ワークショップとパフォーマンスの複合形態
日時:1996年8月7日(水)- 18 (日)
場所:札幌市内の空き地
概要
ワークショップとパフォーマンスの複合形態〈生きられた土地〉は、廣瀬智央が渡伊後、日本で初めて開催した個展「Una Volta」展(リーセント・ギャラリー、札幌、1996年)の関連企画として、建築家・植田暁とのコラボレーションにより実施された。
1991年頃のバブル崩壊以降、日本各地で顕在化した放置空き地・空き家の問題は、地価高騰と投機熱が冷え込むことで生まれた「都市の余白」である。本企画では、展覧会会場のある札幌市内に点在する多数の放置空き地に着目し、現実に広がるいわば「負の遺産」へと視線を向けた。ここで重要なのは、空き地をバブル崩壊の政治的・経済的な帰結としてのみ断罪するのではなく、都市論的な観点と表現者の視点を交差させながら、「想像力の喪失」「記憶の抹消」「都市の均質化」といった問題群を浮かび上がらせ、批判的に提示した点にある。
会期中の約2週間、放置された空き地に特設のテントサイトが設営され、通行人が立ち寄り、交流できるゲリラ的なコミュニケーションの場が出現した。関係者が寝泊まりしながら24時間運営するその仮設空間には、通りがかりの市民、学生、アート関係者、建築家など、立場の異なる人々が出入りし、昼夜を問わず意見交換やパフォーマンスが行われた。 都市のなかに突然あらわれた「使われていない場所の祝祭的な活用」は、多くの人の目に触れ、強い違和感と同時に、別の公共性の可能性を示した。
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〈生きられた土地〉パフォーマンスとワークショップの複合形態が展開した主な問題提起
1)都市の「均質化」と固有性の喪失
バブル期の地上げによって古い路地や歴史的建造物が破壊され、崩壊後にはそれらが「どこにでもあるアスファルトの駐車場」へと置き換わっていく。土地固有のコンテクストが剥奪され、都市が個性を失い、記号化された交換可能なスペースへと転化していくことへの批判が示された。
2)「スクラップ・アンド・ビルド」という強迫観念
建物に時間や愛着が蓄積する前に、経済合理性だけで空間をリセットしてしまう姿勢。空き地は、かつてそこに誰かの生活があったという事実を、逆説的に「記憶の欠落」として可視化する。個展「Una Volta」が記憶や身体性を主題に据えていたこととも呼応しつつ、都市が“死”や断絶(空き地)を隠蔽していくことへの違和感が提示された。
3)所有権による「公共性」の私物化
本来、都市は多様な人々が関わり合うコモンズ(共有地)であるはずだが、放置空き地は「所有者が不明」といった理由によって、市民の利用や関与の可能性を奪われている。経済的価値を失った場所をあえて観察し、使うことで、効率一辺倒の価値観を批判する。24時間開かれた仮設テントでの出来事を祝祭的に展開した点は、その批判をユーモアと実践として提示する試みでもあった。
4)「見えない層」の不可視化
きれいに更地化された空き地は、そこにあったはずの闘争や痛みの歴史を塗りつぶす。華やかな都市像の背後にある空き地の裏側、路上生活者の視点、廃棄物といった周縁に焦点を当て、資本主義が排泄した「ノイズ」をあえて前景化することで、清潔すぎる都市計画の欺瞞を批判した。隙間、遊び、カオス、祝祭性を炙り出すことが、都市の別のリアリティを回復する行為となった。 1996年の〈生きられた土地〉は、今日一般化している「地域/都市に開かれた参加型プロジェクト」が日本で制度化される以前に、都市の空き地を舞台に仮設のサイトを立ち上げ、対話と関係性の生成を通じて都市の均質化や記憶の欠落を批評的に可視化した点で、先駆性と継続性を示す重要な起点として位置づけられるのではないだろうか。その後、東京の佐賀町エキジビット・スペースで開催された「都市とアート」をテーマとする1998年の〈プロジェクトA.P.O.〉、さらに2022年から進行する〈コモンズ農園〉へと、この問題意識を連続させながら、方法論と形を変えながら接続していくことになる。


