橘佑季 インタビュー

―うつほの杜学園への移住と〈コモンズ農園〉との接点―

橘さんとの出会いは、紀南アートウィークの関連企画として開催された、ジル・クレマンの思想を扱う映画《動いている庭》の上映会と、その後の〈コモンズ農園〉をめぐるトークであった。橘さんは偶然この催しに参加し、そこで初めて〈コモンズ農園〉の構想や紀南アートウィークの活動に触れた。当時、家族で田辺へ移住することがほぼ決まっていたこともあり、自然と人間の関係を捉え直し、土地に根ざした新たな共同性を育てようとする活動に強い関心を抱いたという。この出会いをきっかけに、移住後も紀南地域における芸術と教育、自然、地域社会を結ぶ実践への関心を深め、今回、うつほの杜学園に通う子どもたちの保護者という立場から話を聞くこととなった。

橘さんは、東京で共働きをしながら双子の子どもを育てていた。夫婦で育児を分担し、夫も勤務先で男性として初めて育児休暇を取得したが、フルタイムの仕事に加えて家事と育児の負担は大きく、常に時間に追われていた。収入があっても自由な時間がなく、自分の時間を確保するために家事代行を利用する生活のなかで、「幸せとは何か」を考えるようになったという。

和歌山を訪れた際、移動手段に困っていると、初対面に近い人が車で送ってくれた。また、地域の人々からカツオや肉などを振る舞われ、代金を払おうとしても「もらいものだから」と断られた。所得や消費の大きさだけでは測れない、自然の恵みと助け合いに支えられた暮らしに触れ、東京で懸命に働いていた時には得られなかった豊かさを感じた。少ないものを工夫して補い、ないものは自分たちでつくり、互いに分け合う価値観のなかで子どもを育てたいという思いが、移住の出発点となった。

当初、田辺に住みたいという願いは橘さん自身のものだった。しかし、親の希望だけで子どもの環境を変えることにはためらいがあった。移住を現実的な選択へと変えたのが、うつほの杜学園との出会いである。学校見学の日、子どもたちは敷地内を流れる川を見ると、服のまま飛び込み、「この学校は川がプールなのか」と目を輝かせた。その姿を見て、子どもたち自身もこの環境を求めていると確信した。学校の理念や教育環境を夫にも伝え、家族全体の選択として移住が実現した。

橘さんが学園に共感するのは、子どもを一律の活動に従わせるのではなく、それぞれの関心や集中を尊重している点である。畑を耕し、柵をつくる共同作業の場でも、作業には加わらず、ひたすら穴を掘り続ける子どもがいる。大人はそれを制止せず、その子なりの探究として見守る。東京では人と人との距離が近く、子どもの行動に多くの制限をかけざるを得なかったが、ここでは自然のなかで身体を動かし、自分の興味に従って行動できる。この自由が、子どもの主体性や集中力を育てていると感じている。

移住後、子どもたちの生活にも明確な変化が現れた。東京では休日になるとオンラインゲームを続け、外へ出たがらないこともあったが、田辺では川、山、洞窟、温泉などへ自ら出かける機会が増えた。前年には怖くて飛び込めなかった高い橋から、翌年には迷わず川へ飛び込むなど、身体的にも精神的にもたくましくなった。学校からタケノコ、栗、魚、鹿肉などを持ち帰ることもあり、採る、調理する、食べるという経験を通して、季節の変化と自然の循環を身体的に学んでいる。

うつほの杜学園と近隣の小学校との合同農業体験学習の様子。写真:Tartaruga

学園は学校の内部だけで完結しているのではなく、地域の人々や企業の支援によって成り立っている。校舎を照明で彩る催しや地域施設との連携など、それぞれが持つ技術や資源を持ち寄り、子どもたちの環境を支えている。橘さんは、理念を明確に示し、それを人々に伝え、共感する人を巻き込みながら実現していく学園のあり方にも強く共感している。

古の脱穀機を使い実際に脱穀を行うこどもたち。写真:Tartaruga

こうした学園の実践と〈コモンズ農園〉には、共通する部分がある。いずれも、自然を一方的に利用する対象としてではなく、人間もその関係の一部として捉え、異なる人々がそれぞれの仕方で関わる場を育てようとしている。また、完成された制度や施設を与えるのではなく、参加者が手を動かし、対話し、必要なものをともにつくりながら、場そのものを変化させていく点にも重なりがある。橘さんが〈コモンズ農園〉に関心を寄せるのは、それが単なる農業体験の場ではなく、子ども、大人、地域住民、移住者、植物や動物が、それぞれの立場を保ちながら関係を結び直せる可能性を持つからである。

橘さん自身も、将来は森林を子どもの遊び場として開き、針葉樹に覆われた森へ部分的に光を入れ、広葉樹や在来種が再び育つ環境をつくりたいと考えている。伐採した木を地域の資源やエネルギーとして活用し、森から川、海へとつながる循環を回復することを、自らのライフワークとして構想している。

映画《動いている庭》と〈コモンズ農園〉との偶然の出会いは、田辺への移住、うつほの杜学園での教育、地域の自然と関わる将来像を結びつける一つの契機となった。橘さんにとって移住とは、居住地や学校を変えるだけではなく、お金と効率を中心とした生活から、自然、時間、助け合い、共同性を軸とする生き方へと価値基準を移す選択だったのである。