下津きょうだいみかん山は、和歌山県海南市下津町の標高約400~500メートルの山上に広がるみかん農園である。空が近く、遠く大阪湾を望む開放的な景観をもつこの農園では、京都大学農薬ゼミとともに、農薬にできる限り頼らない省農薬栽培が50年以上にわたって続けられてきた。農園の原点には、1968年に農薬中毒によって17歳の高校生が亡くなった痛ましい出来事がある。その死を契機に、農薬のあり方を根本から問い直し、安心して口にできるみかんづくりを目指す実践が始まった。現在では無農薬や有機栽培という言葉も広く知られているが、当時としては先駆的であった省農薬栽培を、土壌改良や病害虫調査を重ねながら地道に継続してきた点に、この農園の大きな意義がある。

「きょうだい」という名称には、三つの意味が込められている。第一に、設立当初から長年にわたり農園を支えてきた京都大学農薬ゼミとの結びつきである。第二に、石田元教授や歴代のゼミ生、二代にわたって省農薬栽培に取り組んできた仲田家、さらに地元農家や農業関係者たちのあいだに育まれてきた、兄弟のような連帯である。第三に、そうした思想と営みを受け継いで農園を引き継いだ園主・大柿肇氏の存在、そして今後この農園のみかんを通して出会う人びともまた、その「きょうだい」の輪の一員として迎え入れたいという願いである。農園の名は、単なる呼称ではなく、実践を支えてきた協働の歴史と、これからの関係の広がりを象徴している。

また、この農園のもう一つの特徴は、編集者の橋本勲氏と園主の大柿氏が協働し、みかんを育てる生産の場にとどまらず、農と自然を体感する滞在の場を実現している点にある。標高500メートルの「天空の農園」には、ウッドデッキ、
1963年製のトレーラーハウス、薪風呂、オーストラリア製の水洗式バイオトイレが整備され、静かな山上の時間を過ごせるキャンプ空間がかたちづくられている。そこでは、鳥のさえずりや風の音に包まれながら、農園主から農業の現実や食の安全について話を聞き、農園で採れる季節の恵みを味わうことができる。1・2月の蕗の薹、4・5月のタケノコや山蕗、5月のみかんの花の香り、6月のびわ、9月の栗など、この農園には四季折々の気配が満ちている。一般的な段々畑とは異なり、緩やかな斜面に広がる園地を散策できることも、この場所ならではの魅力である。


日本書紀にも記される柑橘の発祥地・下津に根ざし、伝統的な「蔵出しみかん」の文化とも隣り合いながら、下津きょうだいみかん山は、農業の歴史と未来をつなぐ実践を続けている。そこでは、みかん栽培の技術だけでなく、土地の記憶、人びとの連帯、自然とのつきあい方そのものが受け継がれ、更新されている。下津きょうだいみかん山は、省農薬栽培の思想と実践を核に据えながら、農業、滞在、対話、風景体験をひとつに結び、人と土地との関係を新たにひらく農園である。
2024年10月02日に下津きょうだいみかん山を訪問した。
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<下津きょうだいみかん山>から考えるコモンズ農園の実践
〈下津きょうだいみかん山〉の実践は、〈コモンズ農園〉を考えるうえで重要な示唆を与える。それは、この農園が単なる柑橘生産の場ではなく、テリトーリオとして歴史、倫理、協働、滞在、風景体験が重なり合う場として成立しているからである。1968年に農薬中毒で17歳の高校生が亡くなったという痛ましい出来事を契機に、この農園では農薬のあり方が根本から問い直され、京都大学農薬ゼミとともに50年以上にわたって省農薬栽培が続けられてきた。ここで重要なのは、農業が単なる収量や効率の問題としてではなく、身体の安全、労働の倫理、そして地域の未来に関わる問題として受け止められてきたことである。地道な土壌改良や病害虫調査を積み重ねながら継続されてきた実践は、農園が単なる生産の現場ではなく、過去の痛みを引き受けながら、よりよい農のかたちを模索する場であることを示している。

この点は、〈コモンズ農園〉にとっても本質的である。〈コモンズ農園〉もまた、土地を所有や経済効率の対象としてのみ捉えるのではなく、さまざまな人が関わり、対話し、時間を共有しながら育てていく場として構想されている。そこで重視されるのは、完成された共同体ではなく、関わりのなかで少しずつ形を得ていく関係のあり方である。〈下津きょうだいみかん山〉における「きょうだい」という名称は、そのことを端的に示している。京都大学農薬ゼミとのつながり、歴代ゼミ生や地域の農家との兄弟のような連帯、さらにこれから出会う人びとをも仲間として迎え入れようとする姿勢は、農園が閉じた所有の場ではなく、他者に向かってひらかれた場であることを物語っている。
さらに注目すべきなのは、この農園が生産の場にとどまらず、滞在と体験の場としても構想されている点である。標高
500メートルの山上に設けられたウッドデッキ、トレーラーハウス、薪風呂、バイオトイレは、単なる観光的な付加価値ではない。来訪者が農園の時間の流れや自然環境のなかに身を置き、農業を知識としてではなく身体的に感じるための装置として機能している。鳥のさえずり、風の音、みかんの花の香り、季節ごとの草木や果実、遠くに望む大阪湾の景色は、農園を単なる景観として眺める対象ではなく、五感を通して経験する場所へと変えている。ここでは、農業は作物を育てる営みであると同時に、感覚や対話を育てる実践でもある。
このことは〈コモンズ農園〉にとっても本質的である。〈コモンズ農園〉もまた、みかん栽培を軸にしながら、農業、芸術、対話、記録を切り離さず、一つの連続した実践として編み込もうとしている。その際に大切なのは、農園を何かを展示するための舞台として扱うのではなく、人が土地の時間に触れ、植物の成長を見守り、他者と経験を共有する場として育てていくことである。すなわち〈コモンズ農園〉が目指すべきなのは、収穫物だけでなく、感覚や関係や物語が育つテリトーリオの形成である。農園における作業、休息、食、会話、観察の時間が分断されずにつながることで、そこには現代社会が失いつつあるゆっくりとした時間感覚や、他者や自然との関係を結び直す契機が生まれる。

また、〈下津きょうだいみかん山〉が日本書紀にも記される柑橘発祥の地・下津に根ざし、「蔵出しみかん」という土地固有の文化の延長上にあることも見逃せない。この農園の価値は、抽象的な理念だけによって成立しているのではなく、地域の歴史や生活文化、先人たちの営みの積み重ねのなかで具体的に形づくられている。〈コモンズ農園〉においても同様に、上秋津という土地に蓄積された時間、女性三世代にわたる園地の記憶、自然農の実践、地域の暮らしの声を丁寧に受けとめることが欠かせない。土地に刻まれた記憶や実践の層を読み解くことによってはじめて、農園は単なるプロジェクトではなく、生きられた場として立ち上がる。
〈下津きょうだいみかん山〉から見えてくるのは、農園とは作物を育てる場所であると同時に、関係を耕し、感覚をひらき、土地の記憶を未来へ手渡していく場所でもあるということである。農の倫理、歴史の継承、人びとの協働、身体的な滞在体験が重なり合うことで、農園は一つの豊かな実践の場となる。〈コモンズ農園〉もまた、そのように農業と芸術、生産と経験、個人と共同性を切り分けるのではなく、それらが交差し続ける場として育まれていくべきだろう。 〈下津きょうだいみかん山〉の実践は、〈コモンズ農園〉が目指す方向を、具体的かつ静かな説得力をもって示している。

写真:Tartaruga
