紀州原農園(和歌山県田辺市)

紀州原農園を特徴づけるのは、柑橘を単なる農産物としてではなく、土地の歴史、季節、人間の感覚、料理、文化活動を結び直す「媒介」として捉えている点である。紀州原農園は江戸時代後期から続く農園であり、原拓生さんは七代目として柑橘と梅を栽培している。農園全体では五十から六十種類を超える柑橘を扱い、主力品種の生産と出荷を安定して行う一方、「ラボ」と呼ばれるハウスでは、流通量の少ない品種、香りに特徴のある品種、料理への応用可能性をもつ品種、新たな交配種など、四十種類近い柑橘を試験的に育てている。主力生産を担う農園と、未知の可能性を探るラボを併置する構造そのものに、原さんの独自性が表れている。

紀州原農園にある多品種栽培用を案内してくれる。写真:Tartaruga

原拓生さんインタビュー要約
多品種柑橘を媒介に、農業と地域文化をつなぐ実践

原さんの多品種栽培は、珍しい品種を数多く集めるだけのコレクションとは異なる。そこでは、それぞれの柑橘がもつ食感、清涼感、酸味、苦味、甘味、色彩、香り、収穫時期、利用法が細かく見分けられ、異なる価値として育てられている。公式サイトが掲げる「柑橘が人と共存するように育まれる」という考え方も、柑橘を一律の規格に合わせるのではなく、その個性と人間の営みとの関係を探る姿勢を示している。上秋津周辺では、1970年代初頭のミカン価格の暴落を契機として、単一品目の大量生産から、経営上の危険を分散し、長期間にわたって収穫・出荷できる少量多品種型へ移行してきた経緯がある。原さんはその地域的蓄積を継承しながら、原種に近い希少種、地域に残る古い品種、世界各地の柑橘、新たな交配種へと範囲を広げ、多様性を経済的な安全策だけでなく、食文化を豊かにする資源として捉え直している。

江戸時代から続く紀州原農園の作業用の納屋。写真:Tartaruga

ラボを歩くと、原さんの知識が品種名の暗記ではなく、植物の生理と感覚的経験を結びつけた実践知であることが分かる。仏手柑の花や傷をつけた果皮の芳香、フィンガーライムの小さな葉と果粒、ベルガモットの香気と再緑化、コブミカンの葉の利用、チャンドラポメロの大きさ、山椒の花・青実・赤実という段階的な収穫など、その説明はつねに植物の形態、時間、香り、味、用途を横断する。

冬の間は温室として機能する多品種栽培用のラボ。写真:Tartaruga

ブラッドオレンジについても、単に糖度の高さを評価するのではなく、完熟によって酸味が弱くなりすぎた状態を、味の均衡という観点から捉えている。八朔とカラマンダリンの交配個体では、果肉の甘さと白い内皮に残る苦味を欠点として排除せず、収穫時期を少し早めることで、酸味・甘味・苦味が拮抗する瞬間を探り、菓子や料理への応用を考えている。このように原さんは、甘さを頂点とする単線的な評価ではなく、酸味、苦味、香り、食感を含む複数の軸から柑橘を理解している。

その知識を発展させているのが、料理人との継続的な関係である。一般市場では、種が少なく、皮がむきやすく、甘い果実が好まれやすい。一方、料理人は、強い酸味や苦味、葉や花の香り、果皮の精油、果粒の触感など、生食用の商品規格から外れる特徴を素材の可能性として評価する。原さんは料理人の反応から品種の別の価値を発見し、果実だけでなく、葉や花も含めて提案してきた。

フィンガーライムの果粒をカルパッチョやデザート、スパークリングワインなどに用いる例や、特定の料理店のために専用の樹を育てる試みは、生産者が完成した商品を一方向に販売するのではなく、使い手とともに価値を形成する関係を示している。フランスやイタリアのトップシェフが紀州原農園を訪れ、長年にわたり多品種の柑橘を料理やデセールに用いている事例からも、その知見と提案力が高く評価されていることが分かる。

プチプチした食感が特徴の「森のキャビア」とも呼ばれるオーストラリア原産の柑橘類「フィンガーライム」。日本では原さんが先駆けて栽培していた。写真:Tartaruga

同時に、原さんは希少性をそのまま経済価値と同一視していない。フィンガーライムのように、一時は高値で取引された品種も、苗木が普及すれば供給過多となり、短期間で価格が下がる。柑橘は苗木を植えてから本格的な収穫まで長い時間を要し、品種を切り替えるにも七年から十年ほどかかるため、目先の流行を追う生産は成立しにくい。

したがって、原さんのラボは、すぐに利益を生む新品種を探す施設というよりも、時間をかけて植物を観察し、料理人や消費者との関係のなかで用途を育て、将来に残すべき多様性を見極める場所である。実生から結実まで十年以上待つ交配や、数万分の一という低い確率のなかから有望な個体を見いだす選抜の不確実性を受け入れる態度には、農業を計画によって完全に制御するのではなく、植物の応答に学びながら方向を修正していく思想がある。

原さんの活動が農園内に閉じていないことも重要である。田辺・弁慶映画祭には長年、副実行委員長として関わり、映画を通じて若い表現者、市民、来訪者が交流する場の形成を支えてきた。映画祭の公式報告書も、次世代の監督や映像作家の作品発表、市民や映画関係者との交流、映画文化の振興、地域の活性化を目的として掲げている。したがって、原さんの映画祭への関与は農業とは無関係な余暇活動ではなく、地域に外部の人や新しい表現を招き入れ、異なる人々の関係を育てる実践の一部と考えられる。

さらに、料理人と生産者が土地の味を考えるワークショップ、柑橘ジュースと料理のペアリング、田辺の旅と柑橘を紹介する講座、紀南の神話や橘の歴史をめぐる対話、アートプロジェクトにおける苗木の贈与や対談などにも参加している。ネット上でも、料理専門メディアによるトップシェフの農園訪問、新品種開発を紹介する映像、持続可能な農業をテーマとする講座などが取り上げられている。そこから浮かび上がる話題性は、単なる著名性ではなく、柑橘に関する専門知を料理、教育、観光、歴史、芸術へと開いていく活動の広がりによって生まれている。原さんにとって柑橘は、販売される果実であると同時に、土地の記憶や食文化を語り、人が集まる契機をつくる社会的・文化的な媒体なのである。

 紀南アートウイークのトークショウで「みかんの神話」について語る。写真:下田学

この点で、紀州原農園は、生産の場、研究の場、教育の場、交流の場が分離されずに重なり合う農園である。原さんは、農産物直売所「きてら」や農家レストランなどの設立・運営にも関わってきた。「きてら」は地域住民の出資によって生まれたソーシャルビジネスであり、農産物の販売だけでなく、高齢農家の生きがい、新旧住民の交流、子どもたちへの地域農業教育を支える仕組みとして発展してきた。こうした地域的背景のなかで見ると、原さんの少量多品種栽培は、品種の多様性だけでなく、販売先、利用者、参加者、文化活動の多様性を育てる実践でもある。

〈コモンズ農園〉が原さんから学ぶべき第一の点は、多品種化を目的そのものにしないことである。重要なのは、本数や品種数ではなく、それぞれの植物がいつ花を咲かせ、どの部分が香り、どの熟度で味が変化し、誰がどのように用いるのかを継続して観察し、記録することである。葉を揉んで香りを確かめ、花や果皮の匂いを嗅ぎ、異なる熟度の果実を食べ比べるような経験は、農園を視覚中心の鑑賞空間から、身体全体で植物の差異に触れる場所へと変える。

第二に、主力作物による安定した営農と、ラボ的な実験領域を区別しながら共存させる必要がある。すべてを実験に委ねるのでも、すべてを収益性に従属させるのでもなく、生活を支える生産と、未知の価値を育てる余白を組み合わせることが持続性につながる。第三に、短期的な流行や即時的な成果を追わず、植物の成長時間を基準として構想を組み立てることである。十年後の「みかんの展覧会」を目指す〈コモンズ農園〉にとって、原さんが長い時間をかけて交配種を育て、収穫時期や用途を探っている姿勢は、とりわけ重要な示唆を与える。

さらに重要なのは、農園を地域文化の外部に置かないことである。原さんの実践では、柑橘の栽培が料理、観光、映画、歴史、神話、アート、教育へと接続されている。〈コモンズ農園〉もまた、みかんを育てる場所であるだけでなく、土地の記憶を聞き、食べ、語り、映像に残し、異なる専門や世代が出会う「フォーム」であり「フォーラム」として構想される必要がある。

原さんから学ぶべき最も本質的なことは、柑橘の多様性を保存対象として囲い込むのではなく、人と植物、人と人、過去と未来のあいだに新しい関係をつくる力として開いていく姿勢である。紀州原農園のラボは、そのための実験室であると同時に、農業が文化となり、文化が再び農業を支える循環を具体的に示す場なのである。

小学4年時のみかん研究の記録。写真:Tartaruga

*本稿は、2022年11月の、2024年9月、2026年4月の訪問時に収録された複数の対話記録を基礎整理したものである。