みかんダイアローグ (抄録)


みかんダイアローグ Vol.3 『みかんトーク-紀南のみかん農家に聞く-』
2022年8月5日(金)19:30〜20:30オンライン(撮影会場:秋津野ガルテン)
聞き手:藪本 雄登(「紀南アートウィーク」実行委員長) 

就農者がなかなか増えないなか、地元でみかん農業を親から引き継いだ若手農家たちはどんなことを考えているのだろうか。そこでは、生業として農業を続けていく難しさや技術や経験をどう継承し新しくしていくことができるのかといったことが生々しく語られるだけでなく、植物や自然を注意深く観察する態度とそうした経験がとても興味深く語られている。

抄録版ではなく全文を参照したい方はこちら。

小谷大蔵さん(農家)
8年前、子供が生まれたのをきっかけに家業である農業を引き継ぐ。柑橘をはじめ、梅、米、野菜をJAや直売所にて販売。荒廃園地を再生して果樹の種目を増やすなどし、積極的に園地の拡大を図っている。今後の目標は、後継が作業しやすい園地を作っていくこと!

鈴木秀教さん(農家・料理人)
田辺市下万呂で柑橘を中心に梅、米、野菜 (枝豆、さつまいも、ハバネロ等) を栽培。元ホテル料理人。自らトラックを塗装し、今年の2月からキッチンカー「PEASANT KITCHEN SÛ (ぺザント キッチン スー) 」という名でスイートポテト等の販売を開始。自分たちの手で「生産・加工・販売」全てが補えるスタイルを模索しながら日々研究を重ねている。

野久保太一郎さん(果物農家)
上秋津にある十秋園 (とあきえん) の5代目園主。30種類の柑橘、梅、キウイ等を栽培。三重県の鈴鹿サーキットに勤務していたが、24歳の時、心境、環境の変化により帰郷。現在では、田辺市の「関係人口」創出のため、都会からの農業体験者を受け入れたり、地元のうなぎ店とタッグを組み「うなぎの骨」を再利用したオリジナル肥料を製造したりと、枠にとらわれない農業スタイルを邁進中。

松下真之さん(みかん農家)
高校卒業後、大阪・和歌山の地元スーパー「松源」に入社し、日常の業務を行いながら社会人野球のチームで活躍。そのあと、和歌山県田辺市の上芳養にある実家、松下農園で家業を手伝っている。農園の経営をされている父親と二人三脚で、みかんや梅の畑作業を勤しんでいる若手農家。

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●紀南の地理と農業の特色

藪本:紀南では、みかんの生産が減っているということを聞いたのですが、それは本当なのでしょうか。

松下:そうですね。ほとんどの地域で減っているのではないでしょうか。うちのところも、もともとみかんがメインだったんですけど、梅の方がお金になるし、みかんは手間がかかり梅の方が成長も早いので、植え替えのタイミングで梅に変えています。

鈴木:手間はかかりますよ。世話する期間が長いです。お金になるまで時間がかかる。植えてから10年くらいは安定した収穫はできないですね。

野久保:そうですね。みかんで頑張っている農家が多いから、必然的にみかんをやっています。それでも、2、30年くらい前から梅の方が価格がいいので、暮らしを追い求めて梅栽培をする、という人も増えています。それでも柑橘を作っている人というのは、だんだんプロフェッショナル化していっていますね。秋津野ではみかんをしっかり作っていくのではないでしょうか。

野久保:ぼくが就農したのは22、3年前ですけど、当時はみんな梅か温州みかんと晩柑の数種類だけだったんです。でも、リスク分散のために毎月収入を得られるようにしよう、という話になって種類を増やしたんですよ。
おかげさまでうちでは30何種類かの柑橘を作っているんですけど、毎月収入があるということは、毎月世話をしないといけないし、並行する作業がすごく増えてしまったんですよね。だんだん自分で自分の首を絞めているような感覚がします(笑)。最近はどうしようか悩み中です。種類をまとめて減らしながら、新しい品種を増やしていこうかと。
20年前に植えた温州みかんが、今、主力になってきました。20年以上積み上げてきたものの結果が出てよかったな、といった感じですね。

●みかんの技術伝承

藪本:もうひとつの質問なのですが、「技術伝承」は、どうやって行われているのでしょうか。今回、私がフィールドワークをする中で知ったのは、地域ごとの横のつながりがあまりないな、ということです。
地域ごとにどういう形で伝承されているのか、周りの農家との関係はどうなのか、などが知りたいですね。あまり近づかないようにして技術を守っているのかなとか思ったりするのですが、そのあたりどうでしょうか。独自の技術が受け継がれていると思う反面、あまり交流がなさそうだな、と思うのですが。

野久保:教科書的なことは、農協がやってくれている講習会でだいたい教わります。あとは家庭で父親が師匠になって教えてくれます。あとは自分たちと同じような世代の農協の青年部で勉強会をしますね。
地区を飛び越えて横でつながるというのはなかなかないですね。だから僕も今日の参加者のお三方とも初めて会いましたよ。
土地の違いは大きくて、自分のところの畑の中でも違います。わずか10メートル違うだけでも変わってきますし、木の1本1本が違います。
標高で違いが分かれてくるかな。大坊地区(*)なんかはそれを特徴として利用していますよね。標高が高いから年をまたいで完熟みかんを作っています。
技術じゃないですけど、うちは3年前くらいから自分の土地に合った肥料を作りたくて、地元のうなぎ屋が廃棄しているうなぎの骨を使って、再生肥料をやっています。ただ、肥料ひとつで味が変わるものでもないので、難しいですね。「うなぎの骨を使ったみかん」というブランド化はしたかったんですけど、どうしてもそれが味に出てこないんですよ。まだ3年目で、6、7回肥料をやっただけなんですけど、結果は出にくいですね。土地というのは深いし、難しいです。

(*)大坊地区・・・大坊みかん(おおぼうみかん)は、和歌山県田辺市芳養町(はやちょう)大坊地区(おおぼう ちく)で栽培されるウンシュウミカンのブランドである。その特徴は、他の多くの早生温州が12月までに収穫・出荷を終えてしまうのに対し、木に実を付けたまま熟成させて1月を過ぎてから収穫する点にある。(参考:Wikipedia)

●みかん農家の思考について

藪本:就農されてから植物全体に興味を持つようになりましたか。木や根や土を見るようになったとか。

野久保:そうですね。結果は「みかん」として出来上がるんですけど、「どういうふうに木を育てていこうか」を考えますね。「実」を育てるというよりは「木」を育てる、というように変化しました。
対外評価として「糖」の「~度以上」というブランドが出来上がっているので、「糖度」を追い求めてしまうのは仕方がないところかと思いますね。
ただ、甘いだけじゃなくて、食べたらおいしいというのが大事ですね。
「おいしいみかんを作るために糖度を上げるのか?」
「糖度が高ければおいしいみかんなのか?」というのは、一つの問いですね。
直売では「糖度」を表示してないですね。直売では「あの人のものだから買いたい」「あそこの農園のものだから買いたい」という基準で選ばれていますからね。

鈴木:名前で選ばれますね。

野久保:そうですね。それに対してスーパーでは、「糖度」を基準にしたブランドで選ばれます。直売所では、農園のファンに選んでもらえますからね。

鈴木:やっぱり農園によって少しずつ味が違うんですよね。

野久保:皮の厚さが違うとかね。そこに謎のおいしさが加わるんですよね。

鈴木:そうそう。

藪本:糖度を上げようとすると、樹木に負担がかかるんですよね。マルチを増やしているところを見ると、木をイジメているような感じがするのですが。

鈴木:そうなんですよ。なんだか虐待しているみたいなんですよね。

藪本:甘さを出そうとすると木に負荷がかかって、結局木がもたなくなるのではないか、という気がします。

野久保:その通りですね。

松下:ケアが大事ですね。

野久保:ケアもしてあげないといけないのだけれど、ケアまでしてあげる時間の確保が難しいですね。

藪本:接ぎ木にすごく興味があります。植物は人間とは全然違う存在なんだと感じます。人間は、細胞が移転するので、「接ぎ指」とかできないですよね。でも、植物の場合って、藪本の木に松下がくっついてくる、ということが成り立つわけですよね。

野久保:簡単に品種転換できるので、すごく便利ですね。接ぎ木を早めにやってしまえば、来年、再来年にはそれなりにいい枝になるんですよ。

鈴木:収穫ができるまでが早いです。でも、枯れるのも早くなります。

藪本:あまり人気がなくなってきた品種を差し替えたりするわけですか。

小谷:そうですね。

藪本:その時みかんって、どう思っているんでしょうね。

松下:びっくりしてると思うよ(笑)。

鈴木:前向きに受け止めてくれたらいいですけどね。

野久保:新しい品種をダメな木に差し替えて増やしていけるのでいい技術ですが、問題は寿命が短くなることですね。1回切っているし、根にも多少ダメージがあります。

●みかんの新しい可能性

野久保:秋の空にみかんが映えるんですよ。すごくきれいです。木自体は太陽に向かって伸びていて、みかんは木の上に実る果物ですからね。みかんは空と合いますよ。太平洋側は冬でも空が青いですし。

藪本:確かに、西洋の世界ではみかんは「太陽」の象徴として捉えられています。「柑橘類と文明」という本にも書かれていますね。(ヘレナ・アトレー「柑橘類と文明: マフィアを生んだシチリアレモンから、ノーベル賞をとった壊血病薬まで」築地書館、2015)
逆に、みかんを育てられなくなって、技術を他のことに転用しないといけない可能性とかはないでしょうか。

小谷:考えますよ。気温がすごく上がってきていますからね。

鈴木:みかんの日焼けがここ数年ひどいですね。

小谷:木の上のみかんが太陽の光で焦げるんですよ。水分が蒸発して真っ黒になるんです。燃やして焦げる感じとはちょっと違うんですけどね。

野久保:品種改良とかね。今のみかんは昭和30~40年に品種改良してできたみかんです。今の気温に合わせるとしたら、「日焼けに強い」みかんを開発していかないといけないのではないでしょうか。

藪本:そういった技術開発って、自分たちでできるものでしょうか。

野久保:違う品種同士を受粉させて、できたものを植えて結果を見るということを繰り返して、20年くらいかかるでしょうね。

藪本:みかんの山の景観を見ると素晴らしいな、と感じますが、そこはもう当たり前の風景でしょうか。

松下:たまに感じます。どこかから戻ってきたときとかは感じるかな。

野久保:田辺って、海も近いし、紀伊山地もあるし、起伏があるからすごく景色がいいと思います。

藪本:コメント欄の方に質問が来ているようですね。「糖度の話がありましたが、逆に酸味に振り切ったみかんを作れるんですか。甘いみかんより酸味のあるみかんの方が好きなので、酸っぱいみかんを食べたいです。」

野久保:すばらしい!(笑)。品種によっては酸味の高いみかんというのがありますね。それを普通に作るというか、甘味はあっても酸っぱくさせるやり方というのもありますね。

藪本:どうしたらいいのですか。

野久保:水の量を調整します。もともと酸が高いところに水を増やすと、糖度が上がらず相対的に酸っぱく感じるかと。

藪本:水を切ると糖度が上がるので、その反対ということですね。

野久保:けっこう「甘い、甘い戦争」で、酸味があるみかんは淘汰されてきているんですね。逆にそこを求めてくれる人がいれば、昔の品種を復活させることもできます。

藪本:私は八朔が一番好きです。ところで、さっきの理論でいうと、酸味の高いみかんは値段が下がるのでしょうか。

野久保:農協などの市場流通では価格が下がったりしますね。現金を多くもらおうとすれば、糖度の高いみかんを作ることになります。
ただ、酸味が高いものが欲しいという方もいらっしゃるので、そういう方は、直売所巡りをしていただけると、ご自身に合ったみかんが見つかるのではないでしょうか。
そういうのも楽しいと思いますよ。静岡や愛媛、和歌山、佐賀、長崎などの直売所を巡って「私の好きな酸味のあるみかん」を探す旅もおもしろかもしれませんね。

●根について

藪本:最後に聞きたいのは、「根」についてです。古事記で熊野は「根の堅州国」と表現されていて、「根」について考えるには最適な場所なんですよね。「根の国」はスサノヲを祀っていると言われているのですが、皆がどのように「根」をとらえているのかを教えてください。
たぶん、剪定の技術とかにもつながっているのではないでしょうか。枝の動きと根の動きはつながっているんですよね。

小谷:枝が伸びたところまでは、根も広がっていますね。

野久保:「土がガチガチやけど、ちゃんとこの下根っこ生えてんのかな」とか、土の固さで根っこを見たりしますね。さっき小谷が言われていたように、木の一番遠い外周の木の枝まで根が広がるので、これをどうやって活かすかな、とか考えますね。夏は気温も高いので、マルチで根っこを守ってあげるやり方もあります。
マルチはストレスをかけて水分を減らす「水分ストレス」という方法に使われてきましたが、最近は夏場にマルチを敷いた方が採光から守れるという使い方もされています。日傘をさしてあげる感覚でしょうか。
野菜なら掘り起こせば土の中のすべてが見れますが、樹木なので、根っこの世界は想像でしか見られません。根っこを見るのは最初に植える時だけですね。もう「土の世界」におまかせです。
畑を耕すことができないので、表層に細かい根っこをふやしていこうとしたら、別の土を乗せていくことになりますね。

藪本:小さい根でも通れるようにということでしょうか。根は横に伸ばすと果実は良くなるのですよね。それはどうしてでしょうか。

野久保:直根(※)ばかり伸ばすと、そこで水ばかり吸うようになってよくないんです。細根が枯れてしまうと、直根ばかりが水を吸うことになります。木は育つのですが、果実としてはよくないですね。

(※)直根・・・種子から初めて真下に伸びた根のことを指す。この根が下に伸びる力で幹は高くかつ太くなる(参照:コトバンク)

鈴木:大きいカチカチの木だけができることになりますね。

生きられた土地


ワークショップとパフォーマンスの複合形態
日時:1996年8月7日(水)- 18 (日)
場所:札幌市内の空き地


概要
ワークショップとパフォーマンスの複合形態〈生きられた土地〉は、廣瀬智央が渡伊後、日本で初めて開催した個展「Una Volta」展(リーセント・ギャラリー、札幌、1996年)の関連企画として、建築家・植田暁とのコラボレーションにより実施された。

1991年頃のバブル崩壊以降、日本各地で顕在化した放置空き地・空き家の問題は、地価高騰と投機熱が冷え込むことで生まれた「都市の余白」である。本企画では、展覧会会場のある札幌市内に点在する多数の放置空き地に着目し、現実に広がるいわば「負の遺産」へと視線を向けた。ここで重要なのは、空き地をバブル崩壊の政治的・経済的な帰結としてのみ断罪するのではなく、都市論的な観点と表現者の視点を交差させながら、「想像力の喪失」「記憶の抹消」「都市の均質化」といった問題群を浮かび上がらせ、批判的に提示した点にある。

会期中の約2週間、放置された空き地に特設のテントサイトが設営され、通行人が立ち寄り、交流できるゲリラ的なコミュニケーションの場が出現した。関係者が寝泊まりしながら24時間運営するその仮設空間には、通りがかりの市民、学生、アート関係者、建築家など、立場の異なる人々が出入りし、昼夜を問わず意見交換やパフォーマンスが行われた。 都市のなかに突然あらわれた「使われていない場所の祝祭的な活用」は、多くの人の目に触れ、強い違和感と同時に、別の公共性の可能性を示した。

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〈生きられた土地〉パフォーマンスとワークショップの複合形態が展開した主な問題提起

1)都市の「均質化」と固有性の喪失

バブル期の地上げによって古い路地や歴史的建造物が破壊され、崩壊後にはそれらが「どこにでもあるアスファルトの駐車場」へと置き換わっていく。土地固有のコンテクストが剥奪され、都市が個性を失い、記号化された交換可能なスペースへと転化していくことへの批判が示された。

2)「スクラップ・アンド・ビルド」という強迫観念

建物に時間や愛着が蓄積する前に、経済合理性だけで空間をリセットしてしまう姿勢。空き地は、かつてそこに誰かの生活があったという事実を、逆説的に「記憶の欠落」として可視化する。個展「Una Volta」が記憶や身体性を主題に据えていたこととも呼応しつつ、都市が“死”や断絶(空き地)を隠蔽していくことへの違和感が提示された。

3)所有権による「公共性」の私物化

本来、都市は多様な人々が関わり合うコモンズ(共有地)であるはずだが、放置空き地は「所有者が不明」といった理由によって、市民の利用や関与の可能性を奪われている。経済的価値を失った場所をあえて観察し、使うことで、効率一辺倒の価値観を批判する。24時間開かれた仮設テントでの出来事を祝祭的に展開した点は、その批判をユーモアと実践として提示する試みでもあった。

4)「見えない層」の不可視化

きれいに更地化された空き地は、そこにあったはずの闘争や痛みの歴史を塗りつぶす。華やかな都市像の背後にある空き地の裏側、路上生活者の視点、廃棄物といった周縁に焦点を当て、資本主義が排泄した「ノイズ」をあえて前景化することで、清潔すぎる都市計画の欺瞞を批判した。隙間、遊び、カオス、祝祭性を炙り出すことが、都市の別のリアリティを回復する行為となった。 1996年の〈生きられた土地〉は、今日一般化している「地域/都市に開かれた参加型プロジェクト」が日本で制度化される以前に、都市の空き地を舞台に仮設のサイトを立ち上げ、対話と関係性の生成を通じて都市の均質化や記憶の欠落を批評的に可視化した点で、先駆性と継続性を示す重要な起点として位置づけられるのではないだろうか。その後、東京の佐賀町エキジビット・スペースで開催された「都市とアート」をテーマとする1998年の〈プロジェクトA.P.O.〉、さらに2022年から進行する〈コモンズ農園〉へと、この問題意識を連続させながら、方法論と形を変えながら接続していくことになる。


福津農園 (愛知県新城市)

福津農園は、愛知県新城市中宇利字福津地区に位置する有機農園で、蛇紋岩を基盤とする痩せた土地条件の中で、自然との共存を軸にした農業を長年実践している。植物が育ちにくいとされる厳しい地質環境において、耕起や外部資材への依存を最小限に抑え、不耕起・草生管理・微生物の働きを活かす農法を採用し、収穫を続けながら土壌の豊穣性と健全性を高めてきた。
福津農園の特徴は、農産物の生産にとどまらず、トンボやカエル、鳥類など多様な生き物が生息する豊かな生態系、音や風景といった環境そのものを「農業の外部生産物」として捉えている点にある。これらは農産物の市場価値には加算されないが、地域社会や次世代にとって重要な共有財として機能している。そこでは、農に関わること自体が学びであり、農生態系生物との関係性を編み直すプロセスとして捉えられている。
また、子どもを中心とした体験活動や見学の受け入れを通じて、農作業・遊び・学びが分断されない場を育んできた。落ち葉拾いが鶏を介した肥料循環につながるなど、日常的な関わりの中で自然の循環を体感できる環境が整えられている。現在は研修希望者や見学者が多く、年間を通じて多様な人々が訪れる開かれた農園となっている。
福津農園は、農地の所有を超えて、生態系・学び・関係性を地域と共有する「コモンズ的農業」を実践してきた先行事例であり、百年先を見据えた責任ある農のあり方を、生活と実践の中で示し続けている。
福津農園の実践は、持続可能性を理念として掲げるだけでなく、日々の手仕事の積み重ねによってそれを具体化している点に価値がある。自然に従うことと人が介入することのあいだを慎重に行き来しながら、土地と共に生きる感覚を回復させていく。福津農園は、そのような現代における農の可能性を静かに提示しいる。

2025年3月17日に福津農園代表の松沢政満氏から講義をうける。

農園に実る八朔の木

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福津農園 代表 松沢満政氏 講義講義 要約

1.福津という土地が教える「農の時間」
福津農園が位置する福津の土地は、蛇紋岩を基盤とする非常に痩せた地質を持ち、植物の成長が抑えられやすい環境にある。松の木でさえ何十年経っても背丈が伸びないような土地条件は、日本各地の中でも厳しい部類に入る。しかしその中で、偶然にも土が堆積した一角に集落が形成され、福津という土地は長い農村の歴史を刻んできた。
松沢さんは築三百年の家に暮らす農家として、農業を短期的な生産活動としてではなく、百年、二百年という時間軸で捉えるべきだと語る。農業とは、今を生きる世代の利益だけで完結するものではなく、次世代、その先の世代にどのような土地と環境を引き継ぐのかという「責任世代」としての営みである、という考えが講義全体の基調となっている。

納屋で講義を行う松沢氏

2.工業的農業への違和感と、本質への問い直し
福津農園には、自然農法や有機農業、不耕起農法に関心をもつ多くの人が訪れる。研修希望者が後を絶たないため、現在は見学という形での受け入れが中心となり、年間で500人以上が農園を訪れている。そこには、工業的・効率優先の農業に対する理論的な疑問だけでなく、若い世代が直感的に抱く違和感がある。
松沢さん自身は、デジタル技術から距離を置いた生活を選び、「農業とは何か」という根本的な問いを、10年以上にわたる実践の中で考え続けてきた。その到達点として提示されるのが、農業を「人間の生命活動に必要なエネルギーを獲得する営み」と捉え直す視点である。農業を単なる産業や商品生産としてではなく、生命とエネルギーの循環として再定義することで、従来の農法の問題点が明確になるという。

3.耕す農業の限界と、共存共生循環という原理
講義では、耕起や過剰な管理が肥料や外部資材への依存を強め、結果としてエネルギー収支を悪化させてきたことが指摘される。江戸時代以来続いてきた「耕して肥料を入れる農業」は、すでに資源的にも限界に達しているにもかかわらず、その前提が十分に見直されてこなかった。
松沢さんが重視するのは、土を「人間が管理する対象」としてではなく、多様な生き物が共存共生する場として捉えることである。自然界において土は、人間の介入以前から微生物や昆虫、小動物の相互作用によって形成されてきた。人間が過度に耕し、その仕組みを壊すことが、肥料不足や環境負荷の根本原因であるという認識が示される。

福津農園の竹林


4.「安全」は付加価値なのか──有機認証への批判的視点
有機農業をめぐる認証制度についても、松沢さんは鋭い疑問を投げかける。現在の制度では、「安全であること」が付加価値として扱われ、その証明のためのコストと労力を農家が負担している。結果として、有機農産物は高価になり、消費者にも農家にも負担がかかる構造が生まれている。松沢さんは、そもそも食の安全は付加価値ではなく「原則」であるべきだと主張する。安全であることを証明するのではなく、むしろ農薬や化学肥料を使用している場合にこそ、その内容を明示すべきだという視点の転換は、農業と消費の関係を根本から問い直す提案である。

5.子どもと農の現場──遊びとしての学び
福津農園では、子どもを中心とした活動「ホオジロ会」を通じて、農作業と遊びを結びつけた実践が行われている。落ち葉拾いが鶏舎の床材となり、やがて肥料になる循環は、知識として教えるのではなく、体験として自然に理解されていく。
草取りや生き物との触れ合い、食べる体験を通じて、子どもたちはデジタルでは得られない感覚的な学びを獲得する。こうした体験は、将来の有機農業の理解者・支援者を育てる土壌ともなっている。

6.農業の「外部生産」と、地域に開かれた価値
農業の大きな特徴として、松沢さんは「外部生産」という概念を提示する。米や野菜といった主産物だけでなく、トンボやカエル、鳥類、景観や音環境など、農薬を使わない農地では多様な生命と環境価値が同時に生み出される。これらは農家の収入には直接ならないが、地域社会にとっては大きな利益となる。
福津農園では、生態系の回復により蚊が減り、子どもたちが生き物と遊びながら命を体感できる環境が自然に成立している。こうした外部生産は、本来「外部経済」として社会的に評価されるべきであり、税金の使い方も、環境と地域に貢献する農業を支える方向へ転換すべきだと論じられる。

糠をベースのした鶏用の特別な餌

7.共存型農業がもたらす生態系と技術的裏付け
不耕起・草生管理を基本とする福津農園の田畑では、微生物や土壌生物の働きによって、収穫を続けながら土が肥沃化していく。根や生き物が作る無数の孔隙は、雨水を蓄える「ミクロのダム」となり、豪雨でも土壌流出を防ぎ、干ばつにも強い。
これらの実践は、県の農業試験場による調査によって、収量・食味・メタン発生量・生態系の豊かさといったデータとしても裏付けられている。感覚や理念に留まらず、科学的にも成立している点が強調される。

8.農業はデザインであり、責任世代の営みである
松沢さんは、農家を「広大なキャンバスを託されたデザイナー」と表現する。何を植え、どう共存させるかという選択が、環境・地域・次世代の未来を左右する。排除ではなく共存を基盤とした農業は、低コストで持続可能であるだけでなく、人と人、生き物と人をつなぐ関係性を育む。
最終的に講義は、農業とは生産技術の問題ではなく、どのような世界を次世代に手渡すかという倫理と実践の問題である、という認識へと収束する。福津農園での40年にわたる百姓生活は、その具体的な証左として語られた。


8.農業はデザインであり、責任世代の営みである
松沢さんは、農家を「広大なキャンバスを託されたデザイナー」と表現する。何を植え、どう共存させるかという選択が、環境・地域・次世代の未来を左右する。排除ではなく共存を基盤とした農業は、低コストで持続可能であるだけでなく、人と人、生き物と人をつなぐ関係性を育む。
最終的に講義は、農業とは生産技術の問題ではなく、どのような世界を次世代に手渡すかという倫理と実践の問題である、という認識へと収束する。福津農園での40年にわたる百姓生活は、その具体的な証左として語られた。

講義の参加者とともに園地を見て回る


アートプロジェクト・コモンズ農園の文脈から捉える〈福津農園〉の位置づけ

1.完成を目指さない「生成する場」としての農園
〈コモンズ農園〉がアートとして成立する最大の要件は、完成形を提示する作品ではなく、時間の中で生成し続ける場そのものを作品とする点にある。〈福津農園〉は、法的には明確に私有地でありながら、実質的には地域・生態系・子どもたちに開かれた「コモンズ的農園」として長年機能してきた、きわめて先行的な実践例と位置づけられる。
福津農園では、農地の登記上の所有は農家に帰属しているが、そこから生まれる生き物、音、風景、学び、記憶は特定の個人に囲い込まれることなく、地域に開かれている。これは〈コモンズ農園〉が目指す「所有と共有のあいだ」に立ち上がる農の在り方を、すでに現実の時間の中で体現してきた農園だと言える。
不耕起や草生管理により、毎年同じ風景が再現されることはなく、気候変動や生態系の変化に応答しながら、農園の姿は絶えず変化する。この制御不能性を引き受ける態度は、〈コモンズ農園〉が採るアートの立場 —「流動的であること」と深く共鳴する。

2.〈福津農園〉における「外部生産」は、コモンズの生成そのものである
松沢さんが強調する「外部生産」という概念は、〈コモンズ農園〉の核心と深く共鳴している。米や野菜といった主産物だけでなく、トンボやカエル、鳥類、ホタル、音の風景、子どもたちの遊び場といったものが、農業の結果として自然に立ち現れる。これらは市場で売買されず、農家の収入としては直接可視化されないが、地域社会にとっての共有財=コモンズとして機能している。
〈福津農園〉は、長年の実践の積み重ねによって「コモンズが生成してしまった」農園である点に特徴がある。コモンズを制度としてつくるのではなく、農のあり方そのものを変えることで、結果としてコモンズが生まれてしまう —〈福津農園〉はその実例である。しかし、このコモンズ性は数年で成し得た形ではなく、40年という時間が作り出した時間が成し得たコモンズであり、コモンズ農園の今後の展開を示唆している部分が相当にあると考える。

3.子どもと生態系が媒介する「非貨幣的コモンズ」
福津農園で行われている子どもたちの活動(ホオジロ会)は、〈コモンズ農園〉が重視する非貨幣的価値の循環を極めて具体的な形で示している。落ち葉拾いが鶏舎の床材となり、鶏ふんと混ざって肥料になる。その過程に子どもたちの遊びが介在することで、労働・教育・遊び・生態循環が分断されることなく連続している。
ここでは「教える/学ぶ」「生産する/消費する」といった二項対立が解体され、共に関わりながら場が更新されていく関係性が生まれている。この関係性こそが、〈コモンズ農園〉が目指す「生成する場としてのコモンズ」に重なる。
子どもたちは、農園を「施設」として利用するのではなく、農園と共に時間を過ごし、身体を通して世界を知る存在として位置づけられている。福津農園は、コモンズが制度や理念としてではなく、感覚と経験として内面化される場である。

4.不耕起・共存型農業が示す「自然というコモンズ」の回復
福津農園の不耕起・草生管理・微生物循環による農法は、自然を制御対象としてではなく、共同作業者として迎え入れる農業である。
根や微生物、生き物がつくる無数の孔隙が水を蓄え、干ばつや豪雨に耐える仕組みは、農業技術であると同時に、自然の自己組織化能力を尊重する態度の表れでもある。
このような農の在り方は、自然を資源として囲い込むのではなく、自然そのものをコモンズとして回復する実践と捉えられる。〈コモンズ農園〉が構想する「自然と人間の関係性の再設計」は、福津農園においてすでに長い時間をかけて実装されてきた。

5.「責任世代」という時間倫理と、コモンズ農園への示唆
松沢さんが語る「責任世代」という言葉は、〈コモンズ農園〉の時間的射程を拡張する重要な視点である。コモンズとは、同時代の共有にとどまらず、未来世代への引き渡しを前提とした関係性である。福津農園では、百年単位の時間感覚の中で、土地・生態系・人間関係が捉えられている。
この時間倫理は、〈コモンズ農園〉に対しても、「いま場を開くこと」だけでなく、「どのような状態で未完のまま残すのか」という問いを投げかける。福津農園は、完成を目指さず、管理しすぎず、次の世代が関与できる余白を残すことこそが、コモンズを持続させる条件であることを示している。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

中山農園(和歌山県田辺市上秋津)


和歌山県田辺市上秋津にある中山農園は、地域の自然環境と長い時間軸を大切にしながら、みかん栽培を行う小規模農園である。園主・中山雄史さんは、約20種類に及ぶ柑橘類を育てる多品種栽培を特徴とし、単一品種・単一基準に依存しない農業のあり方を実践している。デコポンなど市場で評価の高い品種を含む一方、現在の消費動向には合致しにくい品種もあえて残し、味わいの多様性を重視している点に特色がある。
栽培方針としては、除草剤を基本的に使用せず、草を完全に排除するのではなく芝生程度に抑える草生管理を行っている。糖度のみを追求して木を弱らせる手法は採らず、土壌や樹木への負担を抑えながら、味の濃さやバランスの取れたみかんづくりを目指している。就農当初は慣行的な栽培も経験したが、木の寿命(経済寿命)や土壌の劣化を実感したことから、現在の自然志向へと段階的に移行した。
農園は自宅に隣接する畑を含め複数の区画から構成され、野菜栽培も行われている。労働力は本人と家族で担っており、1.6ヘクタールという規模を将来的にどのように維持・調整していくかが課題である。中山農園は、環境への配慮と生業としての現実のバランスを模索しながら、地域に根ざした持続的なみかん栽培を続けている。

2023年10月18日に中山農園にて中山雄史氏にインタビューを実施した。


〈中山農園〉園主・中山氏 インタビュー 要約

1.中山農園の構成と現場の印象
中山さんの農園は、自宅に隣接する畑を含め、複数の区画から構成されている。野菜を栽培する区画も併設されており、さらに別の場所にみかん栽培のメインとなる畑を持つという、分散型の構成が特徴的である。畑ごとに土質や環境条件が異なり、それぞれに明確な個性があることが観察された。この多様な区画構成は、単なる効率性ではなく、土地ごとの特性を読み取りながら栽培を行う中山さんの姿勢を如実に表している。均質化された農地ではなく、「違い」を前提とした農園のあり方がそこにはあった。

2.品種構成と栽培へのまなざし
中山農園では、約20種類の柑橘品種が栽培されている。市場で人気の高いデコポンをはじめとしながらも、現在の消費者ニーズには必ずしも合致しない品種も含まれている点が特徴的である。畑では品種が混在しており、未熟な時期には非農家から見ると見分けがつきにくいものも多いが、土地ごとの条件や樹の状態に応じて栽培を組み立てていく中山さんの観察眼と経験に支えられている。

3.糖度偏重から自然志向への転換
就農当初の5~6年間、中山さんは一般的な慣行に従い、糖度を重視した栽培を行っていた。除草剤を多用し、木を弱らせることで糖度を上げる方法である。しかし、その過程で土壌の劣化や木の寿命(経済寿命)への懸念を強く意識するようになったという。
現在は、除草剤を使わず、草を芝生程度に抑えた草生栽培を基本としている。砂漠化状態をつくることで甘さを引き出す手法は採らず、味の濃さや自然なバランスを重視する方向へと段階的に転換した。糖度だけに依存しない評価軸を持つことが、結果として多様な味わいを生み出している。

畑で採れた不思議なみかん

4.家族背景と経営の自由度
中山さんの父親は公務員であり、母親と祖母が小規模に農園を営んできた。その農園を中山さんが継承したことで、慣行に強く縛られない、比較的自由度の高い栽培方針を選択することが可能となった。この家族背景は、中山農園の柔軟な取り組みを支える重要な要素となっている。

5.規模・労働力・長期的視野
現在の労働力は中山さん本人と両親によるものであるが、年齢的な理由から、数年以内に両親の手伝いが減少する見込みである。現時点で後継者の予定はなく、将来的に共同パートナーや人員を確保できるかが大きな課題となっている。
みかん栽培において一人当たりの適正規模は約1ヘクタールとされるが、中山農園は1.6ヘクタールとやや過剰である。そのため、植栽本数を減らすなどの合理化を進め、規模を縮小しながらも生産量と品質を維持する方向性を模索している。42歳の現在を起点に、70代半ばまでを見据えた約30年の長期計画が描かれている。

かつての石垣を利用した、きれいに整理整頓されいる納屋


6.環境配慮と品質観
除草剤は作業効率の面では有効である一方、環境への影響という点では明確なマイナスであると中山さんは経験的に認識している。土壌の劣化や生態系への影響を避けるため、草生状態を保ち、CO₂循環を含む自然環境の維持を重視している。
農薬については、市場性や見栄えの要求から使用が避けられない場面もあるが、可能な限り抑制する姿勢を取っている。品質については、過度な甘さではなく「味の濃さ」や品種ごとの個性、多様性を大切にしており、甘さ一辺倒ではない消費者の存在も強く意識されている。

7.経済性と地域との関係
農家全体に共通する課題として、構造的な低収入の問題がある。社会的な単価や消費動向の影響は大きく、個人の努力だけで解決できる問題ではない。中山さんは、品質向上と生産の安定化、コスト削減を通じて、「継続的に買いたいと思われる商品」を提供し続けることが現実的な対応策だと捉えている。農協青年部などを通じた横のつながりもあり、栽培方法や知識は隠さず、聞かれれば共有するオープンな姿勢を持つ。近隣農家の取り組みは多様であり、除草剤不使用の農家も一部存在している。

8.コモンズ農園との接続と今後
中山さんは、コモンズ農園の構想に対して前向きな協力姿勢を示している。農園内にコミュニケーションスペースを設け、雑談や飲食、宿泊、農作業体験ができる場をつくる構想について、中山さんは『農業の現場を実験空間として開く試み』として前向きに受け止めている。無農薬栽培の試行など、個々の農家では踏み出しにくい挑戦を後押しする場としての可能性が見出されている。持続可能性、自然重視、多様性の尊重という価値観において、中山農園とコモンズ農園は強く共鳴している。今後も対話と助言を重ねながら、記録と制作を継続していく予定である。

中山さんとのインタビューの様子



〈中山農園〉から考えるコモンズ農園について

〈中山農園〉でのインタビューを通して、〈コモンズ農園〉の可能性を考えるうえで、慎重であるべき点もはっきりと見えてきた。まず前提として、農業は生活そのものである。土地を守り、木を育て、収穫し、売り、収入を得る。その一つひとつが日々の暮らしと直結している。一方で、アートは必ずしも生活に直結するものではなく、物事を象徴的にとらえたり、新しい意味を与えたりする営みである。この二つが出会うとき、農業の現実がきれいに語られすぎてしまう危険がある。努力や葛藤が、「理想的な取り組み」として単純化されてしまう可能性がある。
中山農園の歩みを見ると、そのことがよくわかる。現在は除草剤を使わず、草を適度に残しながら、自然に近い形でみかんを育てている。しかし最初からそうだったわけではない。就農当初は糖度を上げるために木を弱らせる方法も取り、除草剤も使っていた。その中で、木の寿命や土の状態を実感し、少しずつやり方を変えていった。そこには立派なスローガンがあったわけではなく、試行錯誤の積み重ねがあっただけであ
る。
〈コモンズ農園〉が中山農園を「自然農のモデル」として単純に持ち上げてしまうと、本質を見失うことになる。除草剤を使わないこと、多品種を育てること、甘さだけを追わないこと。どれも価値ある選択だが、それは同時に手間やリスクを引き受ける決断でもある。農業では、いつも何かを選び、何かを諦めなければならない。正解が一つあるわけではない。
しかし、この現実をそのまま受け止めることができるなら、〈コモンズ農園〉には大きな可能性がある。農業を理想化するのではなく、その迷いや葛藤を共有する場にできるからである。みかんを育てるには長い時間がかかる。労働力の問題もある。農薬を一切使わないことの難しさもある。そうした条件を隠さずに開いた場をつくることができれば、農業は「きれいな物語」ではなく、考え続ける営みとして見えてくる。
〈コモンズ農園〉は、農業を変えるプロジェクトではない。農業を助けることが第一の目的でもない。むしろ、農業の中にある判断や迷いを、外の人にも見える形にする場になりうる。中山さんが語る「甘すぎるみかんが苦手な人もいる」という言葉には、市場の基準とは別の価値観がにじんでいる。また、「聞かれた答える」という姿勢には、静かな共有の精神がある。こうした言葉を大げさにせず、丁寧に伝えていくことが、アートの役割になりうる。
もちろん、アートが入り込むことで現場に負担が生まれる可能性は消えない。農園は展示空間ではなく、作業の場である。その違いを忘れないことが大切である。距離を保ち、相手の立場を尊重すること。その上で関わり続けるなら、〈コモンズ農園〉は農業を演出する場ではなく、農業とともに考える場になる。
中山農園は、〈コモンズ農園〉の可能性を具体的に検証するための参照点となる。理想の農園ではなく、現実の農園であるからこそ、そこから学べることが多い。〈コモンズ農園〉の可能性は、農業の美しい部分ではなく、迷い続ける姿勢そのものを共有できるかどうかにかかっている。そこにこそ、アートが関わる意味があるのではないだろうか。

写真:Tartaruga


尖農園 (和歌山県田辺市下万呂)

尖農園は、「当たり前のことを丁寧に、誠実に行う」という姿勢を基盤に、働く人にも自然にも無理のない持続可能な農業を実践する農園である。園主は機械いじりへの関心から工業高校へ進学し、その後はカウンセラーの道を志すという一見異なる進路を歩んできた。さらに、JAの荷受け、ガソリンスタンド、コンビニエンスストア、ホテルの仕出し業務、土産物製造工場、廃ビル解体、タイヤ交換専門店、ラウンジのボーイなど、実に多様な職種を渡り歩いてきた経歴を持つ。そうした現場での労働経験は、人の働き方や現場の論理、社会の構造を身体的に理解するための重要な蓄積となっている。
約11年前に実家の農業を継承し、みかん栽培に本格的に取り組み始めた。農業は特別な理想論ではなく、日々の積み重ねによって成り立つ仕事であるという実感のもと、作物や土壌だけでなく、共に働く人の状態や無理のない作業工程にも目を向けながら、農のかたちを模索している。過度な効率化や拡大を目的とせず、自然のリズムに耳を澄ましながら、必要なことを必要な分だけ行う姿勢が尖農園の特徴である。
尖農園の実践は、多様な労働経験から培われた現実感覚と、誠実さに根ざした農への向き合い方によって成り立っている。それは、働くことと生きること、自然と社会を切り離さずに結び直す、現代的な農業のひとつのあり方を示している。尖農園は現在も試行錯誤を重ねながら、地域に根差した農業として、次世代へ引き継ぐことのできる農業のあり方を模索している。

2023年10月17日に尖農園主・小谷大蔵氏にインタビューを実施した。

小谷氏へのインタビューの様子

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尖農園 園主・小谷大蔵氏 インタビュー要約

1.世代交代の只中で —「まだ誇れるものはない」という率直さ
小谷大蔵氏は、父の代から自分の代へと農園を移行している途上にあり、現時点で「これが誇れる」と言える成果はまだないと語る。しかしその一方で、先祖代々のやり方をそのまま続けることへの強い疑問と、状況を変えようとする強い意志を持っている。かつては土地が少なく、無理な密植で収量を確保せざるを得なかったが、離農が進んだ現在は土地条件が変わり、「一つの畑に固執せず、働きやすい園地を増やす」という発想が可能になってきたという。

2.目標は「30年後も続けられる畑」— 量から質、そして効率重視への転換
小谷氏の将来像の中心にあるのは、年齢を重ねても無理なく農作業を続けられる環境づくりである。木を更新し、園地内に車を入れられるよう道幅を確保し、収穫物を直接コンテナへ運べる動線を整える。そのために木の本数を減らすことも辞さないが、これが収量重視の父世代との葛藤を生んでいる。ただし新しい畑も増やしており、全体としては量を確保しつつ、園地ごとの作業効率と質を高める方向への転換を目指している。

あたらしく植え替える予定の温州みかんの畑


3.気候変動の現実 — 作物だけでなく「身体」への負荷
近年の気候変動は、みかんや梅の生育に明確な影響を及ぼしている。集中豪雨と強烈な日照りによる果実や樹体へのダメージ、枯れ枝の増加などは顕著である。特に深刻なのは夏場の消毒作業で、防護服を着て行う手作業は「地獄」と表現されるほど過酷になっている。こうした状況から、ドローン導入などの技術的対策も視野に入れている。将来的には柑橘の適地が北へ移動し、この地域で柑橘を栽培しなくなる可能性すら示唆された。

4.農薬をめぐる誤解への違和感
小谷氏は、「農薬=悪」「無農薬=善」と単純化されがちな社会的言説に強い違和感を示す。自身は国の安全基準を厳密に守り、収穫前日数や回数制限を徹底した上で栽培しているという自負がある。一方で、無農薬をうたいながら病気に侵された果実が良しとされる風潮には疑問を呈し、「病気なら適切に治療し、健康な実を作るべきだ」という現場感覚を語る。ここには、農業の安全性をめぐる消費者との認識のずれが表れている。

5.土地と地域 — 新規参入を阻む信頼の壁
耕作放棄地は多く存在するものの、農地は誰にでも貸されるわけではない。貸し手が重視するのは、農業経験や地域との関係性、継続性である。ただし小谷氏自身は、本気で農業に取り組む意志がある人であれば、地域とつなぎ、初期の支援を行いたいという前向きな姿勢も持っている。一方で、知らない人が入ってくることへの不安も根強く、時間をかけて関係を築く必要性が語られた。

たくさんの実がなる小谷さんの畑

6.農業の外へ出る経験 — アートとの接点
紀南アートウィークやみかんコレクティブへの参加は、知人の紹介がきっかけだった。農業に不満があったわけではないが、地元中心の生活の中で、知らない世界に触れてみたいという思いがあったという。現在では、こうした活動が畑仕事の合間の楽しみや息抜きにもなっている。将来的には、農作業を手伝う人が滞在できるスペースを倉庫の二階につくる構想も語られた。

7.次世代へ渡すもの — 誰が使っても良い畑を目指して
子どもに農業を継がせるかどうかは強制せず、本人の意思を尊重する考えだが、継ぐ場合には生活が成り立つ環境を整えたいという。たとえ子どもでなく別の人が引き継ぐとしても、「効率の良い畑だ」と思われる園地を残すことが目標である。小谷氏の農業は、自分一代の成果ではなく、次へ手渡す準備として構想されている。

8.コモンズ農園への期待
小谷氏にとってコモンズ農園は、実験的な栽培や、人が集い学び合う場としての農園という点で「ドンピシャ」の構想である。一本の木に複数品種を接ぎ木するなど、遊びと実験の余地を持つ農園像が語られ、荒地であっても整地可能であれば協力したいという現実的な姿勢も示された。

畑を巡りながらみかんの解説を聞く



〈尖農園〉から考えるコモンズ農園について

〈尖農園〉は、完成された理念や成功事例として存在している農園ではない。むしろそこにあるのは、世代交代の只中で揺れ動きながら、「これまでのやり方を続けてよいのか」という切実な問いを引き受けている一人の農家の姿である。この未完成性こそが、コモンズ農園の思想と深く共鳴する点である。
小谷大蔵氏が語る農業は、量の最大化や効率至上主義への転向ではない。彼が目指しているのは、30年後、40年後でも身体を壊さずに続けられる農業、すなわち「持続可能な労働としての農業」である。園地に車を入れるために木を減らす判断や、収量よりも作業動線を優先する設計は、一見すると経済合理性に反するようにも思える。しかしそれは、農業を単なる生産活動ではなく、時間と身体を内包した営みとして捉え直す試みである。
コモンズ農園が問いかけているのもまた、土地や作物の「所有」ではなく、「関わり続けること」そのものの価値を問うものである。小谷氏の語りに繰り返し現れる「年を取っても続けられる畑」「次の世代に渡せる園地」という視点は、農園を個人の成果物ではなく、時間を超えて共有される基盤としてのコモンズとして捉える感覚と重なっている。
また、〈尖農園〉は気候変動を抽象的な環境問題としてではなく、作業の過酷化、身体の限界、樹木の寿命の短縮といった具体的な経験として引き受けている点でも重要である。真夏の消毒作業が「地獄」と表現されるほど過酷化している現実は、農業がすでに厳しい条件の中で営まれていることを示している。ここで導入が検討されるドローンは、単なる省力化技術ではなく、人間の身体を守るための媒介として位置づけられる。コモンズ農園における技術もまた、効率のためではなく、関係を持続させるための道具として再定義されるべきものだろう。
農薬をめぐる小谷氏の発言も、コモンズ的な思考を照らし出す。彼は農薬を無条件に肯定するのでも、否定するのでもない。国の基準を守るという制度的枠組みを前提としつつ、「病気の果実を無農薬だから良いとする」風潮への違和感を語る。その姿勢は、善悪の二項対立を拒み、現場での判断と対話を重ねる態度にほかならない。
コモンズ農園が目指すのも、正解を一つに定める場ではなく、異なる立場や感覚が共存し、議論され続ける「考える場」である。
さらに〈尖農園〉は、地域における土地の問題を通じて、コモンズの困難さも示している。耕作放棄地は存在しても、それが誰にでも開かれているわけではない。農地を貸すかどうかは、経験、信頼、地域との関係性に深く依存する。小谷氏が語る「本気の人ならつなぎたい」という言葉は、コモンズが自然発生的に成立するものではなく、時間をかけた関係の編み直しによってしか生まれないことを示している。
紀南アートウィークやコモンズ農園への関与が、彼にとって「息抜き」や「楽しみ」として語られている点も重要である。農業の外部に触れる経験は、農業そのものを否定するためではなく、むしろ続けるための余白として機能している。倉庫の二階を人が集まれる場にしたいという構想は、〈尖農園〉が単なる生産の場から、関係が立ち上がる場へと変容する可能性を孕んでいる。
このように〈尖農園〉は、コモンズ農園にとっての理想像というよりも、現実との接点である。理念が現場に接続されるときに生じる摩擦、葛藤、未完性を体現する存在として、〈尖農園〉はコモンズ農園の思想を空疎な概念に終わらせず、具体的な時間と身体の中へと引き戻している。コモンズ農園が未来へ向けて開かれた試みであるならば、〈尖農園〉はその足元を支える、現在進行形の現実そのものだといえる。


写真:下田学、Tartaruga

水俣病歴史考証館 (熊本県水俣市)

水俣病歴史考証館は、熊本県水俣市に設立された私設の資料館で、水俣病の歴史と実相を、市民の立場から検証し、後世に伝えることを目的としている。公的機関による展示とは異なり、患者や支援者、研究者らが主体となって収集した資料や証言をもとに、水俣病の発生から被害の拡大、行政や企業の対応、裁判闘争、地域社会の分断と再生の過程までを多角的に提示している。館内には当時の写真、行政文書、裁判資料、生活用品、映像記録などが展示され、単なる公害史にとどまらず、日本の高度経済成長や近代化のあり方そのものを問い直す構成となっている。また、語り部による案内や学習支援も行われ、来館者が被害の実相を自らの問題として受け止め、環境や社会の責任について考える契機を提供している。水俣病を「過去の出来事」としてではなく、現在進行形の課題として捉える姿勢が大きな特徴である。

2025年10月26日に水俣病歴史考証館を訪問した。

水俣病歴史考証館外観

〈水俣病歴史考証館〉から見るコモンズ農園
水俣病歴史考証館を訪問した経験は、〈コモンズ農園〉の実践をあらためて根底から問い直す契機となった。それは単に公害の歴史を知るという学習的体験ではなく、「土地に関わるとはどういうことか」「自然と人間の関係をどのように構築し直すのか」という、農園の思想そのものに深く触れる出来事であった。

水俣病は、海と工場、地域社会と経済発展が密接に絡み合うなかで発生した。自然は生産の資源として扱われ、目に見えにくい汚染は静かに蓄積し、やがて人々の身体と生活を侵食していった。考証館の展示は、その過程を単なる年表的事実としてではなく、患者や家族の証言、地域の葛藤、裁判闘争の資料などを通して、多層的に提示している。そこには「近代化の影」に置き去りにされた声があり、制度や統計では測れない痛みが刻まれていた。

水俣病患者や当時の被害にあった漁村の様子を伝える展示物

〈コモンズ農園〉が田辺の土地で進めている実践もまた、自然と人間の関係を問い直す試みである。十年後の「みかんの展覧会」を見据えながら、栽培と対話、リサーチとアーカイブを重ねるプロセスは、単なる農業でも単なる芸術でもなく、「場」を育てる営みである。水俣の歴史から学んだのは、土地は決して中立な舞台ではないということである。そこには過去の選択や価値観が堆積し、見えない層となって現在に影響を与えている。土地に関わる者は、その層に無自覚であってはならない。

また、考証館が示していたのは、記録することの倫理である。被害者や支援者が自ら資料を収集し、展示し、語り継ぐ。その行為は、忘却に抗うだけでなく、歴史の解釈を主体的に取り戻す営みであった。〈コモンズ農園〉におけるリサーチや農家へのインタビュー、土壌や気候の変化の記録も、単なる情報収集ではない。それは未来に向けて共有可能な記憶を築くことであり、関係性のアーカイブを育てることでもある。水俣の実践は、記録が「証言」であり、「抵抗」であり、「再生の基盤」になり得ることを示していた。

水俣病歴史考証館で解説を行う吉永利夫氏


さらに、水俣の経験は「豊かさ」の再定義を迫る。高度経済成長は一時的な繁栄をもたらしたが、その背後で失われたものは計り知れない。経済的指標では測れない身体の痛み、地域の分断、信頼の崩壊。それらを見つめるとき、私たちは別の価値軸を必要とする。〈コモンズ農園〉が目指すのは、収量や効率だけではなく、時間を共有すること、対話を重ねること、未分化な感覚を取り戻すことに重きを置いた実践である。みかんを育てる十年という時間は、成果主義とは異なるリズムを内包している。その持続的な時間感覚こそが、水俣の教訓と響き合う。

考証館で強く感じたのは、「当事者性」の問題であった。水俣病は決して一地域の特殊な出来事ではなく、私たちの消費や生活様式とも無縁ではない。加害と被害は単純に分けられるものではなく、社会全体の構造のなかで絡み合っている。〈コモンズ農園〉もまた、外部から地域に関わる実践である以上、常に自己批判的である必要がある。アートが農業や土地に介入するとき、それが善意であっても無自覚な支配や表象の消費になり得る危うさを、水俣の歴史は静かに示している。

だからこそ、農園は「フォーム」であり続けなければならない。固定化された成果や制度ではなく、対話と揺らぎを許容する開かれた構造であること。異なる立場や考えを持つ人々が交差し、摩擦を抱えながらも共存する場であること。水俣病歴史考証館が、痛みの記憶を隠さずに提示し続ける姿勢は、そのようなフォームの在り方を示唆している。

今回の訪問は、過去を知ることで現在の足場を確認する体験であった。土地の声に耳を澄ますこと、記憶を軽視しないこと、豊かさの尺度を問い直すこと。その一つひとつが、〈コモンズ農園〉の実践をより倫理的で持続可能なものへと導く。水俣の海が抱えた記憶は、遠い出来事ではなく、今ここで土地に向き合う私たちの姿勢を照らす鏡なのである。

水俣病から環境社会問題に関する書籍を集めて書籍販売コーナー
石牟礼道子は執筆活動と並行して、水俣病の解決を求める運動に深く関わった

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

市立水俣病資料館 / 国立水俣病情報センター (熊本県水俣市)


市立水俣病資料館は、水俣市が設置・運営する公的な展示施設であり、水俣病の発生から拡大、原因究明、補償・裁判、地域の再生に至るまでの歴史を、市民の視点を重視しながら体系的に伝えている。写真、映像、行政資料、患者や家族の証言などを通じて、出来事の経緯だけでなく、被害が地域社会にもたらした分断や葛藤も含めて提示する。修学旅行生や一般来館者に向けた学習プログラムや語り部活動にも力を入れ、環境問題と人権の問題を次世代へ継承することを主な目的としている。地域に根ざし、記憶の共有と教育を担う拠点である。

一方、国立水俣病情報センターは環境省所管の専門機関で、水俣病に関する医学的・科学的資料や研究成果を収集・保存し、国内外へ発信することを目的とする。公害や環境汚染に関するデータの整理、調査研究の支援、国際協力の推進などを通じて、水俣病を地球規模の環境課題として位置づける役割を果たしている。展示機能も持つが、その性格は教育普及に加えて研究・政策支援の基盤整備に重きがある。前者が地域社会の歴史と記憶の継承を中心とするのに対し、後者は学術的・国際的視野から知見を集約し発信する点に両者の役割に違いを見ることができる。

2025年10月25日に市立水俣病資料館及び国立水俣病情報センターを訪問した。

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〈市立水俣病資料館〉と〈国立水俣病情報センター〉から考えるコモンズ農園
市立水俣病資料館と国立水俣病情報センターを訪れた経験は、〈コモンズ農園〉の実践を別の角度から照らし出す契機となった。さらに私設である水俣病歴史考証館と対比することで、公共性、制度、主体性という三つの軸が浮かび上がり、農園の立ち位置をより立体的に考えることができた。

市立水俣病資料館は、地域社会が背負ってきた歴史を、公的責任のもとで体系的に伝える場である。被害の経緯、行政や企業の対応、補償問題、地域の再生への歩みが整理され、来館者が全体像を理解できる構成になっている。そこには、出来事を社会的事実として共有し、次世代へ継承するという明確な目的がある。展示は感情に訴えるだけでなく、因果関係や制度的背景を示し、複雑な問題を公共の知として提示している。

市立水俣病資料館
市立水俣病資料館展示室
市立水俣病資料館展示室

国立水俣病情報センターはさらに視野を広げ、水俣病を医学的・科学的・国際的文脈の中で位置づける。研究成果の蓄積やデータの保存、国際協力の推進を通じて、ローカルな公害事件を地球規模の環境課題へと接続している。ここでは経験が知識へと変換され、政策や研究の基盤となる。個別の痛みは、普遍的な教訓へと抽象化される。

国立水俣病情報センター


一方、水俣病歴史考証館は、当事者や市民の立場から歴史を掘り起こす場である。公的な整理とは異なり、記憶の揺らぎや葛藤を抱えたまま提示する。その姿勢は制度の枠を超え、語られなかった声に光を当てる。三つの施設は対立するのではなく、それぞれ異なるレイヤーで水俣を語っている。公共的整理、科学的集約、主体的証言。この三層構造が、記憶を社会に定着させている。

〈コモンズ農園〉にとって、最も大きな学びは、この多層性の必要性であった。農園は、異なる立場や価値観を持つ人々が交差する「フォーム」として構想されている。しかし、対話や関係性の生成に重きを置くあまり、活動の意味や構造が曖昧になる危険もある。市立資料館が示すように、公共性を持つ実践には、歴史や背景を整理し、説明可能な形で提示する責任が伴う。農園でのリサーチやインタビュー、栽培の記録を単なるプロセスとしてではなく、社会に開かれた知として構築する必要がある。

同時に、国立情報センターが示す視点は、ローカルな営みをより広い枠組みへ接続する可能性を教えてくれる。田辺の土地でみかんを育てるという行為は、小さな地域実践に見えるかもしれない。しかしそれは、近代的生産思想や効率至上主義への問い直しでもあり、持続可能な自然観を提示する実験でもある。水俣が国際条約へとつながったように、ローカルな経験は普遍的な議論へと開かれていく。〈コモンズ農園〉もまた、その思想的射程を自覚する必要がある。

さらに、歴史考証館との違いから学べるのは、主体性の問題である。公的施設が整然と事実を提示するのに対し、考証館は揺らぎを含んだ記憶を保持する。〈コモンズ農園〉も、制度化や成果主義へと回収されすぎれば、本来の実験性や批評性を失いかねない。だからこそ、整理と揺らぎの両立が求められる。制度的な透明性と、個々の身体性に根ざした語り。その二つを往還することが、持続可能な「コモンズ」を形成する条件となる。

水俣の三つの施設を通して浮かび上がるのは、「土地に責任を持つ」という姿勢である。被害の歴史を公的に整理すること、科学的に検証すること、市民が主体的に語り継ぐこと。そのすべてが、土地の未来を形づくる行為である。〈コモンズ農園〉もまた、土地を単なる舞台としてではなく、記憶と未来を内包する存在として扱う必要がある。

十年後のみかんの展覧会は、単なる成果発表ではなく、時間をかけて育まれた関係性と倫理の提示であるべきだろう。水俣で学んだのは、自然との共生を語るためには、制度、科学、記憶、主体の各層を横断する視野が不可欠だということである。市立資料館と国立情報センター、そして歴史考証館。それぞれの立場から発せられる問いは、〈コモンズ農園〉の実践をより深く、より批評的に、そしてより公共的なものへと導く思考の基盤となったのである。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

まつさか農園 (和歌山県有田市)


まつさか農園は、和歌山県有田市に拠点を置く柑橘農園で、主に温州みかんを中心とした柑橘類の生産を行っている。有田地域の急傾斜地という厳しい自然条件のもと、長年培われてきたみかん栽培の技術を継承しつつ、労働環境や栽培構造そのものを見直す実践に取り組んでいる点に特徴がある。同農園では、属人的な職人技に過度に依存しない「誰でも参加可能な農業」を目指し、草生栽培の導入、園地設計や作業工程の改善、作業負担の軽減などを通じて、身体的負荷の少ない持続可能な農業モデルの構築を進めている。また、栽培や管理においては、経験や勘に頼るだけでなく、データ収集や検証を重ねることで、再現性と共有性を高める知見の蓄積を重視している。さらに、味や品質においては、糖度などの数値指標のみに依拠せず、完熟による風味や食味といった総合的な価値を大切にし、世代を超えて「変わらない美味しさ」を届けることを目標としている。まつさか農園の取り組みは、地域農業の持続性や担い手の多様化といった課題に応答する実践として注目されている。

まつさか農園 園主の松坂進也氏にインタビューを行った。

農園を巡りながら話す松坂進也氏

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松坂さんインタビュー 要約

1.出会いと問題意識
松坂さんは、もともと農業に強い関心があったわけではなく、祖父の体調不良をきっかけに畑を引き継いだことからみかん栽培を始めた。当初は「短期間で自動化できる仕事」と農業を軽く見ていたが、実際に取り組むなかで、農業が極めて複雑で、整然としたマニュアルでは割り切れない世界であることを痛感する。この「わからなさ」への違和感が、松坂さんの農業を徹底的に分析・構造化しようとする姿勢の出発点となった。

2.「整然とした農業」への志向
文系出身でありながら、数学の因数分解のように、条件を整理し、誰がやっても一定の結果に近づける「装置としての農業」に魅力を感じる松坂さんは、「サルでもできる農業」を合言葉に研究を開始する。これは単なる効率化ではなく、属人的な職人技に依存しすぎた農業構造や過酷な労働環境への疑問であり、「誰でも参加できる農業」への問題提起でもあった。

3.やさしい農業への転換
次第に松坂さんの関心は、「楽な農業」から「人と植物の双方が幸せになる農業」へと移行する。有田みかん産地の急傾斜地で続いてきた過酷な労働環境、重量物の運搬による職業病、年齢とともに蓄積する身体負担。これらを「仕方がないもの」とせず、変えるべき構造として捉え、女性の身体条件に合わせた作業環境づくりや、自然の力を活かした栽培方法の実験に取り組んでいる。

平坦な農地を購入し、新しい草生栽培の方法を実験している園地。

4.職人技と共有可能性のあいだ
松坂さんは、現在の「誰でもできる農業」は評価としては40~50点程度にとどまると率直に語る。一方で、職人技の頂点(100点)を否定するのではなく、その水準を「やさしい農業」で到達できる方法を模索している。ここには、一人の名人が完成度を高める農業と、地域全体の持続性を高める農業との緊張関係がある。

5.味・価値・数値化できないもの
消費者が求める糖度至上主義に対して、松坂さんは完熟による風味や旨味、食味といった「数値化できない美味しさ」を重視する。祖父母の代から受け継がれてきた完熟収穫の記憶は、技術革新のなかでも残すべき価値として語られ、次世代に「変わらない味」を届けることが自身の責任だと位置づけられている。

6.気候変動と20年後の責任
気候変動によって有田が将来、柑橘の適地でなくなる可能性を見据えながらも、「少なくとも20年はみかんを作り続ける」という時間軸での責任が語られる。農業は短期的な利益ではなく、世代を超えた持続性の問題として捉えられている。

あらたに購入した平坦な農地

7.コモンズ農園への視点
松坂さんは、コモンズ農園の活動に対し、「人間中心」になりすぎない姿勢を評価しつつ、植物の健康への配慮を強調する。植物と人間が言葉なき対話を通じて共に良くなる関係性、そのための「管理」と「放任」のバランスが重要だと述べ、議論と対話の場としてのコモンズ農園の可能性に共感を示している。

8.土地の記憶と物語
有田の地域史―「ケシ栽培(アヘンの原料作物)」や漁業の歴史など、語られなくなった過去―に触れながら、松坂さんは「物語として語り継がれること」の重要性を語る。良い・悪いではなく、なぜそうであったのかを考えることが、土地への理解を深め、未来の営みの厚みになるという認識が共有された。

農園を巡りながら話す松坂進也氏


〈まつさか農園〉から考えるコモンズ農園

やさしい農業としての構造実験と、共有可能な技術の倫理
コモンズ農園は、農園を単なる生産の場ではなく、人・植物・土地・時間が交差し続ける「生成するコモンズ」として捉え直す試みである。そこでは完成形や最適解が先にあるのではなく、異なる立場や身体、価値観が出会い、調整され、時に衝突しながら関係性そのものが更新されていく。その視点から見たとき、まつさか農園の実践は、極めて重要な参照点として位置づけることができる。
まつさか農園の特徴は、いわゆる「自然栽培」や「慣行農業」といった二項対立に回収されない点にある。松坂氏の農業は、自然を放置することでも、人間の管理を極限まで強めることでもなく、人と植物の双方が無理なく関係を持続できる条件を、構造として組み替えようとする実験に近い。ここで重要なのは、彼が農業を「属人的な職人技」ではなく、「誰でも参加可能な装置」として再設計しようとしている点である。松坂氏は、農業の現場に蔓延する過酷な労働条件を、個人の覚悟や美徳として引き受けることを拒否する。
急傾斜地での重労働、加齢とともに蓄積する身体的歪み、職業病としての怪我 ―それらを「仕方がないもの」とせず、変えるべき構造として捉える姿勢は、コモンズ農園が目指す「場の倫理」と強く共鳴している。
特に、女性の身体条件を基準に作業環境を再設計する試みは、農業の前提そのものを問い直す行為であり、農園を社会的実験の場へと開いている。
また、まつさか農園では、草生栽培や園地設計、作業工程の見直しなどが、感覚や勘に頼るのではなく、徹底したデータ収集と検証によって支えられている。この「科学的エビデンスに基づくやさしさ」は、コモンズ農園にとっても重要な示唆を与える。なぜなら、共有可能なコモンズを成立させるためには、経験や暗黙知を可視化し、他者と分かち合える形式へと翻訳する作業が不可欠だからである。松坂氏の実践は、職人技の頂点を否定するのではなく、その水準をいかにして多くの人が到達可能なものへと変換できるか、という問いを農業の内部から投げかけている。
さらに注目すべきは、松坂氏が「人にやさしい農業」と同時に「植物が元気であること」を強調している点である。自然栽培の名のもとに、植物が弱り、助けを求めているように見える状況への違和感は、人間中心主義への単純な批判にとどまらない。人間の理想や思想を植物に押し付けるのではなく、植物とのノンバーバルな対話を通じて関係を調整していく姿勢は、コモンズ農園が重視する「管理と放任のあいだ」を具体的に示している。味覚や価値の捉え方においても、まつさか農園はコモンズ的である。糖度という単一指標に回収されない完熟の風味、旨味、記憶としての味。それは市場価値だけでなく、世代を超えて共有される感覚的コモンズと言える。松坂氏が「20年後の子どもたちが同じ味を食べられること」を最低限の責任と語るとき、農業は短期的な経済活動ではなく、時間を媒介とした公共的実践として立ち上がる。
加えて、有田という土地が持つ語られなくなった歴史―アヘンの原料となるケシ栽培、漁業の記憶―に触れながら、それを善悪ではなく「物語」として残すべきだとする視点は、コモンズ農園が目指す地域との関係性とも深く接続する。土地の過去を掘り起こし、現在の営みと接続し直すことは、新しい実践を可能にする想像力の土壌を耕す行為にほかならない。以上のように、まつさか農園は、コモンズ農園にとって「完成されたモデル」ではなく、「共有可能な実験知」を蓄積する伴走者として位置づけられる。
やさしい農業とは何か、誰のための効率化なのか、植物と人間はいかに共に幸せであり得るのか ―その問いを、思想ではなく現場から立ち上げ続けている点にこそ、まつさか農園の本質的な価値がある。コモンズ農園は、この実践から学びつつ、異なる場所・異なる身体条件のなかで、さらに別様の「やさしさ」を生成していく場となるだろう。

農地での松坂進也氏へのインタビュー

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズ(神奈川県箱根町)

ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズは、フラワーアーティスト、ニコライ・バーグマンが手がける体験型ガーデン施設であり、自然とデザインを融合させたランドスケープ空間である。箱根の豊かな自然環境を背景に、四季折々の植物と現代的な造形感覚を組み合わせ、単なる観光庭園ではなく「歩くことで感じる風景」として構成されている点に特徴がある。
園内には芝生広場や花畑、林間の小径、フラワーインスタレーションが点在し、四季の変化を軸とした空間設計がなされている。春の花畑、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の静謐な景色へと表情を変え、訪れる者は視覚のみならず嗅覚や触覚を通して自然を体感することができる。また、カフェやショップを併設し、自然の中で滞在する時間そのものをデザインしている点も特徴の一つである。
自然の地形や既存植生を活かしながら、明確なコンセプトのもとに編集された空間は、ランドスケープとアート、商業性を横断する新しいガーデンのあり方を提示している。

2025年3月16日、ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズを訪問した。

庭園入り口のレセプション

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〈ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズ〉から考えるコモンズ農園

ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズの最大の特徴は、「自然を素材として編集する」という姿勢にある。本訪問は、コモンズ農園におけるデザイン性およびランドスケープの可能性を検討するために行ったものである。ガーデンズでは、植物や地形は単なる背景ではなく、明確なコンセプトに基づいて配置され、空間全体が一つの作品として設計されている。色彩計画は季節ごとに構想され、視線の抜け、高低差、歩行導線に至るまで意識的にデザインされているため、来場者は無意識のうちに風景の構造を体験することになる。この「編集された自然」は、人工的でありながら自然の生命力を損なわず、むしろそれを強調するという両義的な魅力を備えている。

回遊式の階段の傾斜やすれ違うことも可能な道幅など歩行しやすサイズとなっている


また、ランドスケープ全体に統一された造形言語が貫かれている点も重要である。サイン計画、建築要素、植栽デザインが一体化し、ブランドの世界観が空間全体に浸透している。その結果、訪問者は庭を「鑑賞する」のではなく、世界観の中に「没入する」体験を得る。さらに、フォトジェニックな視点場の設計や季節ごとの演出は、継続的な来訪動機を生み出す装置として機能している。

縁石は庭園にある自然素材を利用し、周辺との自然との一体化を図る
庭園内の建物、椅子、階段などが黒に統一されたデザインになっている

これらの点は、田辺市で展開されている〈コモンズ農園〉の今後の発展においても示唆的である。コモンズ農園が目指す「農園という名のフォーム」が、単なる農地ではなく異なる立場の人々が交差する場であるならば、その空間構成にも明確な景観的編集が求められる。例えば、みかん畑の列植や収穫動線を意識的に設計し、滞在のリズムを生み出すこと、あるいは「未完成マップ」の思想をランドスケープに反映させ、時間とともに変化する構造を可視化することが考えられる。

庭園内の園路の上には、自生する熊笹や木の表皮を粉砕した素材が敷き詰められており、雨天でも歩行しやすい配慮がなされている。


同時に、箱根ガーデンズのように「自然とブランドの統合」を図るのではなく、コモンズ農園ではむしろ「多声的で未完であること」を前景化することが差異化の鍵となる。整えすぎない余白や作業の痕跡、対話の場としてのベンチや小屋などを景観の一部として位置づけることで、農とアート、哲学的思索が重なり合う場を形成できる。参考とすべきは完成された美そのものではなく、「自然をいかに構造化し、体験として提示するか」という設計思想である。箱根ガーデンズが示す編集力と統一感は、コモンズ農園においては「関係性のデザイン」として再解釈されうる。その応用可能性は、将来的な〈みかんの展覧会〉構想においても、風景そのものを展示空間へと転換するための重要な視座を与えている。

ランチ用のバスケット。庭園内の好きな場所でランチが食べられるようにバスケットも用意されている
庭園内に点在する温室。周遊道のポイント地点に
母屋のカフェとガーデン内のフラワーショップの間を繋ぐデッキ
冬になると枝が鮮やかな赤色に染まるサンゴミズキ。自生する熊笹と赤色のコントラストによって冬枯れの庭園を鮮やかにする。

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga

つなぎ美術館 (熊本県津奈木町)

つなぎ美術館は、熊本県津奈木町に位置する町立美術館であり、1993年に開館した。津奈木町は水俣湾に面し、水俣病の歴史と地理的にも深く関わる地域にある。同館は、地域の自然や歴史、記憶と向き合いながら、現代美術を通して新たな価値を創出することを目指してきた。館内展示にとどまらず、野外彫刻の設置や地域資源を活かした企画など、土地と密接に関わる活動を展開している点に特徴がある。とりわけ独自性が際立つのが、アーティストの長期滞在制作を軸としたアートプロジェクトである。代表的な取り組みの一つが「入魂の宿」プロジェクトである。これは作家が一定期間津奈木町に滞在し、住民との交流やリサーチを重ねながら作品を構想・制作するものであり、単発的な展覧会形式とは異なり、時間をかけて地域との関係性を築くことを重視している。制作過程そのものが公開され、町民との対話やワークショップを通じて作品が醸成されていく点に大きな意義がある。このように、つなぎ美術館は単なる「展示の場」にとどまらず、土地に根差した思考と実践を育むプラットフォームとして機能している。長期プロジェクト型のプログラムを通じて、アートを媒介に人と人、過去と現在、地域と外部を結び直す試みを継続している点に大きな特徴がある。

2025年10月26日、つなぎ美術館を訪問し、アートプロジェクトの宿泊施設「入魂の宿」に宿泊した。

元町立赤崎小学校のプール施設を活用修復して完成した宿泊施設<入魂の宿>

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〈つなぎ美術館〉から考えるコモンズ農園

コモンズ農園にとって、つなぎ美術館の長期滞在型プログラムによる柳幸典氏による「入魂の宿」プロジェクトは、単なる先行事例ではなく、時間と関係性を基盤にした実践のあり方を示す重要な参照軸である。小規模な町立美術館という条件を制約ではなく前提として引き受け、4年という歳月をかけて地域との信頼を醸成し、制作過程そのものを公開しながら作品を育てていく姿勢は、コモンズ農園が重視する「プロセスの共有」や「場の生成」と深く共振する。
とりわけ注目すべきは、柳幸典氏は「入魂の宿」プロジェクトを通じて水俣病という公害の原点に向き合い、地域に沈殿する負の感情や記憶を可視化しようとした点である。石牟礼道子の詩「入魂」やユージン・スミスの写真に立ち返り、忘却されつつあった歴史を再び公共空間へと呼び戻す行為は、アートを媒介にして土地の記憶を掘り起こし、再編する試みである。廃校プールを再生し、不知火海を想起させる循環型の水のシステムを組み込むことで、環境の脆弱さと再生の可能性を身体的に体験させる構造は、理念と空間が一体化した強度を持つ。

プールを再利用しビオトープを作り循環再生の在り方を提示する

この点でコモンズ農園もまた、みかんの栽培という長い時間軸を伴う行為を通して、土地の歴史や環境と向き合い、異なる立場の人々が交差する「農園という名のフォーム」を構想している。制作物そのものよりも、関係の編成や思考のプロセスを重視する姿勢は共通している。また、中心から周縁へと視点を移し、周縁から社会へ問いを投げかける態度も響き合う。
しかし両者には決定的な違いもある。柳幸典氏のアイディアは、水俣病という明確な歴史的事件を軸に、記憶の回復と環境倫理を主題化するプロジェクトであり、問題意識が比較的明示的である。それに対してコモンズ農園は、特定の事件や被害の記憶を直接扱うのではなく、日常的な農の営みを通して、ゆるやかに価値観を問い直す場を形成している。みかんの木を育てる10年という時間は、再生の象徴というよりも、関係性の持続を試す実験であり、問いを前景化するよりも、問いが立ち上がる余白を保つことに重心がある。
また、入魂の宿が最終的に「宿泊施設」という具体的機能を持つ場として結実するのに対し、コモンズ農園は用途を固定しない未完の場であり続けようとする。そこでは、完成形よりも変化の継続が重視される。この未規定性は脆弱さでもあるが、同時に多様な可能性を内包する。
二つのプロジェクトから見えてくるのは、長期プロジェクト型アートの多様な地平である。入魂の宿が記憶を可視化し、倫理的な問いを強く提示するとすれば、コモンズ農園は、生活の延長線上で価値観の転換を静かに促すのである。前者が歴史の傷口に触れながら再生を構想するのに対し、コモンズ農園は未来の共同性を先取りする実験場といえる。両者の共振と差異を往還することは、アートが地域に関わる方法そのものを再考する契機となるし、コモンズ農園の独自性が、より際立つことになるのではないだろうか。

海のすぐ横にある元小学校の庭先と小さな島「小天狗島」
<入魂の宿>入り口
元プールの更衣室を利用したシンプルな宿部屋
宿泊練から見る夜のビオトープ

*本リサーチは、公益財団法人小笠原俊晶記念財団の助成により実施されました。

写真:Tartaruga