中山農園(和歌山県田辺市上秋津)


和歌山県田辺市上秋津にある中山農園は、地域の自然環境と長い時間軸を大切にしながら、みかん栽培を行う小規模農園である。園主・中山雄史さんは、約20種類に及ぶ柑橘類を育てる多品種栽培を特徴とし、単一品種・単一基準に依存しない農業のあり方を実践している。デコポンなど市場で評価の高い品種を含む一方、現在の消費動向には合致しにくい品種もあえて残し、味わいの多様性を重視している点に特色がある。
栽培方針としては、除草剤を基本的に使用せず、草を完全に排除するのではなく芝生程度に抑える草生管理を行っている。糖度のみを追求して木を弱らせる手法は採らず、土壌や樹木への負担を抑えながら、味の濃さやバランスの取れたみかんづくりを目指している。就農当初は慣行的な栽培も経験したが、木の寿命(経済寿命)や土壌の劣化を実感したことから、現在の自然志向へと段階的に移行した。
農園は自宅に隣接する畑を含め複数の区画から構成され、野菜栽培も行われている。労働力は本人と家族で担っており、1.6ヘクタールという規模を将来的にどのように維持・調整していくかが課題である。中山農園は、環境への配慮と生業としての現実のバランスを模索しながら、地域に根ざした持続的なみかん栽培を続けている。

2023年10月18日に中山農園にて中山雄史氏にインタビューを実施した。


〈中山農園〉園主・中山氏 インタビュー 要約

1.中山農園の構成と現場の印象
中山さんの農園は、自宅に隣接する畑を含め、複数の区画から構成されている。野菜を栽培する区画も併設されており、さらに別の場所にみかん栽培のメインとなる畑を持つという、分散型の構成が特徴的である。畑ごとに土質や環境条件が異なり、それぞれに明確な個性があることが観察された。この多様な区画構成は、単なる効率性ではなく、土地ごとの特性を読み取りながら栽培を行う中山さんの姿勢を如実に表している。均質化された農地ではなく、「違い」を前提とした農園のあり方がそこにはあった。

2.品種構成と栽培へのまなざし
中山農園では、約20種類の柑橘品種が栽培されている。市場で人気の高いデコポンをはじめとしながらも、現在の消費者ニーズには必ずしも合致しない品種も含まれている点が特徴的である。畑では品種が混在しており、未熟な時期には非農家から見ると見分けがつきにくいものも多いが、土地ごとの条件や樹の状態に応じて栽培を組み立てていく中山さんの観察眼と経験に支えられている。

3.糖度偏重から自然志向への転換
就農当初の5~6年間、中山さんは一般的な慣行に従い、糖度を重視した栽培を行っていた。除草剤を多用し、木を弱らせることで糖度を上げる方法である。しかし、その過程で土壌の劣化や木の寿命(経済寿命)への懸念を強く意識するようになったという。
現在は、除草剤を使わず、草を芝生程度に抑えた草生栽培を基本としている。砂漠化状態をつくることで甘さを引き出す手法は採らず、味の濃さや自然なバランスを重視する方向へと段階的に転換した。糖度だけに依存しない評価軸を持つことが、結果として多様な味わいを生み出している。

畑で採れた不思議なみかん

4.家族背景と経営の自由度
中山さんの父親は公務員であり、母親と祖母が小規模に農園を営んできた。その農園を中山さんが継承したことで、慣行に強く縛られない、比較的自由度の高い栽培方針を選択することが可能となった。この家族背景は、中山農園の柔軟な取り組みを支える重要な要素となっている。

5.規模・労働力・長期的視野
現在の労働力は中山さん本人と両親によるものであるが、年齢的な理由から、数年以内に両親の手伝いが減少する見込みである。現時点で後継者の予定はなく、将来的に共同パートナーや人員を確保できるかが大きな課題となっている。
みかん栽培において一人当たりの適正規模は約1ヘクタールとされるが、中山農園は1.6ヘクタールとやや過剰である。そのため、植栽本数を減らすなどの合理化を進め、規模を縮小しながらも生産量と品質を維持する方向性を模索している。42歳の現在を起点に、70代半ばまでを見据えた約30年の長期計画が描かれている。

かつての石垣を利用した、きれいに整理整頓されいる納屋


6.環境配慮と品質観
除草剤は作業効率の面では有効である一方、環境への影響という点では明確なマイナスであると中山さんは経験的に認識している。土壌の劣化や生態系への影響を避けるため、草生状態を保ち、CO₂循環を含む自然環境の維持を重視している。
農薬については、市場性や見栄えの要求から使用が避けられない場面もあるが、可能な限り抑制する姿勢を取っている。品質については、過度な甘さではなく「味の濃さ」や品種ごとの個性、多様性を大切にしており、甘さ一辺倒ではない消費者の存在も強く意識されている。

7.経済性と地域との関係
農家全体に共通する課題として、構造的な低収入の問題がある。社会的な単価や消費動向の影響は大きく、個人の努力だけで解決できる問題ではない。中山さんは、品質向上と生産の安定化、コスト削減を通じて、「継続的に買いたいと思われる商品」を提供し続けることが現実的な対応策だと捉えている。農協青年部などを通じた横のつながりもあり、栽培方法や知識は隠さず、聞かれれば共有するオープンな姿勢を持つ。近隣農家の取り組みは多様であり、除草剤不使用の農家も一部存在している。

8.コモンズ農園との接続と今後
中山さんは、コモンズ農園の構想に対して前向きな協力姿勢を示している。農園内にコミュニケーションスペースを設け、雑談や飲食、宿泊、農作業体験ができる場をつくる構想について、中山さんは『農業の現場を実験空間として開く試み』として前向きに受け止めている。無農薬栽培の試行など、個々の農家では踏み出しにくい挑戦を後押しする場としての可能性が見出されている。持続可能性、自然重視、多様性の尊重という価値観において、中山農園とコモンズ農園は強く共鳴している。今後も対話と助言を重ねながら、記録と制作を継続していく予定である。

中山さんとのインタビューの様子



〈中山農園〉から考えるコモンズ農園について

〈中山農園〉でのインタビューを通して、〈コモンズ農園〉の可能性を考えるうえで、慎重であるべき点もはっきりと見えてきた。まず前提として、農業は生活そのものである。土地を守り、木を育て、収穫し、売り、収入を得る。その一つひとつが日々の暮らしと直結している。一方で、アートは必ずしも生活に直結するものではなく、物事を象徴的にとらえたり、新しい意味を与えたりする営みである。この二つが出会うとき、農業の現実がきれいに語られすぎてしまう危険がある。努力や葛藤が、「理想的な取り組み」として単純化されてしまう可能性がある。
中山農園の歩みを見ると、そのことがよくわかる。現在は除草剤を使わず、草を適度に残しながら、自然に近い形でみかんを育てている。しかし最初からそうだったわけではない。就農当初は糖度を上げるために木を弱らせる方法も取り、除草剤も使っていた。その中で、木の寿命や土の状態を実感し、少しずつやり方を変えていった。そこには立派なスローガンがあったわけではなく、試行錯誤の積み重ねがあっただけであ
る。
〈コモンズ農園〉が中山農園を「自然農のモデル」として単純に持ち上げてしまうと、本質を見失うことになる。除草剤を使わないこと、多品種を育てること、甘さだけを追わないこと。どれも価値ある選択だが、それは同時に手間やリスクを引き受ける決断でもある。農業では、いつも何かを選び、何かを諦めなければならない。正解が一つあるわけではない。
しかし、この現実をそのまま受け止めることができるなら、〈コモンズ農園〉には大きな可能性がある。農業を理想化するのではなく、その迷いや葛藤を共有する場にできるからである。みかんを育てるには長い時間がかかる。労働力の問題もある。農薬を一切使わないことの難しさもある。そうした条件を隠さずに開いた場をつくることができれば、農業は「きれいな物語」ではなく、考え続ける営みとして見えてくる。
〈コモンズ農園〉は、農業を変えるプロジェクトではない。農業を助けることが第一の目的でもない。むしろ、農業の中にある判断や迷いを、外の人にも見える形にする場になりうる。中山さんが語る「甘すぎるみかんが苦手な人もいる」という言葉には、市場の基準とは別の価値観がにじんでいる。また、「聞かれた答える」という姿勢には、静かな共有の精神がある。こうした言葉を大げさにせず、丁寧に伝えていくことが、アートの役割になりうる。
もちろん、アートが入り込むことで現場に負担が生まれる可能性は消えない。農園は展示空間ではなく、作業の場である。その違いを忘れないことが大切である。距離を保ち、相手の立場を尊重すること。その上で関わり続けるなら、〈コモンズ農園〉は農業を演出する場ではなく、農業とともに考える場になる。
中山農園は、〈コモンズ農園〉の可能性を具体的に検証するための参照点となる。理想の農園ではなく、現実の農園であるからこそ、そこから学べることが多い。〈コモンズ農園〉の可能性は、農業の美しい部分ではなく、迷い続ける姿勢そのものを共有できるかどうかにかかっている。そこにこそ、アートが関わる意味があるのではないだろうか。

写真:Tartaruga


尖農園 (和歌山県田辺市下万呂)

尖農園は、「当たり前のことを丁寧に、誠実に行う」という姿勢を基盤に、働く人にも自然にも無理のない持続可能な農業を実践する農園である。園主は機械いじりへの関心から工業高校へ進学し、その後はカウンセラーの道を志すという一見異なる進路を歩んできた。さらに、JAの荷受け、ガソリンスタンド、コンビニエンスストア、ホテルの仕出し業務、土産物製造工場、廃ビル解体、タイヤ交換専門店、ラウンジのボーイなど、実に多様な職種を渡り歩いてきた経歴を持つ。そうした現場での労働経験は、人の働き方や現場の論理、社会の構造を身体的に理解するための重要な蓄積となっている。
約11年前に実家の農業を継承し、みかん栽培に本格的に取り組み始めた。農業は特別な理想論ではなく、日々の積み重ねによって成り立つ仕事であるという実感のもと、作物や土壌だけでなく、共に働く人の状態や無理のない作業工程にも目を向けながら、農のかたちを模索している。過度な効率化や拡大を目的とせず、自然のリズムに耳を澄ましながら、必要なことを必要な分だけ行う姿勢が尖農園の特徴である。
尖農園の実践は、多様な労働経験から培われた現実感覚と、誠実さに根ざした農への向き合い方によって成り立っている。それは、働くことと生きること、自然と社会を切り離さずに結び直す、現代的な農業のひとつのあり方を示している。尖農園は現在も試行錯誤を重ねながら、地域に根差した農業として、次世代へ引き継ぐことのできる農業のあり方を模索している。

2023年10月17日に尖農園主・小谷大蔵氏にインタビューを実施した。

小谷氏へのインタビューの様子



尖農園 園主・小谷大蔵氏 インタビュー要約

1.世代交代の只中で —「まだ誇れるものはない」という率直さ
小谷大蔵氏は、父の代から自分の代へと農園を移行している途上にあり、現時点で「これが誇れる」と言える成果はまだないと語る。しかしその一方で、先祖代々のやり方をそのまま続けることへの強い疑問と、状況を変えようとする強い意志を持っている。かつては土地が少なく、無理な密植で収量を確保せざるを得なかったが、離農が進んだ現在は土地条件が変わり、「一つの畑に固執せず、働きやすい園地を増やす」という発想が可能になってきたという。

2.目標は「30年後も続けられる畑」— 量から質、そして効率重視への転換
小谷氏の将来像の中心にあるのは、年齢を重ねても無理なく農作業を続けられる環境づくりである。木を更新し、園地内に車を入れられるよう道幅を確保し、収穫物を直接コンテナへ運べる動線を整える。そのために木の本数を減らすことも辞さないが、これが収量重視の父世代との葛藤を生んでいる。ただし新しい畑も増やしており、全体としては量を確保しつつ、園地ごとの作業効率と質を高める方向への転換を目指している。

あたらしく植え替える予定の温州みかんの畑


3.気候変動の現実 — 作物だけでなく「身体」への負荷
近年の気候変動は、みかんや梅の生育に明確な影響を及ぼしている。集中豪雨と強烈な日照りによる果実や樹体へのダメージ、枯れ枝の増加などは顕著である。特に深刻なのは夏場の消毒作業で、防護服を着て行う手作業は「地獄」と表現されるほど過酷になっている。こうした状況から、ドローン導入などの技術的対策も視野に入れている。将来的には柑橘の適地が北へ移動し、この地域で柑橘を栽培しなくなる可能性すら示唆された。

4.農薬をめぐる誤解への違和感
小谷氏は、「農薬=悪」「無農薬=善」と単純化されがちな社会的言説に強い違和感を示す。自身は国の安全基準を厳密に守り、収穫前日数や回数制限を徹底した上で栽培しているという自負がある。一方で、無農薬をうたいながら病気に侵された果実が良しとされる風潮には疑問を呈し、「病気なら適切に治療し、健康な実を作るべきだ」という現場感覚を語る。ここには、農業の安全性をめぐる消費者との認識のずれが表れている。

5.土地と地域 — 新規参入を阻む信頼の壁
耕作放棄地は多く存在するものの、農地は誰にでも貸されるわけではない。貸し手が重視するのは、農業経験や地域との関係性、継続性である。ただし小谷氏自身は、本気で農業に取り組む意志がある人であれば、地域とつなぎ、初期の支援を行いたいという前向きな姿勢も持っている。一方で、知らない人が入ってくることへの不安も根強く、時間をかけて関係を築く必要性が語られた。

たくさんの実がなる小谷さんの畑

6.農業の外へ出る経験 — アートとの接点
紀南アートウィークやみかんコレクティブへの参加は、知人の紹介がきっかけだった。農業に不満があったわけではないが、地元中心の生活の中で、知らない世界に触れてみたいという思いがあったという。現在では、こうした活動が畑仕事の合間の楽しみや息抜きにもなっている。将来的には、農作業を手伝う人が滞在できるスペースを倉庫の二階につくる構想も語られた。

7.次世代へ渡すもの — 誰が使っても良い畑を目指して
子どもに農業を継がせるかどうかは強制せず、本人の意思を尊重する考えだが、継ぐ場合には生活が成り立つ環境を整えたいという。たとえ子どもでなく別の人が引き継ぐとしても、「効率の良い畑だ」と思われる園地を残すことが目標である。小谷氏の農業は、自分一代の成果ではなく、次へ手渡す準備として構想されている。

8.コモンズ農園への期待
小谷氏にとってコモンズ農園は、実験的な栽培や、人が集い学び合う場としての農園という点で「ドンピシャ」の構想である。一本の木に複数品種を接ぎ木するなど、遊びと実験の余地を持つ農園像が語られ、荒地であっても整地可能であれば協力したいという現実的な姿勢も示された。

畑を巡りながらみかんの解説を聞く



〈尖農園〉から考えるコモンズ農園について

〈尖農園〉は、完成された理念や成功事例として存在している農園ではない。むしろそこにあるのは、世代交代の只中で揺れ動きながら、「これまでのやり方を続けてよいのか」という切実な問いを引き受けている一人の農家の姿である。この未完成性こそが、コモンズ農園の思想と深く共鳴する点である。
小谷大蔵氏が語る農業は、量の最大化や効率至上主義への転向ではない。彼が目指しているのは、30年後、40年後でも身体を壊さずに続けられる農業、すなわち「持続可能な労働としての農業」である。園地に車を入れるために木を減らす判断や、収量よりも作業動線を優先する設計は、一見すると経済合理性に反するようにも思える。しかしそれは、農業を単なる生産活動ではなく、時間と身体を内包した営みとして捉え直す試みである。
コモンズ農園が問いかけているのもまた、土地や作物の「所有」ではなく、「関わり続けること」そのものの価値を問うものである。小谷氏の語りに繰り返し現れる「年を取っても続けられる畑」「次の世代に渡せる園地」という視点は、農園を個人の成果物ではなく、時間を超えて共有される基盤としてのコモンズとして捉える感覚と重なっている。
また、〈尖農園〉は気候変動を抽象的な環境問題としてではなく、作業の過酷化、身体の限界、樹木の寿命の短縮といった具体的な経験として引き受けている点でも重要である。真夏の消毒作業が「地獄」と表現されるほど過酷化している現実は、農業がすでに厳しい条件の中で営まれていることを示している。ここで導入が検討されるドローンは、単なる省力化技術ではなく、人間の身体を守るための媒介として位置づけられる。コモンズ農園における技術もまた、効率のためではなく、関係を持続させるための道具として再定義されるべきものだろう。
農薬をめぐる小谷氏の発言も、コモンズ的な思考を照らし出す。彼は農薬を無条件に肯定するのでも、否定するのでもない。国の基準を守るという制度的枠組みを前提としつつ、「病気の果実を無農薬だから良いとする」風潮への違和感を語る。その姿勢は、善悪の二項対立を拒み、現場での判断と対話を重ねる態度にほかならない。
コモンズ農園が目指すのも、正解を一つに定める場ではなく、異なる立場や感覚が共存し、議論され続ける「考える場」である。
さらに〈尖農園〉は、地域における土地の問題を通じて、コモンズの困難さも示している。耕作放棄地は存在しても、それが誰にでも開かれているわけではない。農地を貸すかどうかは、経験、信頼、地域との関係性に深く依存する。小谷氏が語る「本気の人ならつなぎたい」という言葉は、コモンズが自然発生的に成立するものではなく、時間をかけた関係の編み直しによってしか生まれないことを示している。
紀南アートウィークやコモンズ農園への関与が、彼にとって「息抜き」や「楽しみ」として語られている点も重要である。農業の外部に触れる経験は、農業そのものを否定するためではなく、むしろ続けるための余白として機能している。倉庫の二階を人が集まれる場にしたいという構想は、〈尖農園〉が単なる生産の場から、関係が立ち上がる場へと変容する可能性を孕んでいる。
このように〈尖農園〉は、コモンズ農園にとっての理想像というよりも、現実との接点である。理念が現場に接続されるときに生じる摩擦、葛藤、未完性を体現する存在として、〈尖農園〉はコモンズ農園の思想を空疎な概念に終わらせず、具体的な時間と身体の中へと引き戻している。コモンズ農園が未来へ向けて開かれた試みであるならば、〈尖農園〉はその足元を支える、現在進行形の現実そのものだといえる。


写真:下田学、Tartaruga

水俣病歴史考証館 (熊本県水俣市)

水俣病歴史考証館は、熊本県水俣市に設立された私設の資料館で、水俣病の歴史と実相を、市民の立場から検証し、後世に伝えることを目的としている。公的機関による展示とは異なり、患者や支援者、研究者らが主体となって収集した資料や証言をもとに、水俣病の発生から被害の拡大、行政や企業の対応、裁判闘争、地域社会の分断と再生の過程までを多角的に提示している。館内には当時の写真、行政文書、裁判資料、生活用品、映像記録などが展示され、単なる公害史にとどまらず、日本の高度経済成長や近代化のあり方そのものを問い直す構成となっている。また、語り部による案内や学習支援も行われ、来館者が被害の実相を自らの問題として受け止め、環境や社会の責任について考える契機を提供している。水俣病を「過去の出来事」としてではなく、現在進行形の課題として捉える姿勢が大きな特徴である。

2025年10月26日に水俣病歴史考証館を訪問した。

水俣病歴史考証館外観

〈水俣病歴史考証館〉から見るコモンズ農園
水俣病歴史考証館を訪問した経験は、〈コモンズ農園〉の実践をあらためて根底から問い直す契機となった。それは単に公害の歴史を知るという学習的体験ではなく、「土地に関わるとはどういうことか」「自然と人間の関係をどのように構築し直すのか」という、農園の思想そのものに深く触れる出来事であった。

水俣病は、海と工場、地域社会と経済発展が密接に絡み合うなかで発生した。自然は生産の資源として扱われ、目に見えにくい汚染は静かに蓄積し、やがて人々の身体と生活を侵食していった。考証館の展示は、その過程を単なる年表的事実としてではなく、患者や家族の証言、地域の葛藤、裁判闘争の資料などを通して、多層的に提示している。そこには「近代化の影」に置き去りにされた声があり、制度や統計では測れない痛みが刻まれていた。

水俣病患者や当時の被害にあった漁村の様子を伝える展示物

〈コモンズ農園〉が田辺の土地で進めている実践もまた、自然と人間の関係を問い直す試みである。十年後の「みかんの展覧会」を見据えながら、栽培と対話、リサーチとアーカイブを重ねるプロセスは、単なる農業でも単なる芸術でもなく、「場」を育てる営みである。水俣の歴史から学んだのは、土地は決して中立な舞台ではないということである。そこには過去の選択や価値観が堆積し、見えない層となって現在に影響を与えている。土地に関わる者は、その層に無自覚であってはならない。

また、考証館が示していたのは、記録することの倫理である。被害者や支援者が自ら資料を収集し、展示し、語り継ぐ。その行為は、忘却に抗うだけでなく、歴史の解釈を主体的に取り戻す営みであった。〈コモンズ農園〉におけるリサーチや農家へのインタビュー、土壌や気候の変化の記録も、単なる情報収集ではない。それは未来に向けて共有可能な記憶を築くことであり、関係性のアーカイブを育てることでもある。水俣の実践は、記録が「証言」であり、「抵抗」であり、「再生の基盤」になり得ることを示していた。

水俣病歴史考証館で解説を行う吉永利夫氏


さらに、水俣の経験は「豊かさ」の再定義を迫る。高度経済成長は一時的な繁栄をもたらしたが、その背後で失われたものは計り知れない。経済的指標では測れない身体の痛み、地域の分断、信頼の崩壊。それらを見つめるとき、私たちは別の価値軸を必要とする。〈コモンズ農園〉が目指すのは、収量や効率だけではなく、時間を共有すること、対話を重ねること、未分化な感覚を取り戻すことに重きを置いた実践である。みかんを育てる十年という時間は、成果主義とは異なるリズムを内包している。その持続的な時間感覚こそが、水俣の教訓と響き合う。

考証館で強く感じたのは、「当事者性」の問題であった。水俣病は決して一地域の特殊な出来事ではなく、私たちの消費や生活様式とも無縁ではない。加害と被害は単純に分けられるものではなく、社会全体の構造のなかで絡み合っている。〈コモンズ農園〉もまた、外部から地域に関わる実践である以上、常に自己批判的である必要がある。アートが農業や土地に介入するとき、それが善意であっても無自覚な支配や表象の消費になり得る危うさを、水俣の歴史は静かに示している。

だからこそ、農園は「フォーム」であり続けなければならない。固定化された成果や制度ではなく、対話と揺らぎを許容する開かれた構造であること。異なる立場や考えを持つ人々が交差し、摩擦を抱えながらも共存する場であること。水俣病歴史考証館が、痛みの記憶を隠さずに提示し続ける姿勢は、そのようなフォームの在り方を示唆している。

今回の訪問は、過去を知ることで現在の足場を確認する体験であった。土地の声に耳を澄ますこと、記憶を軽視しないこと、豊かさの尺度を問い直すこと。その一つひとつが、〈コモンズ農園〉の実践をより倫理的で持続可能なものへと導く。水俣の海が抱えた記憶は、遠い出来事ではなく、今ここで土地に向き合う私たちの姿勢を照らす鏡なのである。

水俣病から環境社会問題に関する書籍を集めて書籍販売コーナー
石牟礼道子は執筆活動と並行して、水俣病の解決を求める運動に深く関わった

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

市立水俣病資料館 / 国立水俣病情報センター (熊本県水俣市)


市立水俣病資料館は、水俣市が設置・運営する公的な展示施設であり、水俣病の発生から拡大、原因究明、補償・裁判、地域の再生に至るまでの歴史を、市民の視点を重視しながら体系的に伝えている。写真、映像、行政資料、患者や家族の証言などを通じて、出来事の経緯だけでなく、被害が地域社会にもたらした分断や葛藤も含めて提示する。修学旅行生や一般来館者に向けた学習プログラムや語り部活動にも力を入れ、環境問題と人権の問題を次世代へ継承することを主な目的としている。地域に根ざし、記憶の共有と教育を担う拠点である。

一方、国立水俣病情報センターは環境省所管の専門機関で、水俣病に関する医学的・科学的資料や研究成果を収集・保存し、国内外へ発信することを目的とする。公害や環境汚染に関するデータの整理、調査研究の支援、国際協力の推進などを通じて、水俣病を地球規模の環境課題として位置づける役割を果たしている。展示機能も持つが、その性格は教育普及に加えて研究・政策支援の基盤整備に重きがある。前者が地域社会の歴史と記憶の継承を中心とするのに対し、後者は学術的・国際的視野から知見を集約し発信する点に両者の役割に違いを見ることができる。

2025年10月25日に市立水俣病資料館及び国立水俣病情報センターを訪問した。



〈市立水俣病資料館〉と〈国立水俣病情報センター〉から考えるコモンズ農園
市立水俣病資料館と国立水俣病情報センターを訪れた経験は、〈コモンズ農園〉の実践を別の角度から照らし出す契機となった。さらに私設である水俣病歴史考証館と対比することで、公共性、制度、主体性という三つの軸が浮かび上がり、農園の立ち位置をより立体的に考えることができた。

市立水俣病資料館は、地域社会が背負ってきた歴史を、公的責任のもとで体系的に伝える場である。被害の経緯、行政や企業の対応、補償問題、地域の再生への歩みが整理され、来館者が全体像を理解できる構成になっている。そこには、出来事を社会的事実として共有し、次世代へ継承するという明確な目的がある。展示は感情に訴えるだけでなく、因果関係や制度的背景を示し、複雑な問題を公共の知として提示している。

市立水俣病資料館
市立水俣病資料館展示室
市立水俣病資料館展示室

国立水俣病情報センターはさらに視野を広げ、水俣病を医学的・科学的・国際的文脈の中で位置づける。研究成果の蓄積やデータの保存、国際協力の推進を通じて、ローカルな公害事件を地球規模の環境課題へと接続している。ここでは経験が知識へと変換され、政策や研究の基盤となる。個別の痛みは、普遍的な教訓へと抽象化される。

国立水俣病情報センター


一方、水俣病歴史考証館は、当事者や市民の立場から歴史を掘り起こす場である。公的な整理とは異なり、記憶の揺らぎや葛藤を抱えたまま提示する。その姿勢は制度の枠を超え、語られなかった声に光を当てる。三つの施設は対立するのではなく、それぞれ異なるレイヤーで水俣を語っている。公共的整理、科学的集約、主体的証言。この三層構造が、記憶を社会に定着させている。

〈コモンズ農園〉にとって、最も大きな学びは、この多層性の必要性であった。農園は、異なる立場や価値観を持つ人々が交差する「フォーム」として構想されている。しかし、対話や関係性の生成に重きを置くあまり、活動の意味や構造が曖昧になる危険もある。市立資料館が示すように、公共性を持つ実践には、歴史や背景を整理し、説明可能な形で提示する責任が伴う。農園でのリサーチやインタビュー、栽培の記録を単なるプロセスとしてではなく、社会に開かれた知として構築する必要がある。

同時に、国立情報センターが示す視点は、ローカルな営みをより広い枠組みへ接続する可能性を教えてくれる。田辺の土地でみかんを育てるという行為は、小さな地域実践に見えるかもしれない。しかしそれは、近代的生産思想や効率至上主義への問い直しでもあり、持続可能な自然観を提示する実験でもある。水俣が国際条約へとつながったように、ローカルな経験は普遍的な議論へと開かれていく。〈コモンズ農園〉もまた、その思想的射程を自覚する必要がある。

さらに、歴史考証館との違いから学べるのは、主体性の問題である。公的施設が整然と事実を提示するのに対し、考証館は揺らぎを含んだ記憶を保持する。〈コモンズ農園〉も、制度化や成果主義へと回収されすぎれば、本来の実験性や批評性を失いかねない。だからこそ、整理と揺らぎの両立が求められる。制度的な透明性と、個々の身体性に根ざした語り。その二つを往還することが、持続可能な「コモンズ」を形成する条件となる。

水俣の三つの施設を通して浮かび上がるのは、「土地に責任を持つ」という姿勢である。被害の歴史を公的に整理すること、科学的に検証すること、市民が主体的に語り継ぐこと。そのすべてが、土地の未来を形づくる行為である。〈コモンズ農園〉もまた、土地を単なる舞台としてではなく、記憶と未来を内包する存在として扱う必要がある。

十年後のみかんの展覧会は、単なる成果発表ではなく、時間をかけて育まれた関係性と倫理の提示であるべきだろう。水俣で学んだのは、自然との共生を語るためには、制度、科学、記憶、主体の各層を横断する視野が不可欠だということである。市立資料館と国立情報センター、そして歴史考証館。それぞれの立場から発せられる問いは、〈コモンズ農園〉の実践をより深く、より批評的に、そしてより公共的なものへと導く思考の基盤となったのである。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

まつさか農園 (和歌山県有田市)


まつさか農園は、和歌山県有田市に拠点を置く柑橘農園で、主に温州みかんを中心とした柑橘類の生産を行っている。有田地域の急傾斜地という厳しい自然条件のもと、長年培われてきたみかん栽培の技術を継承しつつ、労働環境や栽培構造そのものを見直す実践に取り組んでいる点に特徴がある。同農園では、属人的な職人技に過度に依存しない「誰でも参加可能な農業」を目指し、草生栽培の導入、園地設計や作業工程の改善、作業負担の軽減などを通じて、身体的負荷の少ない持続可能な農業モデルの構築を進めている。また、栽培や管理においては、経験や勘に頼るだけでなく、データ収集や検証を重ねることで、再現性と共有性を高める知見の蓄積を重視している。さらに、味や品質においては、糖度などの数値指標のみに依拠せず、完熟による風味や食味といった総合的な価値を大切にし、世代を超えて「変わらない美味しさ」を届けることを目標としている。まつさか農園の取り組みは、地域農業の持続性や担い手の多様化といった課題に応答する実践として注目されている。

まつさか農園 園主の松坂進也氏にインタビューを行った。

農園を巡りながら話す松坂進也氏



松坂さんインタビュー 要約

1.出会いと問題意識
松坂さんは、もともと農業に強い関心があったわけではなく、祖父の体調不良をきっかけに畑を引き継いだことからみかん栽培を始めた。当初は「短期間で自動化できる仕事」と農業を軽く見ていたが、実際に取り組むなかで、農業が極めて複雑で、整然としたマニュアルでは割り切れない世界であることを痛感する。この「わからなさ」への違和感が、松坂さんの農業を徹底的に分析・構造化しようとする姿勢の出発点となった。

2.「整然とした農業」への志向
文系出身でありながら、数学の因数分解のように、条件を整理し、誰がやっても一定の結果に近づける「装置としての農業」に魅力を感じる松坂さんは、「サルでもできる農業」を合言葉に研究を開始する。これは単なる効率化ではなく、属人的な職人技に依存しすぎた農業構造や過酷な労働環境への疑問であり、「誰でも参加できる農業」への問題提起でもあった。

3.やさしい農業への転換
次第に松坂さんの関心は、「楽な農業」から「人と植物の双方が幸せになる農業」へと移行する。有田みかん産地の急傾斜地で続いてきた過酷な労働環境、重量物の運搬による職業病、年齢とともに蓄積する身体負担。これらを「仕方がないもの」とせず、変えるべき構造として捉え、女性の身体条件に合わせた作業環境づくりや、自然の力を活かした栽培方法の実験に取り組んでいる。

平坦な農地を購入し、新しい草生栽培の方法を実験している園地。

4.職人技と共有可能性のあいだ
松坂さんは、現在の「誰でもできる農業」は評価としては40~50点程度にとどまると率直に語る。一方で、職人技の頂点(100点)を否定するのではなく、その水準を「やさしい農業」で到達できる方法を模索している。ここには、一人の名人が完成度を高める農業と、地域全体の持続性を高める農業との緊張関係がある。

5.味・価値・数値化できないもの
消費者が求める糖度至上主義に対して、松坂さんは完熟による風味や旨味、食味といった「数値化できない美味しさ」を重視する。祖父母の代から受け継がれてきた完熟収穫の記憶は、技術革新のなかでも残すべき価値として語られ、次世代に「変わらない味」を届けることが自身の責任だと位置づけられている。

6.気候変動と20年後の責任
気候変動によって有田が将来、柑橘の適地でなくなる可能性を見据えながらも、「少なくとも20年はみかんを作り続ける」という時間軸での責任が語られる。農業は短期的な利益ではなく、世代を超えた持続性の問題として捉えられている。

あらたに購入した平坦な農地

7.コモンズ農園への視点
松坂さんは、コモンズ農園の活動に対し、「人間中心」になりすぎない姿勢を評価しつつ、植物の健康への配慮を強調する。植物と人間が言葉なき対話を通じて共に良くなる関係性、そのための「管理」と「放任」のバランスが重要だと述べ、議論と対話の場としてのコモンズ農園の可能性に共感を示している。

8.土地の記憶と物語
有田の地域史―「ケシ栽培(アヘンの原料作物)」や漁業の歴史など、語られなくなった過去―に触れながら、松坂さんは「物語として語り継がれること」の重要性を語る。良い・悪いではなく、なぜそうであったのかを考えることが、土地への理解を深め、未来の営みの厚みになるという認識が共有された。

農園を巡りながら話す松坂進也氏


〈まつさか農園〉から考えるコモンズ農園

やさしい農業としての構造実験と、共有可能な技術の倫理
コモンズ農園は、農園を単なる生産の場ではなく、人・植物・土地・時間が交差し続ける「生成するコモンズ」として捉え直す試みである。そこでは完成形や最適解が先にあるのではなく、異なる立場や身体、価値観が出会い、調整され、時に衝突しながら関係性そのものが更新されていく。その視点から見たとき、まつさか農園の実践は、極めて重要な参照点として位置づけることができる。
まつさか農園の特徴は、いわゆる「自然栽培」や「慣行農業」といった二項対立に回収されない点にある。松坂氏の農業は、自然を放置することでも、人間の管理を極限まで強めることでもなく、人と植物の双方が無理なく関係を持続できる条件を、構造として組み替えようとする実験に近い。ここで重要なのは、彼が農業を「属人的な職人技」ではなく、「誰でも参加可能な装置」として再設計しようとしている点である。松坂氏は、農業の現場に蔓延する過酷な労働条件を、個人の覚悟や美徳として引き受けることを拒否する。
急傾斜地での重労働、加齢とともに蓄積する身体的歪み、職業病としての怪我 ―それらを「仕方がないもの」とせず、変えるべき構造として捉える姿勢は、コモンズ農園が目指す「場の倫理」と強く共鳴している。
特に、女性の身体条件を基準に作業環境を再設計する試みは、農業の前提そのものを問い直す行為であり、農園を社会的実験の場へと開いている。
また、まつさか農園では、草生栽培や園地設計、作業工程の見直しなどが、感覚や勘に頼るのではなく、徹底したデータ収集と検証によって支えられている。この「科学的エビデンスに基づくやさしさ」は、コモンズ農園にとっても重要な示唆を与える。なぜなら、共有可能なコモンズを成立させるためには、経験や暗黙知を可視化し、他者と分かち合える形式へと翻訳する作業が不可欠だからである。松坂氏の実践は、職人技の頂点を否定するのではなく、その水準をいかにして多くの人が到達可能なものへと変換できるか、という問いを農業の内部から投げかけている。
さらに注目すべきは、松坂氏が「人にやさしい農業」と同時に「植物が元気であること」を強調している点である。自然栽培の名のもとに、植物が弱り、助けを求めているように見える状況への違和感は、人間中心主義への単純な批判にとどまらない。人間の理想や思想を植物に押し付けるのではなく、植物とのノンバーバルな対話を通じて関係を調整していく姿勢は、コモンズ農園が重視する「管理と放任のあいだ」を具体的に示している。味覚や価値の捉え方においても、まつさか農園はコモンズ的である。糖度という単一指標に回収されない完熟の風味、旨味、記憶としての味。それは市場価値だけでなく、世代を超えて共有される感覚的コモンズと言える。松坂氏が「20年後の子どもたちが同じ味を食べられること」を最低限の責任と語るとき、農業は短期的な経済活動ではなく、時間を媒介とした公共的実践として立ち上がる。
加えて、有田という土地が持つ語られなくなった歴史―アヘンの原料となるケシ栽培、漁業の記憶―に触れながら、それを善悪ではなく「物語」として残すべきだとする視点は、コモンズ農園が目指す地域との関係性とも深く接続する。土地の過去を掘り起こし、現在の営みと接続し直すことは、新しい実践を可能にする想像力の土壌を耕す行為にほかならない。以上のように、まつさか農園は、コモンズ農園にとって「完成されたモデル」ではなく、「共有可能な実験知」を蓄積する伴走者として位置づけられる。
やさしい農業とは何か、誰のための効率化なのか、植物と人間はいかに共に幸せであり得るのか ―その問いを、思想ではなく現場から立ち上げ続けている点にこそ、まつさか農園の本質的な価値がある。コモンズ農園は、この実践から学びつつ、異なる場所・異なる身体条件のなかで、さらに別様の「やさしさ」を生成していく場となるだろう。

農地での松坂進也氏へのインタビュー

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズ(神奈川県箱根町)

ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズは、フラワーアーティスト、ニコライ・バーグマンが手がける体験型ガーデン施設であり、自然とデザインを融合させたランドスケープ空間である。箱根の豊かな自然環境を背景に、四季折々の植物と現代的な造形感覚を組み合わせ、単なる観光庭園ではなく「歩くことで感じる風景」として構成されている点に特徴がある。
園内には芝生広場や花畑、林間の小径、フラワーインスタレーションが点在し、四季の変化を軸とした空間設計がなされている。春の花畑、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の静謐な景色へと表情を変え、訪れる者は視覚のみならず嗅覚や触覚を通して自然を体感することができる。また、カフェやショップを併設し、自然の中で滞在する時間そのものをデザインしている点も特徴の一つである。
自然の地形や既存植生を活かしながら、明確なコンセプトのもとに編集された空間は、ランドスケープとアート、商業性を横断する新しいガーデンのあり方を提示している。

2025年3月16日、ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズを訪問した。

庭園入り口のレセプション



〈ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズ〉から考えるコモンズ農園

ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズの最大の特徴は、「自然を素材として編集する」という姿勢にある。本訪問は、コモンズ農園におけるデザイン性およびランドスケープの可能性を検討するために行ったものである。ガーデンズでは、植物や地形は単なる背景ではなく、明確なコンセプトに基づいて配置され、空間全体が一つの作品として設計されている。色彩計画は季節ごとに構想され、視線の抜け、高低差、歩行導線に至るまで意識的にデザインされているため、来場者は無意識のうちに風景の構造を体験することになる。この「編集された自然」は、人工的でありながら自然の生命力を損なわず、むしろそれを強調するという両義的な魅力を備えている。

回遊式の階段の傾斜やすれ違うことも可能な道幅など歩行しやすサイズとなっている


また、ランドスケープ全体に統一された造形言語が貫かれている点も重要である。サイン計画、建築要素、植栽デザインが一体化し、ブランドの世界観が空間全体に浸透している。その結果、訪問者は庭を「鑑賞する」のではなく、世界観の中に「没入する」体験を得る。さらに、フォトジェニックな視点場の設計や季節ごとの演出は、継続的な来訪動機を生み出す装置として機能している。

縁石は庭園にある自然素材を利用し、周辺との自然との一体化を図る
庭園内の建物、椅子、階段などが黒に統一されたデザインになっている

これらの点は、田辺市で展開されている〈コモンズ農園〉の今後の発展においても示唆的である。コモンズ農園が目指す「農園という名のフォーム」が、単なる農地ではなく異なる立場の人々が交差する場であるならば、その空間構成にも明確な景観的編集が求められる。例えば、みかん畑の列植や収穫動線を意識的に設計し、滞在のリズムを生み出すこと、あるいは「未完成マップ」の思想をランドスケープに反映させ、時間とともに変化する構造を可視化することが考えられる。

庭園内の園路の上には、自生する熊笹や木の表皮を粉砕した素材が敷き詰められており、雨天でも歩行しやすい配慮がなされている。


同時に、箱根ガーデンズのように「自然とブランドの統合」を図るのではなく、コモンズ農園ではむしろ「多声的で未完であること」を前景化することが差異化の鍵となる。整えすぎない余白や作業の痕跡、対話の場としてのベンチや小屋などを景観の一部として位置づけることで、農とアート、哲学的思索が重なり合う場を形成できる。参考とすべきは完成された美そのものではなく、「自然をいかに構造化し、体験として提示するか」という設計思想である。箱根ガーデンズが示す編集力と統一感は、コモンズ農園においては「関係性のデザイン」として再解釈されうる。その応用可能性は、将来的な〈みかんの展覧会〉構想においても、風景そのものを展示空間へと転換するための重要な視座を与えている。

ランチ用のバスケット。庭園内の好きな場所でランチが食べられるようにバスケットも用意されている
庭園内に点在する温室。周遊道のポイント地点に
母屋のカフェとガーデン内のフラワーショップの間を繋ぐデッキ
冬になると枝が鮮やかな赤色に染まるサンゴミズキ。自生する熊笹と赤色のコントラストによって冬枯れの庭園を鮮やかにする。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

つなぎ美術館 (熊本県津奈木町)

つなぎ美術館は、熊本県津奈木町に位置する町立美術館であり、1993年に開館した。津奈木町は水俣湾に面し、水俣病の歴史と地理的にも深く関わる地域にある。同館は、地域の自然や歴史、記憶と向き合いながら、現代美術を通して新たな価値を創出することを目指してきた。館内展示にとどまらず、野外彫刻の設置や地域資源を活かした企画など、土地と密接に関わる活動を展開している点に特徴がある。とりわけ独自性が際立つのが、アーティストの長期滞在制作を軸としたアートプロジェクトである。代表的な取り組みの一つが「入魂の宿」プロジェクトである。これは作家が一定期間津奈木町に滞在し、住民との交流やリサーチを重ねながら作品を構想・制作するものであり、単発的な展覧会形式とは異なり、時間をかけて地域との関係性を築くことを重視している。制作過程そのものが公開され、町民との対話やワークショップを通じて作品が醸成されていく点に大きな意義がある。このように、つなぎ美術館は単なる「展示の場」にとどまらず、土地に根差した思考と実践を育むプラットフォームとして機能している。長期プロジェクト型のプログラムを通じて、アートを媒介に人と人、過去と現在、地域と外部を結び直す試みを継続している点に大きな特徴がある。

2025年10月26日、つなぎ美術館を訪問し、アートプロジェクトの宿泊施設「入魂の宿」に宿泊した。

元町立赤崎小学校のプール施設を活用修復して完成した宿泊施設<入魂の宿>


〈つなぎ美術館〉から考えるコモンズ農園

コモンズ農園にとって、つなぎ美術館の長期滞在型プログラムによる柳幸典氏による「入魂の宿」プロジェクトは、単なる先行事例ではなく、時間と関係性を基盤にした実践のあり方を示す重要な参照軸である。小規模な町立美術館という条件を制約ではなく前提として引き受け、4年という歳月をかけて地域との信頼を醸成し、制作過程そのものを公開しながら作品を育てていく姿勢は、コモンズ農園が重視する「プロセスの共有」や「場の生成」と深く共振する。
とりわけ注目すべきは、柳幸典氏は「入魂の宿」プロジェクトを通じて水俣病という公害の原点に向き合い、地域に沈殿する負の感情や記憶を可視化しようとした点である。石牟礼道子の詩「入魂」やユージン・スミスの写真に立ち返り、忘却されつつあった歴史を再び公共空間へと呼び戻す行為は、アートを媒介にして土地の記憶を掘り起こし、再編する試みである。廃校プールを再生し、不知火海を想起させる循環型の水のシステムを組み込むことで、環境の脆弱さと再生の可能性を身体的に体験させる構造は、理念と空間が一体化した強度を持つ。

プールを再利用しビオトープを作り循環再生の在り方を提示する

この点でコモンズ農園もまた、みかんの栽培という長い時間軸を伴う行為を通して、土地の歴史や環境と向き合い、異なる立場の人々が交差する「農園という名のフォーム」を構想している。制作物そのものよりも、関係の編成や思考のプロセスを重視する姿勢は共通している。また、中心から周縁へと視点を移し、周縁から社会へ問いを投げかける態度も響き合う。
しかし両者には決定的な違いもある。柳幸典氏のアイディアは、水俣病という明確な歴史的事件を軸に、記憶の回復と環境倫理を主題化するプロジェクトであり、問題意識が比較的明示的である。それに対してコモンズ農園は、特定の事件や被害の記憶を直接扱うのではなく、日常的な農の営みを通して、ゆるやかに価値観を問い直す場を形成している。みかんの木を育てる10年という時間は、再生の象徴というよりも、関係性の持続を試す実験であり、問いを前景化するよりも、問いが立ち上がる余白を保つことに重心がある。
また、入魂の宿が最終的に「宿泊施設」という具体的機能を持つ場として結実するのに対し、コモンズ農園は用途を固定しない未完の場であり続けようとする。そこでは、完成形よりも変化の継続が重視される。この未規定性は脆弱さでもあるが、同時に多様な可能性を内包する。
二つのプロジェクトから見えてくるのは、長期プロジェクト型アートの多様な地平である。入魂の宿が記憶を可視化し、倫理的な問いを強く提示するとすれば、コモンズ農園は、生活の延長線上で価値観の転換を静かに促すのである。前者が歴史の傷口に触れながら再生を構想するのに対し、コモンズ農園は未来の共同性を先取りする実験場といえる。両者の共振と差異を往還することは、アートが地域に関わる方法そのものを再考する契機となるし、コモンズ農園の独自性が、より際立つことになるのではないだろうか。

海のすぐ横にある元小学校の庭先と小さな島「小天狗島」
<入魂の宿>入り口
元プールの更衣室を利用したシンプルな宿部屋
宿泊練から見る夜のビオトープ

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

学校法人 うつほの杜学園 (和歌山県田辺市中辺路)

学校法人 うつほの杜学園は、和歌山県田辺市中辺路地域に位置する小規模な私立学校である。豊かな自然環境のなかで、「グローカル(Global+Local)」な視座を育む教育を実践している。
校名に冠された「うつほ」は日本の古語に由来し、はじまりの場を意味する。この名称には、子ども一人ひとりの内にある潜在性を引き出す学びの姿勢が込められている。
教育理念の中核には、地球規模の課題を見据えるグローバルな視点と、地域の自然・文化・暮らしに根ざしたローカルな視点とを往還しながら思考する力を育てることが据えられている。単なる知識の習得にとどまらず、「自ら問いを立て、考え、表現し、他者と協働する力」を重視し、主体的な学びを支える教育環境の整備が行われている。
カリキュラムにはIB(国際バカロレア)の教育プログラムを取り入れ、日本語と英語によるバイリンガル教育を段階的に実践している。多様なバックグラウンドや文化的背景の異なる子どもや教員を受け入れ、多様性を前提とした学びの場を形成している点も大きな特徴である。
また、教室内での学習に加え、自然体験や農・食に関わる活動、地域との交流を重視している。田畑や山、川といった身近な自然環境を学びの場として活用し、体験を通じて自然の恵みと厳しさの双方を実感しながら、生きる知恵を育んでいく。こうした実践は、知識理解にとどまらず、身体感覚や他者との関係性を通じた総合的な学びへとつながっている。
運営面においては、学校・教員・保護者が一方通行の関係に陥ることなく、対話を通じて教育を共につくる姿勢が大切にされている。学校という制度を固定化された完成形としてではなく、時間をかけて育まれていく「環境」として捉え、教育のあり方そのものを問い続けている点に、うつほの杜学園の独自性がある。自然・地域・世界を結びながら、子どもたちが自らの問いを持ち、未来を構想する力を育むこと —うつほの杜学園は、これからの時代に求められる新たな教育のかたちを、地域に根ざした実践として提示している。

学校法人 「うつほの杜学園」理事長である、仙石恭子氏にインタビューを実施した。

ツバメアーキテクツによって旧二川小学校をリノベーションした校舎



仙石恭子理事長インタビュー要約

1.背景と問題意識
仙石氏は、慶應義塾大学環境情報学部において領域横断的な学びを経験し、卒業後はデザイン会社IDÉEに勤務した。東京デザインウィークの運営やミラノ・サローネをはじめとするイタリアのデザインの現場に身を投じ、その後はワイン関連の仕事を通して約20年にわたり現地と関わってきた。イタリア各地の小規模自治体やワイナリーを訪れるなかで、「テリトリー(土地・地域)」を尊重し、自然・食・文化と密接に結びついた暮らし方に触れた経験が、現在の思想的基盤となっている。

インタビューに答えてくれる仙石理事長

2.イタリア体験と「グローカル」な視点
イタリアでの生活と仕事を通じて、仙石氏は「外を見ることで自らの故郷を見直す」という感覚を深めていった。ローマ料理やミラノ料理のように、国家単位ではなく地域単位で文化や誇りが語られる社会のあり方に触れ、日本において希薄化しつつある地域性への危機感を抱くようになる。こうした経験を背景に、グローバルな視座(地球規模・国際性)とローカルな視座(地域・自然・暮らし)とを往還しながら思考する「グローカル」という概念が形成され、うつほの杜学園の教育理念の核となっていった。

広々とした校庭
広々とした校庭


3.学校設立までの実践と困難
2020年のコロナ禍を契機に、「故郷に貢献するには新たな学校を創ることが切り口である」と考え、学校設立を決意する。構想から認可取得、開校まで約5年という短期間で実現したが、その道のりは平坦ではなかった。ほぼ一人で構想を進め、当初の約3年間は協力者の多くはプロボノや無償のボランティアであった。廃校となっていた校舎を活用し、地域や行政(田辺市長・当時の和歌山県知事)の理解を得ながら準備を進めた。学校設立にあたっての資金は寄付を中心に賄われた。その原動力となったのは、理念やコンセプトを丁寧に言語化し、共感の輪を広げていった点にある。

子どもたちは、ゆったりとした生徒数で学ぶことができる教室

4.教育内容と学校の特徴
うつほの杜学園の教育は、「答えの無い探究的な問いと主体的な学び」を重視する。学校側が理念を提示するだけでなく、保護者や教員と意見を交わしながら学校運営を共に構築していく点が大きな特徴である。教育の基盤にはIB(国際バカロレア)の思想を取り入れ、「自ら問いを立て、考え、表現し、協働する力」を育むことを重視している。授業設計は教員に大きく委ねられ、理念に共鳴した教員が集い、実践を担っている。また、自然環境を生かした体験的な学びが豊富に組み込まれており、農作業や食のプログラム、山や高原での活動などを通して、自然の恵みだけでなく、その厳しさや生態系の現実を体感的に学んでいる。鹿による作物被害といった出来事も、自然の中で生きることを理解するための学びとして受け止められている。

校舎の整備や管理、ワークショップなど学校によりそう炭焼き職人の土山徹さん

5.環境を整えること、時間をかけること
仙石氏は、自身の役割を「教育内容を管理すること」ではなく、「人や学びが自発的に生まれる環境を整えること」にあると語る。チャイムを設けない校内環境や、日々の役割を子どもたちが担う仕組みなど、環境そのものが教育として機能するあり方を重視している。
また、自由学園(創立104年)を訪れた経験や、イタリアのワイン造りに見られる長い時間軸への理解から、「教育は時間をかけてこそ育つものだ」という確信を深めている。うつほの杜学園も、短期的な成果を追うのではなく、世代を超えて継承される環境と文化を育てることを目指している。
本インタビューから浮かび上がるのは、教育とは理念を掲げることにとどまらず、環境を整え、対話を重ね、時間をかけて育んでいく実践であるという一貫した姿勢である。グローバルとローカル、自然と人、理念と実践を往還しながら進められるうつほの杜学園の取り組みは、アートプロジェクト〈コモンズ農園〉とも深く共鳴し、「数や効率では測ることのできない価値」を地域に根ざして育てる試みとして位置づけられる。

アイディアのメモが掲示板に張り出され共有できるようになっている


〈うつほの杜学園〉から考えるコモンズ農園

環境をつくること、関係が生成すること、時間を耕すこと
うつほの杜学園の実践は、教育という制度的領域に位置づけられながらも、その本質は「学校」という枠を超え、環境を整え、関係性を生成し、時間を耕す営みとして捉え直すことができる。その意味において、同学園はアートプロジェクト〈コモンズ農園〉と深い共振関係にある。
コモンズ農園が問いとして掲げているのは、「成果」「効率」「人数」「評価」といった近代的・制度的な価値尺度をいったん脇に置き、人と人、人と自然、人と時間のあいだにいかなる関係が生まれうるのかを、実践を通して探ることである。そこでは、完成された作品や明確なゴールよりも、関係が立ち上がるプロセスそのものが重視される。うつほの杜学園もまた、教育成果を即時的に可視化するのではなく、「どのような環境があれば、人は自発的に学び、関わり、育っていくのか」という問いを、現場で粘り強く試み続けている。
仙石理事長が繰り返し語る「私がやっているのは環境を整えることだけ」という言葉は、アートの文脈に引き寄せれば、作者が意味や結果を決定しないアート、あるいは関係性のためのフレームを設計するアートの姿勢と重なる。コモンズ農園においても、農園は完成されたオブジェではなく、異なる背景や価値観をもつ人々が出会い、共に働き、ときにすれ違いながら関係を編み直していくための「場=フォーム」である。そこでは、誰かが何かを教え込むのではなく、環境に身を置くことで思考や行為が自ずと立ち上がる。
また、うつほの杜学園が重視する「グローカル」という視点は、コモンズ農園の志向とも重なっている。グローバルな理念や普遍的価値を掲げつつ、それを抽象的な理想にとどめるのではなく、この土地、この自然、この距離感のなかで、いかに具体的な実践へと翻訳できるかが問われている点で共通している。イタリアのワイン造りに象徴されるテリトリーへの深い感受性や、長い時間軸で物事を捉える姿勢は、コモンズ農園における「農」という営みの思想的基盤とも強く響き合う。
とりわけ重要なのは、両者が「子ども/大人」「教える者/学ぶ者」「つくる側/参加する側」といった二項対立を相対化している点である。うつほの杜学園では、子どもたちが学校生活の一端を担い、保護者や地域も教育のプロセスに関わる。一方、コモンズ農園では、農家、アーティスト、研究者、子ども、来訪者など立場の異なる人々が、固定化された役割を超えて同じ場に関与する。ここでは、特定の誰かが中心に立つのではなく、関係そのものが中心となる。
さらに、時間に対する態度も決定的に重要である。うつほの杜学園が、百年以上続く学校やイタリアのワイン造りから学ぼうとしているのは、時間をかけてこそ育まれる価値の存在である。コモンズ農園もまた、短期的な成果やイベント的消費に回収されるのではなく、10年後、20年後に振り返ったとき、土地や人の記憶として残るプロセスを志向している。みかんの木が実を結ぶまでに歳月を要するように、関係性や信頼、学びもまた時間を必要とする。
このように見ていくと、うつほの杜学園は「教育の場」であると同時に、地域に開かれた長期的なプロジェクトとして位置づけることができる。そしてコモンズ農園は、「農」という行為を媒介に、教育・アート・生活が未分化に重なり合う実践の場である。両者は異なる入口を持ちながらも、「環境を整えることで人を変える」のではなく、「人が変わりうる環境をいかに立ち上げるか」という共通の問いを分かち合っている。
今後、両者が連携する可能性は、特定のプログラムや成果を生み出すこと以上に、互いの実践を鏡として照らし合いながら、地域における新たなコモンズのかたちを探る点にあるだろう。それは、教育とアート、農と思想、子どもと大人が分断される以前の、より根源的な「生き方の学び」を、静かに、しかし着実に育んでいく試みである。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

イベファーム(和歌山県海南市下津町)


イベファームは、和歌山県海南市下津町に位置する、みかんを中心とした自然栽培農園である。代表の井邊博之氏は、神奈川県で研究職として長年勤務した後、実家の農園を継ぐため帰郷し、2010年より一部の畑から自然栽培に取り組み始めた。現在は、肥料・堆肥・農薬を一切使用しない栽培方法に全面的に移行している。
イベファームの自然栽培は、土壌・樹木・水・空気・人の関係性を回復させることを重視している。収穫を数年間行わず樹勢の回復を優先する判断や、害虫対策を農薬に頼らず手作業で行うなど、長期的な循環と持続性を前提とした実践が特徴である。
また、土地条件や環境要因を丁寧に読み取り、斜面地・平地それぞれの特性に応じた栽培方法を模索するとともに、「大地の再生」の考え方を参照しながら、空気と水の流れを整える試みも行っている。こうした実践は、自然栽培の難しさと可能性を同時に示すものとなっている。
生産物は、自然食品店への卸売と、理念に共感するサポーターへの限定販売を中心に流通している。また、生産者と消費者が相互に関わる関係づくりを目指している。家族内継承にとどまらず、自然栽培を志す人々とのコミュニティとして農を持続させる将来像を描いている。

2025年3月10日、井邊ご夫妻にインタビューを実施した。

遠く海を見渡す高台のイべファームの園地




井邊博之氏へのインタビュー要約

1.訪問の背景 ― コモンズ農園が「学びの相手」を探す理由
〈コモンズ農園〉は、柑橘を育てながら、将来はみかんを素材にした展覧会や、実が育つ長い時間を使った多様なプログラムを組み、世代や職業、立場の異なる人が交わる「農園という名のプラットフォーム」をつくる。その拠点となる園地は、前園主が自然栽培で育ててきた場所であり、その姿勢を継承したいと考えている。しかし田辺周辺では自然栽培の実践者が多くはない。そこで下津町で自然栽培のみかんに取り組むイベファームを見つけ、自然栽培に至る経緯、技術的な実際、そして未来像までを学ぶためにインタビューを行った。

オフィスで無農薬・自然栽培の難しさを語る井邊博之氏

2.井邊さんの転機 ― 研究職から、実家のみかんへ
井邊さんは2009年まで神奈川に暮らし、電気会社で研究所勤務を続けていた。三十年近く働いたのち、53歳で早期退職を選び、年老いた両親の畑を継ぐために和歌山へ戻った。実家は代々みかん専業で、当初は両親と同じ慣行栽培を一年行う。しかし、姉から紹介された木村秋則の『奇跡のリンゴ』が決定的な契機になる。人と同じことを繰り返すより、新しい問いを立てて試すことを仕事としてきた井邊さんにとって、「リンゴでできるならみかんでもできるはずだ」という直感は強い推進力になった。周囲に前例がほとんどない中で、2010年、まず一部の畑から自然栽培を始める。

3.自然栽培の定義―「何も入れない」ことから始まる
井邊さんが言う自然栽培とは、肥料も堆肥も農薬も使わないことを基本とする。移行は一気にではなく、生活が立ちゆかなくなる危険を避けながら、区画を少しずつ切り替えて進めた。2011年の東日本大震災を機に、魚由来の有機肥料への不安が高まったことも、「畑に入れるもの」を根本から見直す契機となる。試しに他の畑でも肥料をやめ、木の反応を観察すると、木は苦しむが温州みかんは予想以上に耐え、結果として収穫量を大きく落とさずに移行できた。とはいえ、農薬をやめると果皮に黒点が出て売りづらくなる。慣行栽培では商品価値維持のため殺菌剤散布を続けざるを得ない現実があり、井邊さんも当初は自然栽培区画と慣行区画を併存させつつ販路を探した。2013年頃、黒点のあるみかんでも受け入れる売り先が整い、全畑を自然栽培へ切り替える決断に至る。

4.最大の壁― 害虫と「手作業の季節」
自然栽培の難しさは、害虫対策に集約される。温州みかんは花が咲けば実がなる性質を持つが、害虫にやられると木そのものが枯れていく。井邊さんが最大の敵として挙げるのがカミキリムシとナガタマムシで、いずれも木の内部を食害し、水や栄養の通り道を断って急速に枯死させる。農薬に頼らない井邊さんは、6~8月の3か月間、畑を繰り返し巡回し、卵を見つけて潰し、木屑や糞の跡から幼虫の位置を特定して針金で掻き出す。慣行農家が薬剤散布で一気に処理する季節に、一本一本の木に潜り込み、身体で対峙する時間が続く。枯れた木は寿命として受け止め、切って植え替える ―その反復の中で、自然栽培は「成功法」よりも「持ちこたえ方」の技術として立ち上がっていく。

5.土地条件という現実― 空気と水の循環を読む
もう一つの大きな条件は土地だ。斜面の畑は空気が通りやすい一方、平地の畑は水田転換園で地下水位が高く、自然栽培では根が深く潜ろうとするほど根腐れのリスクが高まる。実際、水田転換の甘夏園では、平地条件の厳しさもあり木を枯らす経験を重ねた。井邊さんは矢野智徳の「大地の再生」に学び、空気と水の流れを回復させる発想を取り入れる。新しい道路が空気の流れを止めることもあるため、土に穴を開けて通気を促し、環境の循環をつくり直す。自然栽培は投入を減らすだけではなく、場の呼吸を取り戻す作業でもあることが語られる。

枯らしてしまった温州みかんの園地。新たに植え直した。

6.「収穫しない」選択―木を生かすための時間
新しく得た畑を自然栽培へ転換する際、井邊さんは二度目の挑戦として経験知を活かし、決定的な学びに至る。それは「実ったみかんを収穫してはいけない」ということだった。木がまだ循環に乗れていない段階で収穫すると樹勢が落ち、枯れに繋がる。そこで三年間は、7月ごろに実をすべて落とし、木の体力を回復させることを優先した。四年目に入り、ようやく収穫しても枯れない木になり始めたという。この話は、自然栽培が「すぐに成果を取る農」ではなく、「木が立ち直る時間を引き受ける農」であることを象徴している。

7.多様性の構想 ― 混栽・共生農法へのまなざし
井邊さんは、自然栽培の先に単一栽培を超える未来を見ている。みかん畑に梅や桃、ブルーベリーなどを混ぜて植えれば、落葉が養分となり、共生的な循環が生まれる。さらに理論的には、同一作物だけでは収量は密植の限界で飽和するが、異なる種を組み合わせれば空間をより密に使え、畑全体の総収量を高められる可能性がある。また、多様性が害虫・収量・循環の面で持つ意味が語られた。ブドウ畑でバラを病気センサーとして植える例も挙げ、コモンズ農園でも「異種を集める」方向性に共感を示した。

8.菌根菌との共生 ― 見えない循環の時間
井邊さんは、肥料を入れない理由を「虫の被害を避けるため」と語るが、同時にみかんの木にも栄養が必要であることを強調する。その鍵となるのが、土壌中の菌根菌との共生関係である。みかんの木の根は菌根菌と結びつき、菌根菌から栄養素を受け取る。その代わりに、木は光合成によって得た糖を菌根菌に供給する。しかし土壌中に肥料分が多いと、この共生関係は成立しにくい。土壌環境が整っていない場合、菌根菌との安定した関係を築くには相当の時間を要するため、初期の数年間は実をつけないほうがよいという判断に至る。また、菌根菌を健全に保つには多様な植物の根の存在が重要であり、そのためみかんの木の周囲に草を生やすことが必要になる。草は競合する存在ではなく、地下の共生ネットワークを支える役割を担って
いるのである。自然栽培は、目に見える成果よりも、見えない地下の関係を育てる時間を優先する営みであることがここに示されている。

自然栽培に切り替えた後も残った温州みかんの木

9.家族の葛藤と記憶 ― 新しさと古さが交差する場所
自然栽培への転換は家族の中に強い葛藤も生んだ。代々の専業農家である両親との衝突は激しく、夫人はその間に立つ苦しさを語る。ただし、義母の言葉として「昔は畑に穴を掘って空気を通していた」「除草剤が普及しても父は多用しなかった」といった記憶が出てくる。自然栽培は突飛な新規性ではなく、便利さの前に行われていた営みを掘り起こす側面もある。近代化の中で失われた手触りを、別の形で回復する実践として位置づけられていく。

10.記録と共有 ― 知見を蓄積し、支える関係をつくる
井邊さんは埼玉の自然食品店が毎年開く勉強会に論文のような記録を提出しており、そこに実践の経過が蓄積されていると答える。夫人も、相談に来た若い夫婦の事例を語り、自然栽培の三年目・四年目に訪れる「心が折れそうな時期」を越える難しさを強調する。枯れ始めた木に耐えきれず肥料を入れてしまう―その瞬間に自然栽培から離脱してしまう。井邊さんは、肥料を入れるくらいならやめる、と極端な言い方で覚悟の線を引く。

オフィスの書棚に揃う無農薬・自然栽培に関する書籍

11.未来像 ― 継承よりコミュニティへ
今後の課題として、子ども世代への継承は容易ではないことが語られる。子どもたちにとって故郷は神奈川であり、和歌山は「祖父母の家」という感覚に近い。そこで井邊さんが構想するのは、血縁継承ではなく、自然栽培を志す人々とのコミュニティづくりである。現在は収穫の三分の二を自然食品店へ卸し、残りは直販の多数相手ではなく「自然栽培サポーター」に限定して販売している。今後はサポーターとの関係を一方通行から相互へ変え、農作業を手伝いたい人が関われるネットワークを育てたいという。農業を「生産と消費」に閉じず、関係性の場として編み直す視点が示された。

12.コモンズ農園への示唆 ―自然栽培が教える「時間」と「関係」
インタビュー全体を通して、自然栽培は単なる技術ではなく、時間と失敗、身体的な手間、土地の循環、そして支え合う関係を引き受ける実践として描かれた。木を生かすために収穫を三年諦めること、害虫に一本一本向き合うこと、場の呼吸を取り戻すこと―それらは効率の論理とは別の価値基準を要請する。〈コモンズ農園〉が目指す「農園という名のプラットフォーム」は、まさにこの別の時間軸と関係性の設計を必要としている。自然栽培の困難を具体的に知り、同時にそこに宿る可能性 ― 多様性、共生、コュニティ―を確かめた上で、今後の議論と実践へ持ち帰っていく形でインタビューを結んだ。

写真:Tartaruga



〈イベファーム〉から考えるコモンズ農園

イベファームは、〈コモンズ農園〉が構想する「農園という名のフォーム」において、自然栽培の技術的な先行事例であると同時に、持続的な農のあり方と公共的な関係性を実践的に示す重要な参照点として位置づけられる。
〈コモンズ農園〉は、柑橘栽培を基盤としながら、農業を単なる生産活動としてではなく、人と人、人と自然、世代や価値観の異なる主体が長い時間をかけて関わり合う「生成的な場」として再定義することを目的としている。その実現には、短期的な成果や効率を優先する従来型農業とは異なる時間軸と倫理観を内包した実践が不可欠である。イベファームの自然栽培は、まさにその前提条件を具体的に体現している。
イベファームが行う自然栽培は、肥料・堆肥・農薬を一切使用しないという厳格な方法を採用しているが、その本質は「投入を減らすこと」そのものにあるのではない。むしろ、土壌・樹木・水・空気・人の関係が分断されてきた環境において、循環を回復させるために時間と労力を引き受ける姿勢にこそ意義がある。収穫を数年間行わず、木の回復を優先する判断や、害虫対策を農薬に頼らず手作業で行う実践は、自然栽培が短期的な収益性に直結しないことを明確に示している。
この点において、イベファームは〈コモンズ農園〉にとって「完成された成功モデル」ではなく、試行錯誤や失敗、経済的な困難を含み込みながら継続されてきた実践の蓄積として重要である。自然栽培において多くの実践者が途中で断念する現実を、井邊氏自身が経験とともに語っていることは、理念先行ではない現実的な学びを提供している。これは、コモンズ農園が「正解を提示する場」ではなく、「問いを共有し、共に考える場」であることと強く共鳴する。
また、イベファームが描く将来像は、家族内での単線的な継承ではなく、自然栽培を志す実践者や消費者とのコミュニティとしての持続に重心を置いている。自然栽培サポーターとの限定的な販売関係や、相互的な関与を模索する姿勢は、農業を私的な生業にとどめず、関係性のネットワークとして開いていく試みであり、〈コモンズ農園〉が目指す公共性の高い農のモデルと高い親和性を有している。
さらに、混栽や共生農法への視点は、生態系の多様性を回復させるだけでなく、単一作物・単一価値に依存しない持続可能な農業の可能性を示している。この「多様性を前提とした生産性」という考え方は、異なる人々や価値観が交差することで新たな価値が生まれるという、コモンズ農園の社会的・文化的構想とも重なり合う。
特に共生農法への示唆は、〈コモンズ農園〉にとって、自然栽培の技術的参照先であると同時に、時間・関係性・公共性を内包した農の実践モデルとして位置づけられる。その実践は、コモンズ農園が今後地域に根ざしつつ展開していく際の、思想的・実践的な基盤の一部を形成するものであり、本事業の妥当性と社会的意義を裏づける重要な存在である。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

Giardini d’Agrumi (イタリア・ブレーシャ県ガルニャーノ)


Giardini d’Agrumi(ジャルディーニ・ダグルーミ)」は、北イタリア・ガルダ湖畔の町ガルニャーノで毎年開催される、柑橘類と歴史的庭園をテーマにした文化イベントである。湖岸一帯には、16世紀以降に築かれたレモン栽培用の温室建築〈リモナイア〉が点在しており、本企画では通常は非公開の庭園や私有のリモナイアが特別公開される。来場者は、レモンや柑橘の古品種、伝統的な栽培技術、建築的特徴を見学しながら、ガルダ湖特有の温暖な微気候と人々の営みの歴史に触れることができる。
期間中はガイドツアー、音楽や朗読のプログラム、地元生産者による食品や加工品の紹介、ワークショップなども実施され、農業・建築・景観・食文化を横断する総合的な文化的な祭として展開される。柑橘栽培を単なる農産物生産としてではなく、地域の記憶と景観を支える文化遺産として再評価する点に特色があり、自然と人間の長い協働関係を体験的に学ぶ場となっている。ガルニャーノの歴史的環境を背景に、柑橘という植物を媒介に地域のアイデンティティを再発見する催しである。

2025年4月12日にガルニャーノを訪問し、イヴェント参加とリサーチを行った。

<ジャルディー二・ダルグー2025>のイヴェントDM

Giardini d’Agrumi から見るコモンズ農園

イタリア・ガルニャーノで開催される「Giardini d’Agrumi」は、単なる柑橘の祭典ではなく、地域の記憶と景観を支えてきた歴史的建築「リモナイア= レモンを越冬させるための温室」を再評価し、農業・建築・景観・食文化を横断する総合的なテリトリオ(領域)として提示する試みである。そこでは、レモンという植物が、栽培技術や経済活動を超えて、風土、建築様式、生活文化、さらには地域の誇りやアイデンティティと結びつき、長い時間の中で形成されてきた文化遺産として再定義されている。柑橘は単なる作物ではなく、土地と人間の協働の歴史そのものを可視化する媒体となっているのである。

<リモナイア>と呼ばれるかつて使用されていた越冬用の温室の遺構

この視点は、〈コモンズ農園〉の理念に対して重要な示唆を与える。コモンズ農園は、みかんの栽培を軸にしながらも、通過点としての「みかんの展覧会」も構想しており、農業を芸術的・思想的実践へと拡張するプロジェクトである。その根底には、農園を生産の場にとどめず、異なる立場や考えをもつ人々が交差する「フォーム」として開いていく意図がある。Giardini d’Agrumiが示すテリトリオの発想は、まさにこの「農園という名のフォーム」を、より包括的な文化領域へと発展させる可能性を内包している。

リモナイアは、湖畔という北限に近い土地で柑橘を育てるための建築的工夫であった。自然条件に対する人間の応答が、独自の景観を生み、それがやがて文化遺産へと昇華していった。そのプロセスは、コモンズ農園における実践にも重なる。和歌山の風土の中でみかんを育てることは、単なる地域農業の継承ではなく、気候変動や人口減少といった現代的課題への応答でもある。もし農園の活動が、栽培技術だけでなく、周囲の景観設計、滞在の場の構築、食や香りを含む感覚的体験の共有へと広がっていくならば、それは一つの現代的リモナイア、すなわち思想的・社会的温室として機能しうるだろう。

<リモナイア>の中に育つオレンジ



さらに、Giardini d’Agrumiが私的庭園を公開し、音楽や朗読、ガイドツアーを通じて複層的な体験を創出している点も示唆的である。そこでは農業と芸術、観光と学びが分断されず、一体的な文化経験として編まれている。コモンズ農園もまた、将来的にみかんの展覧会を開催する構想を持つが、その展覧会は単なる成果発表ではなく、農園そのものを舞台とした時間芸術へと発展し得る。収穫、剪定、発酵、食、香り、対話といったプロセスを公開し、地域の記憶や未来への想像力を交差させる場とすることで、農園は展示空間であり、研究所であり、コミュニティの交差点となる。

レモン作品の展示を開催した旧市庁舎

テリトリオという考え方は、境界を固定せず、関係性によって拡張する領域を意味する。コモンズ農園にとって重要なのは、所有や管理の枠を超え、土地を共有的な思考空間へと転換することである。みかんの木は、その中心に立つ存在でありながら、同時に他者を招き入れる媒介でもある。香りや味覚を通じて人々の身体を開き、哲学や倫理へと接続する契機ともなり得る。ここにおいて農業は、経済活動であると同時に、感覚と思想を耕す営みへと変容する。
Giardini d’Agrumiが示す未来像は、過去の遺産を保存するだけでなく、それを現在の文化活動として再活性化する点にある。同様に、コモンズ農園の未来は、伝統的なみかん栽培を守ることだけでなく、それを媒介に新たな社会的想像力を育てることにあるだろう。十年後の「みかんの展覧会」は、その象徴的な節目であるが、それは終着点ではなく、地域と世界を結ぶ長期的な対話の通過点にすぎない。

この地で栽培されている多品種の柑橘の紹介展示

リモナイアがそうであったように、コモンズ農園もまた、自然と人間の協働の痕跡を未来へ手渡す構造体となり得る。農業・建築・景観・食文化・芸術が交差する総合的なテリトリオとして成熟していくとき、そこには単なる農園を超えた、思想と実践の共有地としての可能性が開かれているのだろう。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga, Pro Loco Gargnano