記事 https://kinan-art.jp/info/21239
