アートプロジェクト〈コモンズ農園〉再考 — 風土と時間を耕すアートの実践 廣瀬智央 / アートプロジェクト構想

1.コモンズ農園の始まり
みかんを育てることは、関係を育てること、問いかけとしてのアート

〈コモンズ農園〉は、和歌山県田辺市の風土と共に育つ、持続的なアートの実践である。その始まりは、2022年に開催された芸術祭「紀南アートウイーク」における《みかんマンダラ展》への参加にさかのぼる。当初、私はみかんをテーマにした作品《みかんプロジェクト03》* を構想していたが、作品素材としてみかんを購入する従来の方法ではなく、みかんを「育てるところから始める」こと自体を作品のプロセスに含められないかと考えるようになった。

一本のみかんの木が実を結ぶまでには、最低でも10年という時間が必要である。みかん栽培という、結果が出るまでに長い時間を要する行為そのものに、アートとしての可能性を見出したことである。この長い時間を引き受けることは、即時的な成果や完成を前提としない、まったく異なるアートのあり方を引き受けることでもあった。このプロジェクトは、10年後に開催される「みかんの展覧会」をひとつのマイルストーンとしながら、その準備として実際にみかんを栽培すること、農作業を通じて人と人とが出会い、交わり、考え合う場所=農園を「フォーム(form)・フォーラム(forum)」として耕していく行為そのものである。そして、「地域資産を未来へどう継承していくか」という問いに対し、単に問題を解決するのではなく、時間をかけて地域とともに問い続けるアートのかたちである。

それは従来の「まちづくり」や「地域振興」の枠を越え、アートの固有性 —すなわち、余白、曖昧さ、異質性、詩的な感受性— によって、他者や土地との関係性をあらためて結び直す実践である。ここで目指されているのは、単に農とアートを融合させることでもない。むしろ、アートという行為を通じて、関係性、土地、時間、労働、思考、そして生をめぐる構造そのものを問い直すことにある。

〈コモンズ農園〉は、即時的な成果や「解答」を提示することを目的とするのではなく、問いを耕し、その問いと共に生きていく環境そのものを構築するアート・プロジェクトである。アートを媒介に人間と自然、個と共同体の「目的」ではなく「問い」として扱うこと。ここでは、作品の完成や成果よりも、ともに耕し、育て、分かち合うプロセスが大切にされる。むしろ、時間とともに変質し、揺らぎ、未完のまま更新され続けることが、このプロジェクトの前提条件となっている。アートは鑑賞の対象ではなく、参加者が互いに支え合い、自然のリズムに寄り添うための関係のかたちとして現れる。この農園では、みかんの成長を見守り、四季を感じることを通して、身体的にも精神的にも豊かな感覚が育まれる。また、他者と協働することで、孤立を超えたつながりや生きがいが生まれる。

*《みかん・プロジェクト03》とは、私の代表作の一つである《レモン・プロジェクト03》を原型とし、生のみかんを素材として展開するインスタレーション作品である。大量の生みかんを空間に配置することで、視覚だけでなく、香りや湿度、時間の経過による変化を含めた体験を生み出す点に特徴がある。果実は展示期間中に劣化や変質を免れず、その不可逆的な変化そのものが作品の一部となる。本作は、自然物を消費可能な素材としてではなく、時間とともに変化する生のプロセスとして提示し、制作・展示・消滅の境界、再循環の可能性を問い直すなどの試みである。

2.背景とトポス
田辺という場所がもつ文化資本

田辺は、熊野古道をはじめとする精神文化と自然環境、そしてみかんや梅干しなどの農産物によって知られている。ここには、単なる観光資源や経済的資産を超えた、深い文化資本が横たわっている。熊野古道と太平洋、霧と石灰岩、山とみかん畑。多様な地形と豊かな生態系、温暖な気候風土、そして深い歴史と精神文化を有する田辺は、まさに「テリトーリオ(territorio)—意味と記憶の重層する 「生きられた土地」である。本プロジェクトは、その田辺において、土地と時間、そして人々との関係性を問い直すフィールドとして「農園」を開いていく。

 ー熊野信仰に見る「再生」の哲学
 ーコモンズ農園のある上秋津の民俗史的な時間の積層や生活の記憶
 ー川・山・海とともに生きてきた生活技法と感覚の知
 ー季節のリズムとともに編まれた労働と贈与の文化
 ー巡礼・他者の受け入れに開かれた越境性

これらはすべて、土地の中に蓄積された、非物質的な価値(intangible values)であり、私の実践においては、このような文化資本がアートという回路を通じて、再詩化(re-poetization)され、再接続される。


3.プロジェクトの構造
農園=フォーム・フォーラム=関係性の場


〈コモンズ農園〉は単なる農地ではない。それは「農園という名のフォーム*・フォーラム*」、すなわち「共にあること」や「共に考えること」が可能になる、時間の中にゆっくりと立ち現れていく場である。この農園では、農家、美術家、学生、子ども、都市部からの訪問者、移住者など、異なる背景・価値観・立場を持つ人々が、共に働き、語り、沈黙し、ときにただ在る。それぞれの営みが交差し、共通することの実験(commoning)が行われる。

「10年後のみかんの展覧会」という仮説は、目標というよりも、時間とともに考え続けるための目印にすぎない。これらの時間の層、関係の積み重なり、語られた記憶や身体の軌跡を含んだものとなるだろう。それは「作品」だけでなく、むしろ、「過程」と「場」と「関係性」が複雑に編まれた、生きた展示となるはずである。

*フォーラム(Forrum)とは、「古代ローマに設けられていた「集会用の広場」をフォーラムと呼んでいた。 それが転じて現在では、「集団で1つの場所に集まり、討論をする場」を示す。
*フォームと(Form)とは、一般的に「形」「形式」などを意味する言葉だが、ここでは「構造、受け皿」を示す。


4.思想とキーワード
Commons(コモンズ)


〈コモンズ農園〉におけるコモンズとは、所有や管理によって定義される共有地ではなく、関わり続けるなかで生成していく関係のプロセスである。共有されているのは土地や収穫物だけでなく、作業のリズムや判断の迷い、失敗、疲労、天候への応答といった経験そのものだ。先に合意されたルールが関係を規定するのではなく、実践の積み重ねのなかで、何が共有されうるのかが後から立ち上がってくる。開かれてはいるが、誰にとっても分かりやすい場ではない。
参加の仕方は固定されず、その不確かさ自体がコモンズを空洞化させない条件となる。この意味で、〈コモンズ農園〉は「参加型プロジェクト」ではない。参加の仕方はあらかじめ用意されておらず、関与の濃淡や距離の取り方も固定されていない。

Territorio(テリトーリオ):
土地を「生きられた空間」としてとらえ、自然・文化・身体・記憶が交差する場所として耕し直す。みかんの木は「時間の地図」として、このテリトーリオを可視化する存在となる。〈Territorio〉というイタリアの概念では、土地を地理的区画や所有単位としてではなく、人の営みと自然の相互作用によって編み上げられてきた生きた領域として捉えるものである。農作業や生活の反復、風土に根ざした知恵や記憶が積層することで、テリトーリオは時間とともに形成される。みかんの木は、その歴史と労働の痕跡を内包し、成長や実りを通じて時間の流れを可視化する存在である。〈コモンズ農園〉は、このテリトーリオを固定化せず、現在の実践によって更新し続ける場として開いていく。


非即時性と未来 (長い時間を引き受ける構想) :
果樹が実を結ぶまでには年単位の時間がかかる。土壌が変わり、関係が変わり、意味が変わるには、さらに長い時間が必要である。〈コモンズ農園〉は、こうした人が制御できない時間のスケールをあらかじめ引き受ける構想である。10年という時間は、即時的な成果や数値的な達成とは異なる「遅い時間」の価値を提案する。未来は予測するものではなく、変化と共に編まれていくものである。「10年後のみかんの展覧会」という仮説は、目標というよりも、時間とともに考え続けるための目印にすぎない。

非人間的プロセス(ピュシス)とともにあること :
〈コモンズ農園〉を特徴づけるのは、人間の合意や計画以前に、非人間的プロセス ―ピュシス* が場を規定している点である。天候、土壌、植物の成長、害虫の発生、身体の疲労や回復は、人間の意図とは無関係に進行する。それらは管理すべき「環境」ではなく、人間の行為に応答し、ときに裏切る、もう一つの参加者である。
農園では、人間が主導権を握ることはできない。むしろ、人はピュシスに応答し続ける立場に置かれる。その応答の仕方が、関係性の質を変え、場のあり方を更新していく。コモンズとは、人間同士の合意によって成立するものではなく、非人間的プロセスと折り合いをつけ続ける関係の束として立ち上がる。

*ピュシス(physis)とは、古代ギリシャにおいて「自然」や「生成」を意味する言葉であり、ものが外から作られるのではなく、自らの内側から立ち上がり、変化し続けるあり方を指す概念である。単なる自然環境ではなく、成長や変化、生成のプロセスそのものを含んでいる点に特徴がある。たとえば植物が芽を出し、育ち、やがて枯れていくように、ピュシスは生と変化の連続として現れる。そこには完成や固定はなく、常に動き続ける過程がある。人間もまたこの流れの外にあるのではなく、同じ生成の中に含まれる存在として捉えられる。このようにピュシスとは、世界を静的なものとしてではなく、内側から立ち上がり続ける動的な関係
の総体として理解するための概念である。



5.時間と持続可能性
問いを支える経済の構想

このプロジェクトは、即効的な「成果」や経済的利益に基づくものではない。しかしながら、経済的持続可能性を確保することもまた、問いを開き続けるための土壌づくりとして必要である。アートが経済と出会うのではなく、関係性そのものが価値として立ち上がるモデルを目指す。
そのため、〈コモンズ農園〉では以下のような多層的な支え合いの経済モデルを検討:

 ー みかんの木オーナー制度:人々が農園の一部となり、10年後の展覧会の協働者となる仕組み。
 ー農園プロセスを活用した制作物(書籍・音・・ドキュメント・さまざまな)の展開:非量産型の価値創出。
 ー加工品(みかん茶・皮染め布・香り・紙などみかんに関するもの)を活用した倫理的販売:風土 × アート× 物語の商品開発。
 ー教育・文化政策との連携:農園を地域学習・対話・ワークショップの拠点とし、公的資源と接続。
 ーオルタナティブファンド(共通資本基金):短期的リターンではなく文化的意味に共感する支援構造。
 ー投資家の確保:従来の資金提供は、金銭的リターン(ROI)を前提とするが、〈コモンズ農園〉では精神的・文化的リターン(ROV: Return on Value)を軸に再構成する必要し提案、探しだす。


これらの仕組みは、アートと経済の新しい接点を探る実践でもあり、持続性とは「貨幣の流通」ではなく「問いと関係の循環」であるという思想に基づく。

6. アートとしての逆転
「搾取されない関係」の創出


〈コモンズ農園〉では、アーティストは「創作者」ではなく「媒介者」や「ホスト」として振る舞う。そこでは、労働や自然が一方的に利用されるのではなく、相互に作用し合う関係が生まれることになる。

 ーみかんを育てる人も、見る人も、語る人も、すべて作品の一部になる。
 ーアートが人々の手に委ねられることで、「所有」や「成果」が曖昧になる。

その意味で、コモンズ農園は「搾取に値する」のではなく、むしろ搾取という発想を根本から問い直すアートであると考えたい。ここでの価値は、誰かが得るものではなく、みんなで共有し、持ち寄ることから生まれる。〈コモンズ農園は、資本や制度に「収奪されない場所」というよりも、そもそも「搾取」という概念が通用しない関係の形をつくり出す。それは、生や自然や人間が互いに影響しあい、誰かが誰かの上に立たない、水平な関係性といえる。


7.コモンズ農園の通過点
10年後の〈みかんの展覧会〉に向けて


10年後、農園で育てたみかんが実を結ぶとき、その果実は単なる食べ物ではなく、時間、労働、記憶、関係性、そして問いそのものの結晶として展示される。それは物理的な空間で行われる展覧会であると同時に、10年間にわたる「共にあること」の軌跡を記録し、祝う収穫祭=アートのかたちである。田辺市全体を「展覧会場」として開く構成も視野に。

この展覧会は、参加者や来場者に対し、次の問いを差し出すことになる:
 ー 私たちは、どのような時間を共有してきたのか?
 ーひとつの果実を育てることに、どのような意味が宿っていたのか?
 ーアートは、何を変え、何を残したのか?


8.コモンズ農園の未来像
耕すことは、考えること、未完であり続けること


〈コモンズ農園〉は、「作品」をつくるのではなく、「場」と「関係性」と「思考の地平」を耕し続ける、長期的で詩的な実践である。それはアートの言葉で語られる、地域の未来への祈りであり、祝祭であもる。

〈コモンズ農園〉は、モデル化や横展開を目的としない。失敗や誤解、違和感も含めて、その都度の関係が積み重なっていく過程そのものが、このプロジェクトの内容である。完成しないこと、定義しきれないことを引き受けながら、ピュシスとともに生成し続ける場を開き続ける ―それが、コモンズ農園の構想である。

ここでは、アートはもはや特権的な表現ではない。むしろ、ここでのアートとはともにいること、ともに育てること、ともに問いを開くことの名であり、新たな関係性、時間の流れ、そして地域との共感の地層を耕すアートの実践である。

10年後に実る果実は、単なるみかんではなく、この土地で共に過ごした無数の時間と関係性の結晶である。そしてその問いは、風土の中で熟しながら、10年後に私たちにそっと語りかけてくるだろう。一粒の、みかんの実として。

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