学校法人 うつほの杜学園 (和歌山県田辺市中辺路)

学校法人 うつほの杜学園は、和歌山県田辺市中辺路地域に位置する小規模な私立学校である。豊かな自然環境のなかで、「グローカル(Global+Local)」な視座を育む教育を実践している。
校名に冠された「うつほ」は日本の古語に由来し、はじまりの場を意味する。この名称には、子ども一人ひとりの内にある潜在性を引き出す学びの姿勢が込められている。
教育理念の中核には、地球規模の課題を見据えるグローバルな視点と、地域の自然・文化・暮らしに根ざしたローカルな視点とを往還しながら思考する力を育てることが据えられている。単なる知識の習得にとどまらず、「自ら問いを立て、考え、表現し、他者と協働する力」を重視し、主体的な学びを支える教育環境の整備が行われている。
カリキュラムにはIB(国際バカロレア)の教育プログラムを取り入れ、日本語と英語によるバイリンガル教育を段階的に実践している。多様なバックグラウンドや文化的背景の異なる子どもや教員を受け入れ、多様性を前提とした学びの場を形成している点も大きな特徴である。
また、教室内での学習に加え、自然体験や農・食に関わる活動、地域との交流を重視している。田畑や山、川といった身近な自然環境を学びの場として活用し、体験を通じて自然の恵みと厳しさの双方を実感しながら、生きる知恵を育んでいく。こうした実践は、知識理解にとどまらず、身体感覚や他者との関係性を通じた総合的な学びへとつながっている。
運営面においては、学校・教員・保護者が一方通行の関係に陥ることなく、対話を通じて教育を共につくる姿勢が大切にされている。学校という制度を固定化された完成形としてではなく、時間をかけて育まれていく「環境」として捉え、教育のあり方そのものを問い続けている点に、うつほの杜学園の独自性がある。自然・地域・世界を結びながら、子どもたちが自らの問いを持ち、未来を構想する力を育むこと —うつほの杜学園は、これからの時代に求められる新たな教育のかたちを、地域に根ざした実践として提示している。

学校法人 「うつほの杜学園」理事長である、仙石恭子氏にインタビューを実施した。

ツバメアーキテクツによって旧二川小学校をリノベーションした校舎

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仙石恭子理事長インタビュー要約

1.背景と問題意識
仙石氏は、慶應義塾大学環境情報学部において領域横断的な学びを経験し、卒業後はデザイン会社IDÉEに勤務した。東京デザインウィークの運営やミラノ・サローネをはじめとするイタリアのデザインの現場に身を投じ、その後はワイン関連の仕事を通して約20年にわたり現地と関わってきた。イタリア各地の小規模自治体やワイナリーを訪れるなかで、「テリトリー(土地・地域)」を尊重し、自然・食・文化と密接に結びついた暮らし方に触れた経験が、現在の思想的基盤となっている。

インタビューに答えてくれる仙石理事長

2.イタリア体験と「グローカル」な視点
イタリアでの生活と仕事を通じて、仙石氏は「外を見ることで自らの故郷を見直す」という感覚を深めていった。ローマ料理やミラノ料理のように、国家単位ではなく地域単位で文化や誇りが語られる社会のあり方に触れ、日本において希薄化しつつある地域性への危機感を抱くようになる。こうした経験を背景に、グローバルな視座(地球規模・国際性)とローカルな視座(地域・自然・暮らし)とを往還しながら思考する「グローカル」という概念が形成され、うつほの杜学園の教育理念の核となっていった。

広々とした校庭
広々とした校庭


3.学校設立までの実践と困難
2020年のコロナ禍を契機に、「故郷に貢献するには新たな学校を創ることが切り口である」と考え、学校設立を決意する。構想から認可取得、開校まで約5年という短期間で実現したが、その道のりは平坦ではなかった。ほぼ一人で構想を進め、当初の約3年間は協力者の多くはプロボノや無償のボランティアであった。廃校となっていた校舎を活用し、地域や行政(田辺市長・当時の和歌山県知事)の理解を得ながら準備を進めた。学校設立にあたっての資金は寄付を中心に賄われた。その原動力となったのは、理念やコンセプトを丁寧に言語化し、共感の輪を広げていった点にある。

子どもたちは、ゆったりとした生徒数で学ぶことができる教室

4.教育内容と学校の特徴
うつほの杜学園の教育は、「答えの無い探究的な問いと主体的な学び」を重視する。学校側が理念を提示するだけでなく、保護者や教員と意見を交わしながら学校運営を共に構築していく点が大きな特徴である。教育の基盤にはIB(国際バカロレア)の思想を取り入れ、「自ら問いを立て、考え、表現し、協働する力」を育むことを重視している。授業設計は教員に大きく委ねられ、理念に共鳴した教員が集い、実践を担っている。また、自然環境を生かした体験的な学びが豊富に組み込まれており、農作業や食のプログラム、山や高原での活動などを通して、自然の恵みだけでなく、その厳しさや生態系の現実を体感的に学んでいる。鹿による作物被害といった出来事も、自然の中で生きることを理解するための学びとして受け止められている。

校舎の整備や管理、ワークショップなど学校によりそう炭焼き職人の土山徹さん

5.環境を整えること、時間をかけること
仙石氏は、自身の役割を「教育内容を管理すること」ではなく、「人や学びが自発的に生まれる環境を整えること」にあると語る。チャイムを設けない校内環境や、日々の役割を子どもたちが担う仕組みなど、環境そのものが教育として機能するあり方を重視している。
また、自由学園(創立104年)を訪れた経験や、イタリアのワイン造りに見られる長い時間軸への理解から、「教育は時間をかけてこそ育つものだ」という確信を深めている。うつほの杜学園も、短期的な成果を追うのではなく、世代を超えて継承される環境と文化を育てることを目指している。
本インタビューから浮かび上がるのは、教育とは理念を掲げることにとどまらず、環境を整え、対話を重ね、時間をかけて育んでいく実践であるという一貫した姿勢である。グローバルとローカル、自然と人、理念と実践を往還しながら進められるうつほの杜学園の取り組みは、アートプロジェクト〈コモンズ農園〉とも深く共鳴し、「数や効率では測ることのできない価値」を地域に根ざして育てる試みとして位置づけられる。

アイディアのメモが掲示板に張り出され共有できるようになっている


〈うつほの杜学園〉から考えるコモンズ農園

環境をつくること、関係が生成すること、時間を耕すこと
うつほの杜学園の実践は、教育という制度的領域に位置づけられながらも、その本質は「学校」という枠を超え、環境を整え、関係性を生成し、時間を耕す営みとして捉え直すことができる。その意味において、同学園はアートプロジェクト〈コモンズ農園〉と深い共振関係にある。
コモンズ農園が問いとして掲げているのは、「成果」「効率」「人数」「評価」といった近代的・制度的な価値尺度をいったん脇に置き、人と人、人と自然、人と時間のあいだにいかなる関係が生まれうるのかを、実践を通して探ることである。そこでは、完成された作品や明確なゴールよりも、関係が立ち上がるプロセスそのものが重視される。うつほの杜学園もまた、教育成果を即時的に可視化するのではなく、「どのような環境があれば、人は自発的に学び、関わり、育っていくのか」という問いを、現場で粘り強く試み続けている。
仙石理事長が繰り返し語る「私がやっているのは環境を整えることだけ」という言葉は、アートの文脈に引き寄せれば、作者が意味や結果を決定しないアート、あるいは関係性のためのフレームを設計するアートの姿勢と重なる。コモンズ農園においても、農園は完成されたオブジェではなく、異なる背景や価値観をもつ人々が出会い、共に働き、ときにすれ違いながら関係を編み直していくための「場=フォーム」である。そこでは、誰かが何かを教え込むのではなく、環境に身を置くことで思考や行為が自ずと立ち上がる。
また、うつほの杜学園が重視する「グローカル」という視点は、コモンズ農園の志向とも重なっている。グローバルな理念や普遍的価値を掲げつつ、それを抽象的な理想にとどめるのではなく、この土地、この自然、この距離感のなかで、いかに具体的な実践へと翻訳できるかが問われている点で共通している。イタリアのワイン造りに象徴されるテリトリーへの深い感受性や、長い時間軸で物事を捉える姿勢は、コモンズ農園における「農」という営みの思想的基盤とも強く響き合う。
とりわけ重要なのは、両者が「子ども/大人」「教える者/学ぶ者」「つくる側/参加する側」といった二項対立を相対化している点である。うつほの杜学園では、子どもたちが学校生活の一端を担い、保護者や地域も教育のプロセスに関わる。一方、コモンズ農園では、農家、アーティスト、研究者、子ども、来訪者など立場の異なる人々が、固定化された役割を超えて同じ場に関与する。ここでは、特定の誰かが中心に立つのではなく、関係そのものが中心となる。
さらに、時間に対する態度も決定的に重要である。うつほの杜学園が、百年以上続く学校やイタリアのワイン造りから学ぼうとしているのは、時間をかけてこそ育まれる価値の存在である。コモンズ農園もまた、短期的な成果やイベント的消費に回収されるのではなく、10年後、20年後に振り返ったとき、土地や人の記憶として残るプロセスを志向している。みかんの木が実を結ぶまでに歳月を要するように、関係性や信頼、学びもまた時間を必要とする。
このように見ていくと、うつほの杜学園は「教育の場」であると同時に、地域に開かれた長期的なプロジェクトとして位置づけることができる。そしてコモンズ農園は、「農」という行為を媒介に、教育・アート・生活が未分化に重なり合う実践の場である。両者は異なる入口を持ちながらも、「環境を整えることで人を変える」のではなく、「人が変わりうる環境をいかに立ち上げるか」という共通の問いを分かち合っている。
今後、両者が連携する可能性は、特定のプログラムや成果を生み出すこと以上に、互いの実践を鏡として照らし合いながら、地域における新たなコモンズのかたちを探る点にあるだろう。それは、教育とアート、農と思想、子どもと大人が分断される以前の、より根源的な「生き方の学び」を、静かに、しかし着実に育んでいく試みである。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

イベファーム(和歌山県海南市下津町)


イベファームは、和歌山県海南市下津町に位置する、みかんを中心とした自然栽培農園である。代表の井邊博之氏は、神奈川県で研究職として長年勤務した後、実家の農園を継ぐため帰郷し、2010年より一部の畑から自然栽培に取り組み始めた。現在は、肥料・堆肥・農薬を一切使用しない栽培方法に全面的に移行している。
イベファームの自然栽培は、土壌・樹木・水・空気・人の関係性を回復させることを重視している。収穫を数年間行わず樹勢の回復を優先する判断や、害虫対策を農薬に頼らず手作業で行うなど、長期的な循環と持続性を前提とした実践が特徴である。
また、土地条件や環境要因を丁寧に読み取り、斜面地・平地それぞれの特性に応じた栽培方法を模索するとともに、「大地の再生」の考え方を参照しながら、空気と水の流れを整える試みも行っている。こうした実践は、自然栽培の難しさと可能性を同時に示すものとなっている。
生産物は、自然食品店への卸売と、理念に共感するサポーターへの限定販売を中心に流通している。また、生産者と消費者が相互に関わる関係づくりを目指している。家族内継承にとどまらず、自然栽培を志す人々とのコミュニティとして農を持続させる将来像を描いている。

2025年3月10日、井邊ご夫妻にインタビューを実施した。

遠く海を見渡す高台のイべファームの園地


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井邊博之氏へのインタビュー要約

1.訪問の背景 ― コモンズ農園が「学びの相手」を探す理由
〈コモンズ農園〉は、柑橘を育てながら、将来はみかんを素材にした展覧会や、実が育つ長い時間を使った多様なプログラムを組み、世代や職業、立場の異なる人が交わる「農園という名のプラットフォーム」をつくる。その拠点となる園地は、前園主が自然栽培で育ててきた場所であり、その姿勢を継承したいと考えている。しかし田辺周辺では自然栽培の実践者が多くはない。そこで下津町で自然栽培のみかんに取り組むイベファームを見つけ、自然栽培に至る経緯、技術的な実際、そして未来像までを学ぶためにインタビューを行った。

オフィスで無農薬・自然栽培の難しさを語る井邊博之氏

2.井邊さんの転機 ― 研究職から、実家のみかんへ
井邊さんは2009年まで神奈川に暮らし、電気会社で研究所勤務を続けていた。三十年近く働いたのち、53歳で早期退職を選び、年老いた両親の畑を継ぐために和歌山へ戻った。実家は代々みかん専業で、当初は両親と同じ慣行栽培を一年行う。しかし、姉から紹介された木村秋則の『奇跡のリンゴ』が決定的な契機になる。人と同じことを繰り返すより、新しい問いを立てて試すことを仕事としてきた井邊さんにとって、「リンゴでできるならみかんでもできるはずだ」という直感は強い推進力になった。周囲に前例がほとんどない中で、2010年、まず一部の畑から自然栽培を始める。

3.自然栽培の定義―「何も入れない」ことから始まる
井邊さんが言う自然栽培とは、肥料も堆肥も農薬も使わないことを基本とする。移行は一気にではなく、生活が立ちゆかなくなる危険を避けながら、区画を少しずつ切り替えて進めた。2011年の東日本大震災を機に、魚由来の有機肥料への不安が高まったことも、「畑に入れるもの」を根本から見直す契機となる。試しに他の畑でも肥料をやめ、木の反応を観察すると、木は苦しむが温州みかんは予想以上に耐え、結果として収穫量を大きく落とさずに移行できた。とはいえ、農薬をやめると果皮に黒点が出て売りづらくなる。慣行栽培では商品価値維持のため殺菌剤散布を続けざるを得ない現実があり、井邊さんも当初は自然栽培区画と慣行区画を併存させつつ販路を探した。2013年頃、黒点のあるみかんでも受け入れる売り先が整い、全畑を自然栽培へ切り替える決断に至る。

4.最大の壁― 害虫と「手作業の季節」
自然栽培の難しさは、害虫対策に集約される。温州みかんは花が咲けば実がなる性質を持つが、害虫にやられると木そのものが枯れていく。井邊さんが最大の敵として挙げるのがカミキリムシとナガタマムシで、いずれも木の内部を食害し、水や栄養の通り道を断って急速に枯死させる。農薬に頼らない井邊さんは、6~8月の3か月間、畑を繰り返し巡回し、卵を見つけて潰し、木屑や糞の跡から幼虫の位置を特定して針金で掻き出す。慣行農家が薬剤散布で一気に処理する季節に、一本一本の木に潜り込み、身体で対峙する時間が続く。枯れた木は寿命として受け止め、切って植え替える ―その反復の中で、自然栽培は「成功法」よりも「持ちこたえ方」の技術として立ち上がっていく。

5.土地条件という現実― 空気と水の循環を読む
もう一つの大きな条件は土地だ。斜面の畑は空気が通りやすい一方、平地の畑は水田転換園で地下水位が高く、自然栽培では根が深く潜ろうとするほど根腐れのリスクが高まる。実際、水田転換の甘夏園では、平地条件の厳しさもあり木を枯らす経験を重ねた。井邊さんは矢野智徳の「大地の再生」に学び、空気と水の流れを回復させる発想を取り入れる。新しい道路が空気の流れを止めることもあるため、土に穴を開けて通気を促し、環境の循環をつくり直す。自然栽培は投入を減らすだけではなく、場の呼吸を取り戻す作業でもあることが語られる。

枯らしてしまった温州みかんの園地。新たに植え直した。

6.「収穫しない」選択―木を生かすための時間
新しく得た畑を自然栽培へ転換する際、井邊さんは二度目の挑戦として経験知を活かし、決定的な学びに至る。それは「実ったみかんを収穫してはいけない」ということだった。木がまだ循環に乗れていない段階で収穫すると樹勢が落ち、枯れに繋がる。そこで三年間は、7月ごろに実をすべて落とし、木の体力を回復させることを優先した。四年目に入り、ようやく収穫しても枯れない木になり始めたという。この話は、自然栽培が「すぐに成果を取る農」ではなく、「木が立ち直る時間を引き受ける農」であることを象徴している。

7.多様性の構想 ― 混栽・共生農法へのまなざし
井邊さんは、自然栽培の先に単一栽培を超える未来を見ている。みかん畑に梅や桃、ブルーベリーなどを混ぜて植えれば、落葉が養分となり、共生的な循環が生まれる。さらに理論的には、同一作物だけでは収量は密植の限界で飽和するが、異なる種を組み合わせれば空間をより密に使え、畑全体の総収量を高められる可能性がある。また、多様性が害虫・収量・循環の面で持つ意味が語られた。ブドウ畑でバラを病気センサーとして植える例も挙げ、コモンズ農園でも「異種を集める」方向性に共感を示した。

8.菌根菌との共生 ― 見えない循環の時間
井邊さんは、肥料を入れない理由を「虫の被害を避けるため」と語るが、同時にみかんの木にも栄養が必要であることを強調する。その鍵となるのが、土壌中の菌根菌との共生関係である。みかんの木の根は菌根菌と結びつき、菌根菌から栄養素を受け取る。その代わりに、木は光合成によって得た糖を菌根菌に供給する。しかし土壌中に肥料分が多いと、この共生関係は成立しにくい。土壌環境が整っていない場合、菌根菌との安定した関係を築くには相当の時間を要するため、初期の数年間は実をつけないほうがよいという判断に至る。また、菌根菌を健全に保つには多様な植物の根の存在が重要であり、そのためみかんの木の周囲に草を生やすことが必要になる。草は競合する存在ではなく、地下の共生ネットワークを支える役割を担って
いるのである。自然栽培は、目に見える成果よりも、見えない地下の関係を育てる時間を優先する営みであることがここに示されている。

自然栽培に切り替えた後も残った温州みかんの木

9.家族の葛藤と記憶 ― 新しさと古さが交差する場所
自然栽培への転換は家族の中に強い葛藤も生んだ。代々の専業農家である両親との衝突は激しく、夫人はその間に立つ苦しさを語る。ただし、義母の言葉として「昔は畑に穴を掘って空気を通していた」「除草剤が普及しても父は多用しなかった」といった記憶が出てくる。自然栽培は突飛な新規性ではなく、便利さの前に行われていた営みを掘り起こす側面もある。近代化の中で失われた手触りを、別の形で回復する実践として位置づけられていく。

10.記録と共有 ― 知見を蓄積し、支える関係をつくる
井邊さんは埼玉の自然食品店が毎年開く勉強会に論文のような記録を提出しており、そこに実践の経過が蓄積されていると答える。夫人も、相談に来た若い夫婦の事例を語り、自然栽培の三年目・四年目に訪れる「心が折れそうな時期」を越える難しさを強調する。枯れ始めた木に耐えきれず肥料を入れてしまう―その瞬間に自然栽培から離脱してしまう。井邊さんは、肥料を入れるくらいならやめる、と極端な言い方で覚悟の線を引く。

オフィスの書棚に揃う無農薬・自然栽培に関する書籍

11.未来像 ― 継承よりコミュニティへ
今後の課題として、子ども世代への継承は容易ではないことが語られる。子どもたちにとって故郷は神奈川であり、和歌山は「祖父母の家」という感覚に近い。そこで井邊さんが構想するのは、血縁継承ではなく、自然栽培を志す人々とのコミュニティづくりである。現在は収穫の三分の二を自然食品店へ卸し、残りは直販の多数相手ではなく「自然栽培サポーター」に限定して販売している。今後はサポーターとの関係を一方通行から相互へ変え、農作業を手伝いたい人が関われるネットワークを育てたいという。農業を「生産と消費」に閉じず、関係性の場として編み直す視点が示された。

12.コモンズ農園への示唆 ―自然栽培が教える「時間」と「関係」
インタビュー全体を通して、自然栽培は単なる技術ではなく、時間と失敗、身体的な手間、土地の循環、そして支え合う関係を引き受ける実践として描かれた。木を生かすために収穫を三年諦めること、害虫に一本一本向き合うこと、場の呼吸を取り戻すこと―それらは効率の論理とは別の価値基準を要請する。〈コモンズ農園〉が目指す「農園という名のプラットフォーム」は、まさにこの別の時間軸と関係性の設計を必要としている。自然栽培の困難を具体的に知り、同時にそこに宿る可能性 ― 多様性、共生、コュニティ―を確かめた上で、今後の議論と実践へ持ち帰っていく形でインタビューを結んだ。

写真:Tartaruga

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〈イベファーム〉から考えるコモンズ農園

イベファームは、〈コモンズ農園〉が構想する「農園という名のフォーム」において、自然栽培の技術的な先行事例であると同時に、持続的な農のあり方と公共的な関係性を実践的に示す重要な参照点として位置づけられる。
〈コモンズ農園〉は、柑橘栽培を基盤としながら、農業を単なる生産活動としてではなく、人と人、人と自然、世代や価値観の異なる主体が長い時間をかけて関わり合う「生成的な場」として再定義することを目的としている。その実現には、短期的な成果や効率を優先する従来型農業とは異なる時間軸と倫理観を内包した実践が不可欠である。イベファームの自然栽培は、まさにその前提条件を具体的に体現している。
イベファームが行う自然栽培は、肥料・堆肥・農薬を一切使用しないという厳格な方法を採用しているが、その本質は「投入を減らすこと」そのものにあるのではない。むしろ、土壌・樹木・水・空気・人の関係が分断されてきた環境において、循環を回復させるために時間と労力を引き受ける姿勢にこそ意義がある。収穫を数年間行わず、木の回復を優先する判断や、害虫対策を農薬に頼らず手作業で行う実践は、自然栽培が短期的な収益性に直結しないことを明確に示している。
この点において、イベファームは〈コモンズ農園〉にとって「完成された成功モデル」ではなく、試行錯誤や失敗、経済的な困難を含み込みながら継続されてきた実践の蓄積として重要である。自然栽培において多くの実践者が途中で断念する現実を、井邊氏自身が経験とともに語っていることは、理念先行ではない現実的な学びを提供している。これは、コモンズ農園が「正解を提示する場」ではなく、「問いを共有し、共に考える場」であることと強く共鳴する。
また、イベファームが描く将来像は、家族内での単線的な継承ではなく、自然栽培を志す実践者や消費者とのコミュニティとしての持続に重心を置いている。自然栽培サポーターとの限定的な販売関係や、相互的な関与を模索する姿勢は、農業を私的な生業にとどめず、関係性のネットワークとして開いていく試みであり、〈コモンズ農園〉が目指す公共性の高い農のモデルと高い親和性を有している。
さらに、混栽や共生農法への視点は、生態系の多様性を回復させるだけでなく、単一作物・単一価値に依存しない持続可能な農業の可能性を示している。この「多様性を前提とした生産性」という考え方は、異なる人々や価値観が交差することで新たな価値が生まれるという、コモンズ農園の社会的・文化的構想とも重なり合う。
特に共生農法への示唆は、〈コモンズ農園〉にとって、自然栽培の技術的参照先であると同時に、時間・関係性・公共性を内包した農の実践モデルとして位置づけられる。その実践は、コモンズ農園が今後地域に根ざしつつ展開していく際の、思想的・実践的な基盤の一部を形成するものであり、本事業の妥当性と社会的意義を裏づける重要な存在である。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

Giardini d’Agrumi (イタリア・ブレーシャ県ガルニャーノ)


「Giardini d’Agrumi(ジャルディーニ・ダグルーミ)」は、北イタリア・ガルダ湖畔の町ガルニャーノで毎年開催される、柑橘類と歴史的庭園をテーマにした文化イベントである。湖岸一帯には、16世紀以降に築かれたレモン栽培用の温室建築〈リモナイア〉が点在しており、本企画では通常は非公開の庭園や私有のリモナイアが特別公開される。来場者は、レモンや柑橘の古品種、伝統的な栽培技術、建築的特徴を見学しながら、ガルダ湖特有の温暖な微気候と人々の営みの歴史に触れることができる。
期間中はガイドツアー、音楽や朗読のプログラム、地元生産者による食品や加工品の紹介、ワークショップなども実施され、農業・建築・景観・食文化を横断する総合的な文化的な祭として展開される。柑橘栽培を単なる農産物生産としてではなく、地域の記憶と景観を支える文化遺産として再評価する点に特色があり、自然と人間の長い協働関係を体験的に学ぶ場となっている。ガルニャーノの歴史的環境を背景に、柑橘という植物を媒介に地域のアイデンティティを再発見する催しである。

2025年4月12日にガルニャーノを訪問し、イヴェント参加とリサーチを行った。

<ジャルディー二・ダルグー2025>のイヴェントDM

Giardini d’Agrumi から見るコモンズ農園

イタリア・ガルニャーノで開催される「Giardini d’Agrumi」は、単なる柑橘の祭典ではなく、地域の記憶と景観を支えてきた歴史的建築「リモナイア= レモンを越冬させるための温室」を再評価し、農業・建築・景観・食文化を横断する総合的なテリトリオ(領域)として提示する試みである。そこでは、レモンという植物が、栽培技術や経済活動を超えて、風土、建築様式、生活文化、さらには地域の誇りやアイデンティティと結びつき、長い時間の中で形成されてきた文化遺産として再定義されている。柑橘は単なる作物ではなく、土地と人間の協働の歴史そのものを可視化する媒体となっているのである。

<リモナイア>と呼ばれるかつて使用されていた越冬用の温室の遺構

この視点は、〈コモンズ農園〉の理念に対して重要な示唆を与える。コモンズ農園は、みかんの栽培を軸にしながらも、通過点としての「みかんの展覧会」も構想しており、農業を芸術的・思想的実践へと拡張するプロジェクトである。その根底には、農園を生産の場にとどめず、異なる立場や考えをもつ人々が交差する「フォーム」として開いていく意図がある。Giardini d’Agrumiが示すテリトリオの発想は、まさにこの「農園という名のフォーム」を、より包括的な文化領域へと発展させる可能性を内包している。

リモナイアは、湖畔という北限に近い土地で柑橘を育てるための建築的工夫であった。自然条件に対する人間の応答が、独自の景観を生み、それがやがて文化遺産へと昇華していった。そのプロセスは、コモンズ農園における実践にも重なる。和歌山の風土の中でみかんを育てることは、単なる地域農業の継承ではなく、気候変動や人口減少といった現代的課題への応答でもある。もし農園の活動が、栽培技術だけでなく、周囲の景観設計、滞在の場の構築、食や香りを含む感覚的体験の共有へと広がっていくならば、それは一つの現代的リモナイア、すなわち思想的・社会的温室として機能しうるだろう。

<リモナイア>の中に育つオレンジ



さらに、Giardini d’Agrumiが私的庭園を公開し、音楽や朗読、ガイドツアーを通じて複層的な体験を創出している点も示唆的である。そこでは農業と芸術、観光と学びが分断されず、一体的な文化経験として編まれている。コモンズ農園もまた、将来的にみかんの展覧会を開催する構想を持つが、その展覧会は単なる成果発表ではなく、農園そのものを舞台とした時間芸術へと発展し得る。収穫、剪定、発酵、食、香り、対話といったプロセスを公開し、地域の記憶や未来への想像力を交差させる場とすることで、農園は展示空間であり、研究所であり、コミュニティの交差点となる。

レモン作品の展示を開催した旧市庁舎

テリトリオという考え方は、境界を固定せず、関係性によって拡張する領域を意味する。コモンズ農園にとって重要なのは、所有や管理の枠を超え、土地を共有的な思考空間へと転換することである。みかんの木は、その中心に立つ存在でありながら、同時に他者を招き入れる媒介でもある。香りや味覚を通じて人々の身体を開き、哲学や倫理へと接続する契機ともなり得る。ここにおいて農業は、経済活動であると同時に、感覚と思想を耕す営みへと変容する。
Giardini d’Agrumiが示す未来像は、過去の遺産を保存するだけでなく、それを現在の文化活動として再活性化する点にある。同様に、コモンズ農園の未来は、伝統的なみかん栽培を守ることだけでなく、それを媒介に新たな社会的想像力を育てることにあるだろう。十年後の「みかんの展覧会」は、その象徴的な節目であるが、それは終着点ではなく、地域と世界を結ぶ長期的な対話の通過点にすぎない。

この地で栽培されている多品種の柑橘の紹介展示

リモナイアがそうであったように、コモンズ農園もまた、自然と人間の協働の痕跡を未来へ手渡す構造体となり得る。農業・建築・景観・食文化・芸術が交差する総合的なテリトリオとして成熟していくとき、そこには単なる農園を超えた、思想と実践の共有地としての可能性が開かれているのだろう。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga, Pro Loco Gargnano